水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)原発事故が原因は当然 16/08/10

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 実にいい判決である。誰が見ても、誰が考えても「あれさえなければ」起きなかった事故である。そのことを実に素直に判断した判決である。以下。

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原発事故で失踪、東電に賠償命令=認知症患者の家族勝訴―東京地裁
時事通信 8月10日(水)16時36分配信

 東京電力福島第1原発事故の直後、入院先の双葉病院(福島県大熊町)から行方が分からなくなり、失踪宣告を受けた認知症患者の親族が「行方不明になったのは原発事故が原因だ」として、東電に4400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁(水野有子裁判長)は10日、東電に計約2200万円の支払いを命じた。

 東電は「地震による停電で病棟の電子錠が開いたことが原因」と主張したが、水野裁判長は「事故がなければ病院職員は避難せず、患者の外出を防げた」と退けた。

 判決によると、認知症で入院していた女性患者=事故当時(88)=は、避難指示が出た2日後の2011年3月14日、病院内で無事が確認されたのを最後に行方が分からなくなった。親族の申し立てを受けた福島家裁相馬支部は13年、「事故後に1人で病院外に出て、ほぼ無人となった地域を徘徊(はいかい)し、死亡の原因となる危険に遭遇した」と認定、失踪宣告した。

 東京電力ホールディングスの話 判決内容を確認した上で、真摯(しんし)に対応する。
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 「あれさえなければ」起こり得なかった補償裁判が各地でたたかわれている。原発事故の被災地周辺から逃れた家族の生活補償裁判がそれだ。いわゆる指定地域以外の住民は、避難しても生活補償の対象になっていない。ゆえに、幼い子どもをかかえたお母さんたちは、子どもを守るために逃れたにもかかわらず、補償対象から外れているのである。

 この問題と、前述の判決は連動していると思う。ごく自然に考えれば、被災地周辺から逃れるのは、摂理である。「逃れなかった人もいるではないか」という反論もあろう。逃れなかった人、それもまた摂理である。だから、逃れた人を救済するのを拒否することは、摂理に反することである。

 すみません、判じ言葉みたいになって。逃れた人はその理由があり、同じ地域に住んでいても逃れなかった人にも理由がある。そこはそもそも推し測る〝モノサシ〟が違うのであり、片方を理由に片方を切り捨てることはできないのである。

 今回の判決は、「あれさえなければ」という現象に対して、ごく自然に判断したものである。当然すぎる判断だが、意味あるそれであることを考えてみたい。

★脈絡のないきょうの一行
オリンピックの報道を見ていると、ナショナリスト(民族主義者)になってしまう。私も小市民である。


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