水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長) トムラウシ山遭難を考える09/08/09
「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/
トムラウシ山遭難を考える①
■水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長)
きょうから8月に突入。年齢が高くなれば、時の流れを早く感じる(これは理論的に証明されています)といいますが、そのとおりのようです。暑さに負けず、お身体ご自愛を。この季節、登山は本格化しますがそれを迎えるにあたって、遭難問題を考えたいと思います。
7月16日、北海道トムラウシ山において9人が遭難死するという痛ましい事故が起きました(同じ山域の美瑛岳でも2人死亡)。このうち8人は同じ登山ツアー客でした。この山、すでに小ブログの「百名山」でも紹介していますように、私は登ったことがあり〝土地勘〟はあるつもりです。強風のなか、あの山容ではビバークする場所もなく厳しいものがあったであろうことは想像できます。
この報道に接して私が直感したのは「冬の装備、とりわけインナーウェアの防寒対策をきちんとしていなかったのではないか」ということでした。この直感はその後の報道を検証してみると、間違っていなかったようです。防寒対策の有無が生死を分けた、と断言できそうです。この防寒対策の問題は後述するとして、事件のおさらいをしてみましょう。
事件が起きた地元の新聞「十勝毎日」が、かなり詳しくこれを報道しています。そのウェブと、毎日新聞が7月23日付の紙面で特集を組み、ドキュメントでまとめていますが、それも参考にさせてもらいながら考えてみたいと思います。東京のメディアは「北海道トムラウシ山で8人死亡」を見出しにしていましたが、実はもう1人、茨城県の単独登山者(64歳男性)が亡くなっています。この人は一旦外して、ツアー参加者の動きなどを中心にみていきたいと思います。
ツアー客15人とガイド3人の18人のグループでした。このなかの8人が亡くなったわけですから、大惨事です。一行は2泊3日の予定で、大雪山の主峰・旭岳に登り、白雲岳とヒサゴ沼にそれぞれ1泊、トムラウシ山に登り南下して国民宿舎・東大雪荘まで歩く予定でした。このコースは距離もあり、アップ・ダウンもあり、文字通り健脚向きです。私は4年前の同じ時期、05年7月11日にこの東大雪荘に泊まり、翌日、トムラウシ山をピストンで登頂しています。このときはまだ雪が残っていました。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
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トムラウシ山遭難を考える②
7月14日に入山した一行は、旭岳に登りその日は白雲岳避難小屋に、前日の15日はヒサゴ沼避難小屋に泊まっています。このコースの小屋はこの2ヶ所と、その途中で少しルートを外れた忠別岳避難小屋の3ヶ所しかありません。したがって、ヒサゴ沼小屋を出たら、東大雪荘まで建物はありません。
この季節、北海道は登山シーズンでツアーの客だけしか山小屋には泊まっていなかったのか、と疑問に思っていましたが、やはりいました。静岡県から来た6人のパーティーです。この人たちは、一行とほぼ同じ時間に小屋を出発し途中で15人を追い越しています。 一行を追い越した静岡のパーティーは「ツアーの後ろを歩いたが時間がかかると思い、頂上手前で、休憩していたツアーを追い越した。(下山して)東大雪荘に到着し、遭難を知りびっくりした」(十勝毎日)と語っています。
この話しは、かなり厳しい風雨であったものの、〝歩けない〟状態ではなかったことを物語っています。それは予定より4時間遅れとはいえ、このパーティーが無事に下山したことで証明されています。
ここで、遭難に到った経過を時系列でまとめてみましょう。16日午前5時半頃、一行はヒサゴ沼避難小屋を出発します。5時にスタート予定だったそうですが、天気の様子を見るために30分ずらしたといいます。10時半頃、北沼付近で一人の女性が動けなくなり、全員が1時間半にわたってその場に停留。このときに前出の静岡のパーティーは追い越したのかもしれません。
正午頃、その女性と61歳ガイドの2人を残して、他の16人は出発。動き出した直後に女性の1人が意識を失い動きが取れなくなり、その人を含めて女性3人、男性1人と32歳ガイドの計5人がビバークすることを決定。残る11人は38歳ガイドを先頭に出発。間もなく、ばらばらに。午後3時55分、38歳ガイドと2人が5合目の前トム平まで下山し、やっとつながったケイタイで救助を要請、事態が明るみに出ました。(次回につづく)
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トムラウシ山遭難を考える③
ビバーク組み5人を残したあと11人は、ばらばらになりながらも、午後11時50分・2人が自力下山。日付を越えて、17日午前0時55分・2人が自力下山。3時55分・自衛隊など捜索を開始、ヘリも出動。4時35分・1人が自力下山。5時10分・ヘリで1人救出。6時50分・救助隊が北沼付近で3人救出。10時45分・1人救出――ということになります。
以上、時間を追って、救出された人の動きだけを中心に整理してみました。こうしてみると、風雨のなかで自力下山した5人以外の13人が、山中で一晩を過ごしたことになります。そのうち助かったのは5人ですが、これは驚異です。もっと犠牲者が増えていても不思議ではありません。
亡くなった人は最初に残った2人、ビバークした5人のうちの2人、下山を始めた11人のうちの4人(トムラウシ分岐付近1、南沼キャンプ指定地付近1、前トム平付近2)の、合計8人となりました。
「出発時は暴風雨。雨は横なぐりに降り、強風で立っていられないほどだった」(十勝毎日)と、静岡のパーティーの1人が話しています。まず、第一のつまずきはそういう天候状況の中で、スタートした、いや、せざるを得なかったことです。「午後から天気が回復するから大丈夫」と一行のガイドが語り、予定より30分遅れてスタートしたといいます(毎日新聞)。
ここからは推測に過ぎませんが、小屋から動きだした理由で、天候回復の〝見込み〟だけではなく、ツアー登山の宿命ともいえる「スケジュール管理」の問題があったと思います。今回のツアー客は関西方面からの参加者が多かったようですが、安い飛行機を利用するには、往復ともに決まった便に乗らなくてはなりません。行動予定時間が狂うということは、それができなくなり参加費用にも影響するのです。それが無理な行動を誘発する原因にもなっている可能性があります。(次回につづく)
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トムラウシ山遭難を考える④
7年前の02年7月11日から13日にかけて、このトムラウシ山で2人が遭難死する事件が起きています。実はこのとき、私(たち)は羅臼岳に登る計画で、10日に知床半島の「ホテル地の涯」に泊まっていました。しかし、28年ぶりに7月の台風が北海道に上陸し、早朝から暴風雨となり登山を断念せざるを得ませんでした。ところが、遠くトムラウシ山にはその台風をついて登った人たちがいたのです(この事件の詳細は、山と渓谷社刊「ドキュメント気象遭難」羽根田治・著に出ています。興味のある方はぜひご覧ください)。
私たちの場合は個人登山ですから、予定は自由に変えられます。もしあの時、無理して羅臼岳に登っておれば私たちが遭難した可能性は否定できません。このように、個人登山であれば変更は自由ですが、ツアー登山はそうできない問題をはらんでいるのです。今回、一行が強行しなければならなかった理由の一つに、この「スケジュール管理」問題があると思います。
今回のトムラウシ山遭難の報道で、山岳ガイドや登山家が登場しいろいろな意見を述べていました。大量遭難死につながった理由の一つに、参加者がバラバラになったことをあげ、「パーティーは一緒に動かなければならない」と言った人がいました。率直に言って、この発言、私には疑問です。一行は午前10時半ころに動けなくなった女性を前に、北沼付近に1時間半ほど留まっていますが、その女性とガイド1人を残して他は動き出しました。この人はこれを批判しているようです。
女性1人が動けなくなった時点で小屋に戻る、という判断もあったでしょう。しかし、「すでに険しい岩場などの難所を通過し、引き返すのは無理だった」と北海道山岳ガイド協会の川越昭夫会長が推測しています(十勝毎日)が、そのとおりだったのではないでしょうか。まずここで2人と16人に分かれるわけですが、この判断はやむを得なかったと思います。もしこのままの状態でここに全員がビバークする事態になっておれば、犠牲者はもっと増えたかもしれません。
問題は1時間半もこの場所に停留したことです。そのときの状況がどうであったか、詳細は分かりませんが動けなくなった女性を励ますなどしていたのでしょう。「ツアー客は『救助要請して』『じっとしてはいけない』などと訴えた」(毎日新聞)といいますが、その間に登山者全員の体温が下がっていったであろうことは、想像に難くありません。1時間半もの間、動かなかったことは疑問の残るところです。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
熊本の原爆症認定訴訟第2陣、全員勝訴で国は19連敗。それでも抵抗するこの国、ヘンだ。
トムラウシ山遭難を考える⑤
一行の2度目のバラけは、最初の2人を残してから間もなくのことでした。別の女性が動けなくなり、ここで5人がビバークすることを決め、残る11人が下山を続けることになります。この判断もやむを得なかったと思います。この時点で問題になるとすれば、テントが小さかったことでしょう。結果的にはここにビバークした女性2人が亡くなっています。
5人を残して、ガイドを含む11人は下山を開始します。ところが「隊列はやがて分裂していく」(毎日新聞)ことになります。先頭を歩くガイドのペースが速すぎたという証言もあるといいます(同)。これに対してツアー会社の社長は「ガイドは先に下りて救助を求め、再び山に入って助けようとしたのではないか」(十勝毎日)と語っていますが、真偽のほどは分かりません。
11人はばらばらになり、最終的にはガイドと2人の客だけとなり、ケイタイ電話の通じる5合目・前トム平まで進みます。「午後3時55分にガイドが道警に救助要請。最初の体調不良者が出てから約5時間半も経過していた」(毎日新聞)のです。
ビバークした人を残して進んだ11人のうち、4人が亡くなっています。後付論になる可能性もあるのですが、もし、11人全員が一緒に動いていたら犠牲者が増えている可能性もあります。その意味において、何がなんでもパーティーは離れてはいけない、という考え方に、私は組みすることはできません。状況判断で、パーティーを分けることもありうるというのが私の持論でもあります。
もう35年ほど前になりますが、谷川岳に最初に登ったときにそれを経験しました。上野駅発の一番列車に乗って、男女8人で土合駅に降り、西黒尾根で山頂に向かいました。パーティーのなかで私が一番年上で、事実上のリーダーでした。途中の岩場で、怖くなって動きが遅れる女性がでました。そのとき私は、このまま8人で進むのは危険、と判断し4人ずつの2隊に分けました。
これは正解でした。もちろん私は後ろの隊に入り、ゆっくり前進です。結局、谷川岳の肩の小屋に着いたのは、午後8時少し前でした。今ではこの小屋は無人ですが、当時は小屋番もいて「8時になったら救助隊を要請するところだった」と聞かされ、平謝りしたものです。怖い経験ですが、「何がなんでも一体」という考えは道理に合わない場合もあると思うのですが、いかがでしょうか。(次回につづく)
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「票で撃て派遣年寄失業者」――きょうの毎日新聞の川柳の一句。座布団5枚!
トムラウシ山遭難を考える⑥
きょうはヒロシマに原爆が落とされて64回目のその日です。「同じ過ちを繰り返さない」その思いは、米・ロの核弾頭削減合意によって少し前にすすみましたが、人類の悲願として運動は広げなくてはなりません。改めて、犠牲者のみなさんのご冥福をお祈りいたします。
今回のトムラウシ山遭難で、ツアー参加者の体力に問題があったのではないかという報道もありました。このコースは確かに健脚向きです。それもあるせいでしょう、ツアー会社は、募集に際して山に慣れており「健脚」であることを、参加の条件にしていました。次にこの体力問題をみてみましょう。
昭文社発行の登山用地図によりますと、一行の予定コースの所要時間は(旭岳ロープウェイを使ったとして)1日目・ちょうど6時間、2日目・7時間35分となっています。集団ですから、これに2割ほど加えて計画するのが常です。長丁場にもかかわらず、一行は2日目のヒサゴ沼小屋までは順調に歩いており、体調に異変をきたした人はいなかったように見受けられます。だとしたら、必ずしもツアー客の体力の問題ではなさそうです。
体力ではなかったとしたら、原因はどこにあったのでしょうか。それは暴風雨のなかの低体温にあったと思われます。「18日に行われた司法解剖の結果、8人全員の死因は凍死であったことが判明した」「道警は8人のアンダーウェアやカッパ、帽子などの着衣を捜査資料として保管。18日午後、登山用具などの遺留品が遺族に返された」(十勝毎日)。
原因はこの報道に尽きるように思います。恐らく亡くなった人たちの多くは、防寒対策が弱かったのではないでしょうか。そこに生と死の明暗があったように思えてなりません。冬ではなおさらですが、強風時の体感温度は極端に下がります。体温が低下すると動きが鈍くなり、判断力も低下します。八甲田山で1902年(明治35年)1月に日本陸軍の冬季訓練中に199人が凍死した事件はあまりに有名ですが、これも低体温が原因でした。(次回につづく)
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トムラウシ山遭難を考える⑦
今回のような遭難を防ぐには、防寒対策が何より重要です。山は夏であっても寒い、という認識を持っておくことが大切です。標高が1000メートル上がれば、気温が6度下がることは知られているとおりです。それに強風が加われば、体感温度はもっと低下します。
その対策で大事なことの一つは、インナーウェアです。最近ではいい繊維ができており、発汗性と防寒性が備わったものも出回っています。普通のそれより少々高くなりますが、これは必需品だと思います。私はカミさんによく冷やかされます。「あなたは山の衣類はしっかりしたいいものを持っているけど、普段のものはいい加減ね」と。このくらいのこだわりを持ちたいものです。
トムラウシ山の遭難事件が起きて、1週間ほどあとだったでしょうか、たまたまテレビを見ていましたらあのときの当事者の女性が出ていました。その女性は山中がいかに寒かったかを説明しながら、それをしのぐために持っていたタオルに穴を開けて頭からすっぽりかぶり、寒さをしのいだと語っていました。これはとっさの機転とはいえ、すごいことです。タオルは単なる汗拭きだけでなく、防寒具にも早変わりします。たった1枚のタオルが身を守ることもあるのです。
さらに大事なことは夏山であっても、小さなものでもいいから上に着るダウンなどの防寒着を持ち歩くことです。これは3000メートル級の山小屋に泊まったときなど、威力を発揮します。雨具の選定も大事です。価格は少々高くなりますがゴアテックス製は、通風性にすぐれているだけでなく、防寒性も持っており山歩きの頻度が高い人は、必需品でしょう。
遭難防止には、防寒対策とともにもう一つ、避難小屋の建設問題があります。つぎにこの問題を考えてみたいと思います。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
原爆症認定のたたかい、国が19連敗でやっと解決の目途がついた。だが64年は長すぎる。
日
トムラウシ山遭難を考える⑧
もし途中に小屋があったら、こんなに大量の遭難死が出ることはなかったのではないか、という点は衆目の一致するところでしょう。北海道は総体的に小屋の数が少ないのが現状です。今回の事件のコースで考えてみますと、ヒサゴ沼小屋から最短距離の登山口まで7時間20分となります(東大雪荘までは8時間25分)。しかもこのコースは3合目あたりまで樹木はなく、強風には厳しいものがあります。
7時間20分程度はたいしたことはないと考えがちですが、北アルプスなどでは4、5時間歩けば、次の小屋に到達できるほど沢山あり、それと比べると少ないことがお分かりでしょう。前出の、北海道山岳ガイド協会の会長は「寒さをしのぐテントは必要だが、避難小屋があれば全員助かったかもしれない。風雨を避けて体を温めれば、低体温症も回復が可能」(十勝毎日)と語っています。事故があった地元の新得町も、道に対して小屋の新設を要望していました(同)。
新しい小屋をつくることは、遭難を防ぐために必要なことですが、登山客が増え、新たな環境問題が発生する可能性もあります。いわゆるオーバーユース(過剰利用)問題です。その意味において山小屋建設には慎重さが要求されますが、遭難防止の視点もぜひ入れてほしいものです。
そういえば、この事件でケイタイ電話が通じたという前トム平には、私がこの山に登った05年7月13日には、可憐なコマクサが群生していました。そしてトムラウシ分岐あたりには、エゾイチゲが一面に咲き誇り、真っ白な花びらが光り輝いていました。この遭難で亡くなった8人の方々はいま、それらのお花畑で遊んでいることでしょう。合掌。
★脈絡のないきょうの一行
酒井法子、一転、犯罪容疑者に。しかも弟が同じ容疑で逮捕されていた。どうなっている芸能界。