水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

「ヘボやんの独り言」より転載 

忘れない②      18/03/11

 さて、どうするか。一緒に歩いていた仲間たちと相談し、この日の要請行動を断念することにし、「われわれも避難しよう」ということで、日比谷公園を目指した。その間も揺れが続いていた。地震が起きて15分とは経っておらず、震源地がどこか心配になった。

 ケイタイ電話(私は持っていない)を持っている人に、誰かに聞くことはできないかと、相談してみるが、電話がつながらないという。日比谷公園に向かう途中、誰からともなく「震源地は宮城沖らしい」という声が流れてきた。

 この時間帯には明乳争議に関する要請で、みずほ銀行に行った仲間たちはすでに話し合いに入っていた。そのとき、揺れのひどさに双方は「改めてやり直しましょう」ということで切り上げたという。要請は地下会議室で行っていたが、このままビルが倒壊したらどうなるんだ、と不安になったという。そのあと外に出るとき揺れが襲い、入り口のガラス窓が弓なり状態に曲ったという。これは恐怖である。

 日比谷公園は人であふれていた。防災用のヘルメットをかぶっている人もいた。それも色とりどりで「ヘルメットは黄色や白だけでなく、いろいろな色があるんだ」とヘンに感心したものである。

【日比谷公園、噴水付近】


【日比谷公園、地下鉄日比谷線入り口あたり】


 つづいてこのあとどうするか――。とりあえず、家族との連絡を取ろうということになったが、ケイタイが繋がらない。一番近い地下鉄「日比谷駅」に入れば公衆電話があるだろう、ということになりそちらへ移動。確かにあった。が、そこは列ができていた。

 仕方がないので、われわれもそこに並ぶ。すると、私の2人前の女性が困った。硬貨はあるがそこの電話機はカード専用のものだったのだ。こういうときは、ケイタイを持っていない私は有利だ。いつもテレカを持ちそれで自宅と連絡を取り合っているからだ。困ったときはお互い様だ。その女性にカードを貸してあげた。喜んでもらえた。

 その場にいた仲間たちは何とか家族と連絡がとれて、この日の最後の行動予定であった有楽町のマリオン前に向かった。ここでJAL争議の支援を訴える宣伝行動を行うことになっていたからだ。

(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
森友疑惑、ここまでくれば昭惠夫人の国会喚問しかない。日本の民主主義のカナエの軽重が問われる。


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