戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

ロシア革命100年に思う 17/11/03

明日へのうたより転載

 レーニンのロシア革命から100年、3日付『毎日』が特集ページを組んで解説している。「世界初の社会主義政権が誕生してから100年を迎えた。ロシア革命と20世紀の世界を席捲した社会主義が刻んだ足跡を振り返る」。ちなみに『赤旗』のこの2,3日分を探したがロシア革命のロの字もない。

 「社会主義 世界席捲」「騒乱・独裁繰り返し」「レーニン『日露関係楽観』1920年本紙と会見」「計画経済 私有財産を否定」。――小説「鋼鉄はいかに鍛えられたか」、レーニン「何を成すべきか」、ロシア民謡と歌声運動など、おれにとってはソ連という存在が深く思想形成に関わっている。

 おれと「ソ連」の最初の接触は1945年、日本敗戦の年だ。当時中国東北部(満州)にいたおれたち一家は、進駐してきたソ連軍の支配下におかれた。親父が勤めていた関東軍火工廠は工場ごとソ連軍に接収された。おれは国民学校2年生。工場の塀近くで遊んでいてソ連兵から炒ったひまわりの種をもらった記憶がある。

 スターリンが死んだのは1953年3月で、おれは高校入試に合格して入学を待っていた時期。日記をつけ始めたおれは《3月4日(木)2日未明スターリン首相が脳溢血で倒れ4日現在重態である》《3月6日(金)日本時間今朝3時50分スターリン死亡》と記した。

 おれが労働運動を通じて政治思想に深入りしていった1960年はじめ、ソ連はすでに社会主義国のトップとして世界に号令する力を失っていた。俺たちは現在のソ連は現代修正主義だと教わった。そのソ連とソ連批判の急先鋒の中国の代表が握手する瞬間を見たことがある。1963年の第9回原水禁世界大会の演壇の上だ。おれたちは客席で割れんばかり拍手をした。中ソの握手はあれが最後だったんだよな。

 時は流れて1990年9月、おれはマスコミの仲間と崩壊直前のソ連へ旅行した。モスクワ市内の有名なアルバート通りは行列が目立った。特にたばこを売るスタンドは長い行列、隣で若者がゴルバチョフ批判の演説をしていた。一方で豪華なバレー公演が1000円以下で見られる。価値観が乱れていた。

 日本共産党はスターリン以後のソ連の社会主義を認めない。おれもあれは社会主義ではないと思う。しかし、ロシア革命で目指した①公正な社会、②計画経済、③戦争反対の旗印は今でも通用する。小説や論文、歌や演劇、映画、バレーやオペラ、それぞれ高い水準の文化を産みだしたことも事実だ。今ロシア革命を再評価するのは大切な仕事だとおれは思う。