戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

8時間労働制を叫ぶ共産党がんばれ 17/10/18

明日へのうたより転載

 今回の選挙で日本共産党は「8時間働けば普通に暮らせる社会の実現を」という選挙公約を掲げている。このスローガンは地味だが大事な内容を含んでいる。いま安倍政権の「働き方改革」政策で一番問題なのは8時間労働制を壊すことだからだ。メーデー発祥の時代から世界の労働者の共通の要求が8時間労働制だった。それを崩壊させようという悪だくみは絶対に阻止しなければならない。

 安倍政権は賃金の決定基準を労働時間から労働の成果に移そうとしている。それが高度プロフェッショナル制度(残業代ゼロ法案)であり、裁量労働制・成果主義賃金である。彼らは「仕事の成果が上がればそれで家へ帰れるから労働時間を減らすことができる」とか「成果を上げる人と上げられない人を同じ時間働いたからといって同じ賃金というのはおかしい」などと理屈をこねる。

 経営者は労働の成果を上げさせることに関しては貪欲で冷酷だ。成果が上がったからといって労働から解放させてくれるほど甘くはない。成果を上げさせるために彼らは、労働者同士に競争させることが一番だと思っている。わずかな餌で人を釣り、人を蹴落としてまで働く労働者を育成する。

 成果主義賃金は昔からあった。内職の加工賃だ。封筒を千枚貼ったらなんぼ、小箱を百個つくったらなんぼ、というやつだ。労働時間に連動してないから無制限に働かされる。しかも成果が上がれば加工賃を値切ってさらに働かせる。偉そうに「成果主義賃金」などと言うが元を辿れば内職型賃金なのだ。

 時間というのは誰でもどこでも公平・平等に進む。だから賃金も労働時間を基準にすればその限りでは公平・平等である。もし成果とか出来高とかを基準にすればどうなるか。労働者同士でばらばらになり、競争が生じて明確な基準は失われる。そこが経営者にとって目の付けどころでもあるのだ。

 賃金決定基準を労働者の生活費とか労働時間から職務、職能、成果などに移そうという経営者の試みは1960年代から本格化した。日本の高度経済成長の時代である。職務給、職能給が大企業を中心に導入された。それを指導したのは日本生産性本部であり、日経連であった。つまり労働生産性をいかに上げるかが目的だったわけだ。それは職場の差別につながっただけでなく、労働組合の弱体化ももたらした。

 8時間働いて、8時間休養し、8時間を生きがいに使う、これが人間の「生きる」という意味である。共産党がそのことに気付かせたことの意義は大きい。苦戦を伝えられる共産党の巻き返しのためおれもがんばる。