水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長)「貧困」を考える10/06/24
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「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/
大先輩の戸塚章介さんが、ご自分のブログで6月11日付けの毎日新聞を引用し、「貧困」問題について書いておられる。新聞記事は、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが書いたもので、「経済成長で貧困は解消しない」「貧困と貧乏は違う」――をテーマにしています。この記事に対して戸塚さんは賛意を示しています。私も基本的には同じで、違った角度から考えてみます。
湯浅誠さんは、「低所得と貧困は完全にイコールではない。貧乏でも家族や友人、地域の人に囲まれ、幸せに暮らしている人はいる。貧困とはそうした人間関係も失った状態を指す」と指摘しながら「貧困=貧乏+孤立」だとしています。つまり貧困とは単なる低所得・貧乏ではなく、社会的に孤立状態がくわわったものであると指摘しているのです。
これは同感です。餓死者が出るほどの生活者後進国・ニツポン。餓死してしまうほどの実態は、人々が社会的にばらばらにされているからにほかなりません。ヒトは本来的に群れて生きる動物です。その群れが大きくなって、民族をつくり国家化するという道をたどってきています。従って、ヒトは本質的には困っている人がいれば助け合うという本能を持っています。
それが切り離され、低所得と孤立が重なり合ったところに『貧困』が生まれている、という、湯浅誠さんの指摘は的を射ています。
私は以前この小ブログ(09/1/9~1/19まで5回)で、「私の原風景」について書かせていただきました。学校に弁当を持っていけない、まさに赤貧のくらしでした。小学5年生くらいだったでしょうか、食料がなくなり、夕方に炭鉱夫の父と二人で農家のイモ畑に忍び込み、私が見張り役をやり父がイモを掘り出し、それを持ち帰って食卓に並べた経験は、私には、見つかりはしないかという「恐怖」のトラウマとなって今でも脳裏に焼きついています。
あの頃、貧しさに耐えながら家族は支えあい、近隣の人たちも同じ状態のなかで協力しあっていました。どこかの国のことわざに「貧乏は恥ではないが不自由である」というのがありますが、まさにそのとおりです。湯浅誠さんの言う「幸せに暮らしていた」という記憶はありませんが、少なくとも絶望感はありませんでした。そして餓死もなかったと思います。
そうみてみると、現代の貧困とかつての貧しさの相違点は、希望があるかないかだと思うのです。あの頃、貧しくてもいつか抜け出せるという希望がありました。しかし、現代のそれに展望は見当たりません。年間3万人を超える自殺者は、政治の貧困に起因しているといえます。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
いよいよ参議院選挙。単独か、連立か、過半数割れかに惑わされず各党の政策を見極めたい。
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パソコンに不具合が生じて、掲載が伸びてしまいました。すみません。前回からのつづきです。
貧困問題を考えるにあたって、少し気になる表現があります。「子どもの貧困」という言い方です。なぜかというと、親が貧困であるならば一緒にくらしているその子どもは当然貧困だからです。つまり、「子どもの貧困」という言い方は屋上屋的表現ではないかという気がするのです。もしその言い方でいけば、「女性の貧困」や「高齢者の貧困」という言い方も許されることになりはしないでしょうか。そうなれば貧困問題の本質が薄まってしまう恐れがあります。
子どもに貧困の責任はありません。(親が貧困であるという)結果としての貧困であって、問題は社会背景にあるはずです。確かに子どもを引き合いに出して貧困問題を論じれば、その深刻さを強調することはできます。私自身が子どもの頃、貧困家庭であったことからこだわりがあるのかもしれませんが、それでもやはり気になるところです。
もちろん、経済的に裕福な家庭にあっても子どもが〝貧困〟である場合がないわけではありません。父親がDVであったり、両親が不仲でけんかばかりしていたり、親が子どもへ暴力をふるっていたり。最近よく事件になっていますが、子どもにまともな食事を与えず死に至らせるというケースもあります。これは許しがたい最悪の悲劇で、あってはならないことです。
子どもが被害を受ける問題と、いわゆる貧困問題は違うことはお分かりいただけるでしょう。それでは「子どもの貧困問題」とどう向き合えばいいのでしょうか。私は「子ども政策」として位置づける必要があるのではないかと考えています。
つまり親が貧困であっても、子どもは安心して暮らせる政策こそが求められていると思うのです。以前、小ブログで書いたことがありますが「その国の政治のありようの良し悪しを判断するとき、お年よりと子どもがどれだけ大事にされているかで分かる」のです。子どもについていえば教育の無料化はその一つですし、教材や学校給食の無償化もまた検討の余地があると思うのです。
親が貧困である限り、一緒にくらしている子どもだけを貧困から脱却させるのは不可能なのであって、その事態を「子どもの貧困」という言い方で一くくりにするのではなく、社会的な存在である子どもを豊かに育てていくためにはどうあるべきか、という「政策問題」としてとらえる必要があると思います。「子どもの貧困問題」ではなく「子どもの政策問題」として考えてみてはいかがでしょうか。参議院選挙が始まりました。政策問題を考えるチャンスです。
★脈絡のないきょうの一行
政党乱立。目移りしそうだが国民主権の政治を行うのはどの党か、が、リトマス試験紙。