水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)釈然としない、栃木女児殺害事件判決①~③ 16/04/13

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 きのう(4/8)宇都宮地裁で、「栃木女児殺害事件」の判決が言い渡された。被告は取り調べ段階で殺害を認めたものの、公判では全面拒否したという事件である。この事件で私が重視したいのは、〝自白〟だけで物証が何一つない、ということ。そしてもう一つは、取り調べのビデオが裁判で公開されたが、これが可視化にあたいするものかどうか、という点だ。

 考察の前に、まずその報道から。

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勝又被告、「無期懲役」に表情変えず=体硬くし、前見据える―栃木女児殺害
時事通信  4月8日(金)16時18分配信

 「被告人を無期懲役に処する」。

 宇都宮地裁で判決を言い渡された勝又拓哉被告は、体を硬くし、前を見据えて聞き入った。有罪の宣告にも、表情を変えることはなかった。

 午後3時前に入廷した勝又被告はグレーのシャツに黒のパンツ姿。弁護人の隣に座ると声を掛けられ、何度かうなずいた。

 松原里美裁判長に促されて証言台の前へ。緊張した面持ちで、一度大きく息を吐いてから裁判長らに向き直り、判決を聞いた。

 判決理由が読み上げられる間は椅子に座り、手を膝の上に置いたまま。体は動かさず、表情もほとんど変わらなかった。

 6人の裁判員は一様に険しい表情で、判決文に目を通していた。
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 事件のおさらいをしよう。

 栃木県今市市(現・日光市)に住む小学1年生の女児が、2005年12月1日に行方不明となり、翌2日に60㎞離れた茨城県常陸大宮市の山林で刺殺体となって発見された事件。捜査は難航、07年3月に遺体の複数箇所から同じ男のDNA型が検出されたことが報道されたものの、これは栃木県警の元捜査幹部のものであったという。

 14年4月、偽ブランド品を所持・販売したとして32歳の男性が逮捕され、栃木県警は女児殺害の容疑者の可能性を示唆、捜査中であることを発表。事件発生から9年目である。この事件は捜査特別報奨金の対象になっていたことから、情報提供の2人に500万円を支払った。報奨金支払いは全国的に見てもこれで2例目だという。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
バトミントン選手も違法賭博汚染。プロ野球といい、アスリートのメンタル面に問題があるのでは?

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 偽ブランドの所持・販売につづいて再逮捕された容疑者は、捜査段階で殺害を認めたものの、裁判が始まった今年2月「被告は『殺してません』と起訴内容を否認し、無罪を主張した。」(朝日新聞2月29日)のである。

 検察側が有罪と主張する主な論点を報道から整理すると①事件の起きた連れ去り現場付近で被告が所有していた白い乗用車が目撃されていたこと②通過車両の自動車ナンバー自動読み取り装置に女児の遺体が発見された現場方面へ被告が走行していたこと③遺体の傷痕の一部が被告が当時持っていたスタンガンによるものと考えられること④女児の遺体に付着していた猫の毛が被告の飼い猫の毛と考えても矛盾しない――などということになる。

 これに対して弁護側は①女児の死亡推定時刻は女児の胃の内容物などから、検査側の主張と矛盾する②遺体発見現場からは女児の血液がほとんど発見されなかった③自白には犯人しか知り得ない事実がなく、自白を強いられたのが理由だ――と強調し、自白には信用性も任意性もないと反論している。

 (重複して恐縮だが)検察側の上記主張を再度、要約し問題点を整理すると①数多くある白い乗用車が目撃され、それが被告のものではないかと見られた/が、被告の車とは特定していない。②女児が発見された現場方向へ被告の車が読み取り装置に映し出されている/が、その場所を通過しただけに過ぎない可能性もある。

 ③遺体の傷が被告が持っていたスタンガンによるものと考えられる/が、スタンガンによる傷を百歩譲っても、そのスタンガンが本人所有のものという証拠はない。④遺体に付着していたネコの毛は被告が飼っていたネコの毛と考えられる/が、その猫の毛はどこで付着したのか全く明らかになっていない。――ということが考えられる。

 検察側は上記のような状況証拠を事実上の「物証」としている。私は刑事事件などについて、まったくのシロウトであるが、これははっきり言って物証とは言えないと思う。全てが単なる〝状況証拠〟に過ぎないからだ。

 ではなぜ、裁判員裁判であったにもかかわらず、有罪になったのだろうか。〝決め手〟になったのは、どうも取り調べのビデオらしい。それは「裁判員たちは物証の「弱さ」を指摘する一方、『(犯行を自供した)録音・録画がなければ判断は違っていた』と話した。」(4月9日、毎日新聞)に代表されよう。

 テレビでもその一部が放映されたが、被告が殺害を認める供述の部分があった。1分足らずの短い時間で、理解に苦しんだがそれを見ながら、自白とはこういうものかと思ったものだ。ずいぶん昔のことだが、私は白鳥事件の元被告・村上国治さんと交友があった。その村上さんが「実はボクもウソの自白をしようと思ったことがある」と語ったことがある。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
G7外相が、広島の平和公園を訪問。原爆の実相をしっかり見て、核廃絶に活かしてほしい。

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 本題から少し離れるが、ご容赦いただきたい(村上国治さんとの関連は後段に収録)。

 村上国治さんのこの話しを活字にするのは初めてである。村上さんは不慮の事故ですでに亡くなって(1994年)おり、この話しを証明することはできない関係上、私は公にすることを避けて来た。しかしこの事件に触れて、冤罪ではないかという疑念がムクムクと起き上がり、自白に到るヒトの精神状態を推察するにあたって、国治さんの事例を出す必要があると感じたのだ。

 国治さんが自白をしようと思ったことを語った動機は、「日和見」に関する議論のときだった。日和見主義は「悪」なのかという議論であった。その時の彼の言葉を私は鮮明に覚えている。「日和(ひよ)るということは人間的なことだと思う」というのが国治さんの主張であった。

 その理由として彼が挙げたのは自分の経験だった。「私はウソの自白をしようと思ったことが何回かある。それは取り調べ検事から、ばぁちゃん(彼は母親のことをこう呼んでいた)が心配している。ばぁちゃんに心配かけるのは親不孝だ、と言われたときだった」と当時を振り返った。

 しかし彼は踏みとどまり、犯意も犯行も否定した。その結果が、網走刑務所も含めて18年余にわたる獄中生活であった。「自分の経験からも人間は日和見に陥ることは多々ある。その延長でウソの自白をしてしまうこともある。しかし、そのことは単純に批判されることではなく、むしろ人間的なことなのだと思う」――と国治さんは語ったのである。

 実に〝人間・村上国治〟らしい発言であった。このことを、国治さんが亡くなった後年、白鳥事件の運動にかかわった人たちの集まりで、(この人もすでに鬼籍入っているが)白鳥事件の弁護団の一人として活躍された、上田誠吉さんに話したことがある。上田さんは、「村上さんのその発言は理解できる。実に彼らしい人間味ある発言だ」と、高く評価していた。

 自由法曹団の団長も経験したことのある上田誠吉弁護士が、国治さんのそういう発言があったであろうことを認めた上で、「村上国治という男は、そういう人間臭さを持った優しい人だったのだ」と評価したのである。(次回につづく)

  ※注・村上国治さんとの関係/私は、村上国治さんが仮釈放された1969年当時は不当解雇撤回闘争を展開する争議団の一員だった。この年、「村上国治を返せ」という運動が全国的に展開され、大きく盛り上がった。その運動の一環として、「白鳥大行進」と銘打って九州から北海道まで、行進が行われた。今で言う「キャラバン」である。
  その行進に私は「返せ国治」というハチマキを締めて、全行程に参加した。当時まだ22歳と若く、争議団で職場がなかったことが〝幸い〟し、代表になってしまったのだ。3月から4月にかけて福岡市を皮切りに、主要都市を歩き網走刑務所まで歩いた。寒い年で、震えながら歩いたことを思い出す。雪の中の網走刑務所の面会室で、笑顔で迎えてくれた国治さんと握手したとき、その手のぬくもりが嬉しかった。
  この運動を通じて獄中の国治さんと手紙のやり取りをすることになり、仮釈放されてからも白鳥事件の再審運動にかかわりながら、交友がつづいていた。その運動の成果が「再審においても疑わしきは被告人の利益に」という白鳥決定を導き出し、その影響で何人かの死刑囚が生還しているのはご承知のとおりだ。

★脈絡のないきょうの一行
TPP批准審議、秋に先送り(読売)。またウソを並べ立てる、選挙対策かい?



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