水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

「ヘボやんの独り言」より転載 

忘れない③止      18/03/11

 JAL争議支援の宣伝行動は午後5時から予定していた。とりあえず、集合場所に行こうということになり、マリオン前へ移動。ここから晴海通りの上に架かるJRのガードが間近かに見える。そこには下り方面の新幹線が止まったままになっていた。時間はすでに4時を回っていた。それに乗り合わせた人がどうなったか知る由もないが、不安だったことは推して余りある。

【有楽町の晴海通りのガードで止まった新幹線】


 この時間帯になると、ケイタイもつながりネットを見ることも出来るようになった。それを見せてもらうと津波が押し寄せてきたと伝えている。それを確認しあわてて、近くのビル壁面に設置されたテレビを見に行った。空から撮影した映像が流れていたが、津波がすさまじい勢いで押し寄せてくる様子が映し出されていた。

 その瞬間、私は「大量の犠牲者が出るぞ」と叫んでいた。その予想は悲しいことに的中した。宣伝行動は5時からの予定だったが、これも予想どおり「中止になりました」と争議団の仲間が伝えにきてくれた。

 交通は全面的に止まっているらしい、ということで「動き出すまでの間」ということで時間つぶしを兼ねて近くの居酒屋に入った。ビールを飲みながらこの日の行動の総括をやり電車が動きだすのを待つことにしたのだ。しかし、動いた、という情報はない。

 結局、夜9時過ぎまで居酒屋で過ごし、神保町にある事務所まで歩こうということになった。3時間は飲んだことになる。それなりに酔ったことは言うまでもない。有楽町から神保町まで、地下道を歩いた。大手町駅周辺には帰宅できない人たちが座り込んでおり、声をかけたら「電車が動くのを待っている」と答えた。

 そう、帰宅難民だ。壁際は寄り掛かった人でいっぱいになり、スペースがない状態になっていた。幸いにエレベーターが動いていた事務所にもどり、近くのコンビニをのぞいてみた。おにぎりなどの食料品の棚はからっぽになっていた。頷ける光景だった。

【からっぽになったコンビニの食料品棚】


 事務所の窓から外を見ると、普段の昼間でも考えられない数の人たちが、歩いていた。車は渋滞し、それこそ1ミリも動いていなかった。テレビを見ながら電車が動く時間を待った。しかしその気配がない。ところが都営地下鉄が動き出したという情報が流れた。

 練馬に住んでいる私はそれアテにすることにして、仲間たちに別れを告げて神保町から飯田橋まで歩き、大江戸線ホームで待った。電車は来ない。なかなか来ない。ホームは人で溢れている。やっと到着したそれに乗って都庁前で乗り換え。が、またしても苦難が。ホーム一杯に人がいて、電車が来ても乗れないのである。

 そこで一計を案じた。姑息だが「一駅戻ろう」がそれだ。行き先は終点。したがって一駅、「新宿」まで戻り乗り換えた。結果は成功だった。終点・光が丘に到着して迎えに来てくれるよう自宅に電話したのは、午前2時を回っていた。神保町を出て、3時間である。そして翌朝、私は新燃岳の被災地調査のため、羽田から宮崎に向かう飛行機の客となっていた。

★脈絡のないきょうの一行
佐川前国税庁長官、籠池森友学園前理事長と同じ道を辿りそう。逮捕はいつかな? よもや死ぬことはなかろうが。


このページの先頭へ