水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)熊本(九州中部)地震③④ 16/05/20

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 熊本城を後にして、従姉妹の娘・Eちゃんと、高速道インター近くのホームセンターで待ち合わせて合流。まず益城町をめざす。熊本市内を走っているときの沿道は、住宅のカベが落ちていたり、瓦が散乱していたりであった。ところが益城町に入ったとたん、〝風景〟は一変した。倒れた家屋、1階部分が潰された家屋が出現したのである。

 「息をのむ」というのはこういうことだろう。道路は車が通れるようにがれきなどが処理されたと思われ、2車線が走れる。しかし、左右の光景は熊本市内と打って変わっていた。

【益城町の現場① 2階部分はアパートのようだ】

【益城町の現場②】

【益城町の現場③ 崩れた家屋の持ち主だろうか?】

 写真①は、今にも倒れそうな建物である。支えの鉄骨が斜めになっている。2階部分はアパートだろう、これでは住めないのは明らか。住んでいた人がいかなる恐怖に襲われたか、推して余りある。

 ②の写真は、全壊した人家だ。写真では分かりにくいが、実際は悲しくなるほどである。人的被害がなかったのか、心配にはなった。

 ③の写真は、倒壊した家屋の持ち主だと思われる。何かの探し物をしているのだろうか。初日に県労連に行った時も話題になったが、被災を〝利用〟して崩れた家屋に泥棒に入るヤカラがいるという。これは、東日本大震災のときの例を出すまでもなく、想定内である。やめろ!! ということはたやすいが、それを失くす方策は見つかっていない。警備を強めるしかないことに、隔靴掻痒感ではある。

 被災状況を見ながらオーバ―ラップしたのは、中越沖地震の惨状だ。柏崎市には地震発生から4日目に現地入りした。家屋の壊れ方がよく似ていた。東日本は津波災害がひどく、周辺すべてが破壊されていたが、中越沖地震は〝局地的〟で、家屋が崩れていた。今回の地震と中越地震の類似点は「直下型」であることだった。(以下、次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
舛添都知事、こんどは政党交付金の〝ネコババ〟報道。末期症状だね。

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 中越沖地震は、2007年7月16日に新潟県中越地方で発生。M6.8、柏崎市、刈羽村、長岡市では震度6強を観測した。私は現地(柏崎、刈羽)を、地震発生4日後の7月20、21の両日に訪ねた。その写真が下である。さらにその下の今回の益城町と比較していただきたい。

【中越沖地震・倒壊した柏崎市内の家屋/2007年7月20日撮影】

【益城町の現場④】

 崩れ方が実によく似ている。何か強力な力で踏みつぶされたようである。直下からくる揺れは、家屋の支柱に強烈なダメージを与えて倒壊に至ったのだろう。震源地の深さは、中越沖は23㎞、熊本は11㎞と観測されているが双方とも浅い方だ。震源地の深さと破壊力の関係がどうなっているか、詳しくは知らないが浅い方が力は強いと思われる。

 下のような家屋を見つけた。作りは新しい。しかし1階部分が押し潰された形になっている。見ていただきたいのは左奥の家だ。この家も新しそうだが、外観は無傷状態だった。隣り合わせで新しい家にもかかわらず、片方は押し潰されている。

 不思議な光景である。この違いが被災者どうしの意思疎通に支障をきたすことがある。東日本のときもそうだったが、津波が自宅の目の前まできたものの、家は流されずに済んだ家族が「お宅は良かったですね」と言われたとき、申し訳ない気持ちになった、という話しを聞いたことがある。

【益城町の現場⑤】

 益城町の山間部にも行ってみた。これまで見て来たような家屋の倒壊はなかったが、屋根瓦が落ちてブルーシートがかけられてあった。ブルーシートは災害発生時に実に役に立つ。雨風をしのぎ、寒さを防ぎ、屋根に張れば雨漏り防御になる。今回も直後にブルーシートを求める列ができたという。

【益城町の現場⑥/山間部の集落】

 車は、益城町を通り過ごし西原村に入った。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
今春卒業の大学生の就職率(4月1日時点)は前年春より0.6ポイント上昇(時事通信)。喜ばしいことだが、生活は大丈夫か。


 

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