水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)〝ポスト真実〟③止 17/01/19

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 問題は、これにメディアがどう対応しているかだ。

 民主党(当時)が政権を担ったとき、マニフェスト(政権公約)がよく取りざたされた。代表格は高速道路の無料化だ。民主党はマニフェストにそのことを盛り込んだ。しかし、現実的には予算化できなかったし、車を使う頻度が多くなり排ガス問題も生じる、という批判が出て沙汰止みになった。このときのメディアは民主党を「マニフェスト違反だ」とスクラムを組んで批判した。ウソの政治が許されないことを考えれば、それは当たり前だった。

 ところが、自民党・安倍政権にもどりTPPに関してマニフェスト違反であったにもかかわらず、メディアは自民党を批判しないばかりか「推進せよ」と煽り立てた。先述した福島第一原発の「コントロールされている」発言も、明らかにウソであったにもかかわらず、批判はなかった。

 南スーダンの情勢についてもそうだ。安倍首相は「首都ジュバは比較的落ち着いている」と述べ、自衛隊のPKO派遣は問題ないと主張した。が、実際はどうか。誰がどう見てもジュバも含めて南スーダンは内戦状態ではないか。ところがメディアからの反論はない。

 最たるものは、アベノミクス戦略である。経済学者のほとんどが「破たんした」と分析している。が、安倍首相は「道半ばである」と強弁し、経済はますます悪化している。これは明らかなウソであるにもかかわらず、メディアは批判していない。

 これらを見ていると、「ポスト真実」という言葉は、嘘を言った政治家本人と、それを批判しないメディアの〝合作〟だったのではないか、と、私は思いたくなる。

 戦前のジャーナリズムを振り返ってみたい。大政翼賛政治は当時のメディアが支えたのではなかったか。今国会に提出されようとしている共謀罪は、平成の治安維持法と言われる。その治安維持法が、あの戦争を批判した人たちをどれだけ弾圧したか、メディアが知らない訳はない。が、共謀罪への批判は弱い。

 戦前のあり方を反省して、「戦争のためのペン、カメラ、マイクは取らない」と誓ってつくられたのが日本ジャーナリスト会議であった。その精神は、貫かれているだろうか。(私もその会員の端くれだが)一部でがんばっているジャーナリストはいるが、総体としてはそうなっておらず、隔靴掻痒感は免れない。

 この状況を見たとき「ポスト真実」という言葉は、前述した一部政治家とメディアの〝合作〟であると同時に、政治家の嘘を放置しているメディアを批判したものではないのか、そんな気がしてならない。オックスフォード大学に聞いてみよう(笑)。

★脈絡のないきょうの一行
台湾で脱原発法が成立(1月11日)。見識である。



 


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