戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(7) 17/10/22

明日へのうたより転載

 居合わせた人々は直立不動の姿勢で泣いた。満人もともに泣いた。武井技手は満人傭工たちを集め「君たちも今日まで我々に協力し、日本のため満州国のため懸命に働いてくれた。本当にありがとう。君たちも聞いたように日本は敗けました。長い間の協力にお礼を言います。と頭を下げた。午後2時頃、部隊本部よりの伝達で満人傭工は全員退社させた。

 工場の一角が騒がしい。ある若い中尉がそこら辺を鞭で叩きながら「今の放送は陛下のお声ではない。あれは敵の謀略だ。みんな仕事を続けろ。騙されるな」と喚いている。そこへ林廠長から「作業はすべて中止せよ」との命令が伝えられた。喚いていた某中尉も静かになった。

 武井技手は午後3時、工場の全従業員を集め次のように訓示した。「我々のこれからの運命はどうなるか分からない。戦争に敗けたのは我々が彼らより能力において劣っていたからではない。敗けたのは物量が不足していたからである。人間性においても智能においても彼らに劣るものではない。戦争に敗けたからといって自ら三等国民、四等国民になり下がることはない。玉音放送にあった通り、耐え難きを耐え忍び難きを忍び、軽挙妄動することなく日本人の誇りをもってこれからも行動していただきたい。長い間皆さんには随分無理なことを言ってきたが、戦争に勝ちたいとの一念からであり許していただきたい」。

 庶務科の吉岡等少尉は敗戦翌日の16日、満人傭工・苦力の責任者を呼集し敗戦の事実を告げた。さらにこれからのことについて「工場が閉鎖されたので全員辞めてもらう。列車の手配はできないので各自適宜帰郷してほしい。帰郷費用はできる範囲で支給する」と説明、倉庫に保管してあった食糧、衣料品を分配した。これを受け取って、数千人の満人傭工・苦力たちは全員混乱なく火工廠を去っていった。

 火工廠から吉林に派遣されて新工場建設にあたっていた長友安中尉の妻いさ子は、8月14日夕方夫の帰りを待って夕食の支度を始めた。外は篠突く雨である。玄関が激しく叩かれ、急いで出ると町内会の通達文書を渡された。「明15日午前8時龍単山駅に集合し列車で遼陽本部に帰隊する。荷物は1人2個、主人のみ軍用行季可、食糧3日分携帯のこと」。一体何事が起こったのだろう。いさ子は隣家の田宮技手夫人と相談して、とりあえず荷物づくりにかかった。長女の恵子(13)が手つだってくれた。