水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)私は捏造記者ではない――③ 16/08/12

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 週刊文春のこの報道によって、神戸松蔭女子学院大学に「採用するな」の抗議のメールが1週間に250本も届いたという。殺到した抗議を受けて同大学は植村さんに、採用辞退を申し入れてきた。すでに朝日新聞社の退職手続きを済ませていた植村さんは、拒否せざるを得なかったものの大学当局の対応は頑なだった。

 結果、神戸松蔭女子学院大学で教鞭を取ることを断念せざるを得なかった。

 影響は神戸に止まらなかった。現役記者の頃からやっていた札幌の「北星学園大学」の非常勤講師にも影響が出始めたのだ。いわゆるネトウヨが、「植村隆をやめさせなければ爆破する。学生を痛い目に遭わせる」などの脅迫を始めたのである。

 北星学園大学は苦慮した。1500万円を投じて警備強化を行った。同大学出身者や周辺住民が、暴力に屈するな、と「負けるな北星!の会」(略称マケルナ会)を結成し大学を励ました。私もその会にかかわりをもっている。

 さらにネトウヨは、植村さんの家族にも〝触手〟を伸ばした。高校2年生だった娘さんの実名と写真を、ネットに公開したのである。その卑劣なやり方に心ある学者やメディア関係者、そして弁護士らが立ち上がり、ネットに書き込んだ本人を特定し損害賠償の裁判を起こしたのである。その裁判の判決が小ブログでも紹介した8月3日に下されたのである。全面勝訴だった。

 娘さんのこの事件に関して、心温まるエピソードを聞いた。ネット上に娘さんの写真が出たことを知ったとき、「娘を動揺させてはならない」と思い、植村さんはそれを知らせなかったという。一方、娘さんは「父に心配かけさせたくない」と、家庭の中でそのことに触れなかったという。

 考えてみればこの種のネットの扱いは、子どものほうが早いし情報も早い。親よりも早くそのことを知っていたという。しかし娘さんはそのことを隠して、日常生活を送っていた。植村さんは「それを知ったとき、あの書き込みは絶対に許さないと思った」と涙腺を緩ませながら語ってくれた。父娘の優しさ溢れる1ページである。

 以上が、東京裁判の概要である。植村さんは捏造記者でもなんでもない。1991年当時、報道各社が同列視して扱っていた「挺身隊」と「従軍慰安婦」という表現を紙面でしただけのことであった。にもかかわらず、しかも植村さん本人にはまともな取材もせず、週刊文春は「捏造記者」のレッテルを貼って報道したのである。それにワル乗りして、西岡力氏はレッテル貼りに加担したのである。

 その結果、植村さんは仕事を失い家族まで脅迫され、身の危険に晒されることになった。これはもう許しがたい暴力である。

 植村さんは朝日新聞社を退社後、脅迫に屈しなかった北星学園大学の非常勤講師を続ける傍ら、裁判闘争をつづけた。そして現在では、韓国ソウルの「韓国カトリック教会大学客員教授」として活躍している。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
伊方原発再稼働、高江ヘリパッ建設…。強行の裏に潜むファッショ性を見逃してはならない。


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