水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)それでもつらい、大川小学校判決 16/10/26

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 石巻市と宮城県に賠償命令が下った。84人のいのちを奪った津波。賠償命令が出たからと言って、いのちが帰って来る訳ではない。つらい判決である。

 判決は市と県の責任をどういう形で認めたのか、現段階では不明である。その内容が明らかになったら、改めてこの問題に言及したい。が、地震発生から45分間にわたって、避難することもせず待機していたという。何故なのか。

 福島県浪江町の請戸(うけど)小学校では、いち早く避難し一人の犠牲者もけが人も出さなかった。同小学校は2階部分にまで津波が押し寄せていた。それでも「避難する」という素早い判断が子どもたちのいのちを守った。こことの違いはどこにあったのか。

 疑問はまだ闇の中だが、あいまいにしてはならない。〝災害列島〟における危機管理の在り方、いのちを守ることの大切さ、そのときの判断――。この事件に潜む教訓は、山ほどある。防災と災害被災者支援に取り組んで、20年を超えた私自身も気づかないところにあるかもしれない。この裁判の行方、しっかり見極めたいものである。

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<大川小訴訟>石巻市と県に14億円賠償命令
河北新報 10月26日(水)15時16分配信

 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、学校の責任を認め、計約14億2660万円を支払うよう市と県に命じた。公立学校教職員の管理監督下で震災の津波で犠牲となった児童生徒を巡る司法判断は初めて。全国の教育現場に大きな影響を与える可能性がある。

 19遺族は2014年3月に提訴。訴訟では(1)津波の到達を予見できたか(2)津波の被害を回避し、児童を救えた可能性があったか―が主に争われた。遺族側は「防災無線や市広報車からの情報で津波の襲来は認識できた。裏山などへ避難すれば全員助かった」と主張。市側は「当時得られた情報から想定を超える規模の津波は予見できず、結果は回避できなかった」と反論していた。

 訴えによると、11年3月11日午後2時46分の地震発生後、大川小の教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。校庭近くの北上川堤防付近(標高6~7メートル)に避難を開始した直後の午後3時37分ごろ、高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。

 当時、校内にいて助かったのは教職員11人のうち男性教務主任1人と、児童4人のみ。学校の管理下で子どもが犠牲になった戦後最悪の惨事とされ、遺族らは真相究明を求めてきた。

 仙台地裁で言い渡された津波訴訟判決は6件目。行政の賠償責任が認められたのは、東松島市野蒜小を巡る訴訟(仙台高裁で審理中)に続き2件目となる。
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★脈絡のないきょうの一行
ETC料金で4万件の過剰請求。中央道と圏央道に関する路線だと。うちも被害に遭っているかも。怒。



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