水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)私は捏造記者ではない――⑤止 16/08/14

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 植村さんが裁判を提起した直後、櫻井よしこ氏は「言論は言論で対抗すべきだ」と発言した。私もその通りだと思う。しかし氏のそれは言論とは言えない。言論には根拠があり、批判をするにしても節度が求められ、相手の人権を尊重しなければならない。氏の発言や文章には、残念ながらそのカケラさえないからだ。

 しかも植村さんは、朝日新聞社を退職し言論を展開する場さえない。言論で対抗する場を失い、しかも言論とは言えない暴言によって家族が脅威にさらされ、職さえ失ったことを考えれば、裁判という手段を選ばざるを得なかったのは当然と言える。その選択を私は支持する。

 櫻井よしこ氏らを相手にした裁判は、(植村さんは)札幌に住んでいた関係で札幌地裁に提起した。しかし、櫻井氏らは東京で行うべきだと『移送』を主張、札幌地裁はこれを認めたが、同高裁はこれを差し戻し札幌地裁で審理が始まっている。〝緒戦〟にしてあの人たちは負けているのである。

 以上、少々長くなったが裁判に到る経過を説明した。折に触れ今後もこの問題を取り上げることがあると思い、スペースを割いた次第だ。では、この裁判はどういう意味があるのかを考えてみたい。

 一つは、「捏造」を乱発された植村隆さんの記事が、そうではないことを証明することである。1991年に書いた植村さんの記事について、朝日新聞社内においても「問題なし」の結論を得ている。当時の新聞各紙は「挺身隊」と「従軍慰安婦」は同意語として使われていたことも判明している。「挺身隊」と書いたことをもって、あの人たちは「捏造」といい続けているのである。

 合わせて、「捏造」ではなかったことが裁判所で認定されれば、「捏造」というレッテルを貼ることによって、従軍慰安婦の存在を打ち消そうとする歴史修正主義者たちの目論見を砕くことになる。歴史は誰の手によっても変えることはできない。そのことをあの人たちに思い知らせる裁判でもある。

 二つ目は、家族も含めて植村さんはバッシングを受けた。「捏造記者」と公の場で罵倒されたことによって、一種の村八分状態となったであろうことは窺い知れる。ネトウヨによるつきまとい的ネット上の攻撃は、いのちの危険さえ感じさせられた。それらを解消し、家族の人権を取り戻すのがこの裁判である。

【娘さんの判決報告をする植村隆氏・16/08/03日本弁護士会館】

 そして三つ目は、言論の在り方を問う裁判でもあることだ。言論の自由というのは、〝何を書いても、発言してもいい〟ということではない。おのずと節度が求められる。しかしこの事件はウソの言論という一種の暴力によって、植村さん一家に被害が広がったことは事実である。

 司法からの言論の在り方に対する過度な介入は要注意だが、少なくともこの裁判で「言論」による被害が起きている事実を認定させる必要がある。その被害救済にあたって、裁判所に〝言論の規範〟のようなものを出させることは正しくない。司法による言論への介入に抵触するからだ。それよりも西岡力氏や櫻井よしこ氏らと、その主張を無批判に掲載した週刊誌への批判を期待したいものである。

 裁判を提起した植村隆さんの決断に改めて敬意を表したい。一人のジャーナリストの「捏造記者ではない」という主張をしっかり受け止め、バックアップしたいものである。とりわけ昨今、戦前回帰の動きが強まっているなかで、この問題を堤防の一穴にさせないためにも。

★脈絡のないきょうの一行
SMAPが今年12月末に解散。いつかはあるのだろうが、この時期だったのだろう。


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