水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長)目に見えない〝穴〟が 10/05/25

 

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 母が逝ってから1ヶ月が過ぎました。「そんなことはないだろう」と思っていたことが起きていることを、不思議な感覚で受け止めています。

 何をか、といいますと、多くの人から親や兄弟が亡くなると脱力感を覚える、ということを聞いたこととの関連です。自分にはそんなことはないだろう、と思っていたのですがどうも例外ではないようです。どう表現すればいいのでしょうか、気づかない深いところで情緒不安定に陥っているような気がします。力が出ないのです。

 ずいぶん前、ある友人から「おふくろが死んで、夜も眠れなくなり薬に頼るようになった」という話しを聞いたことがあります。そのときはまさにヒトゴトでした。そんなこともあるんだー、という感じでした。ところが実際に自分の身に同じことが起きているようです。

 通勤途中に母の最期の場となった病院が車窓から見えます。そこを通るたびにいつの間にか、母が入っていた病室を探しています。時おり『行ってあげなくっちゃ』と思ったりしますが、「違う、ちがう」と我に返って否定しています。時間があってボンヤリしていることが多々、あります。しっかりした認識はないのですが、母のことを考えています。土、日が近づくと「特養ホームに行かなくっちゃ」と考えています。この10年余の生活がそうなっていたからでしょう。行かなくてもいい、楽になったはずなのですが、どうも楽になったとは思えないのです。

 「お母さんのことをずっと面倒みてきたからそうなるのではないか」という友人もいます。確かにそれもあるように思えます。特養ホームに入る前から、母の存在は私の中で大きな〝面積〟を占めていました。正直、大変だったし面倒臭いと思ったことがないわけではありません。しかし放置するわけにはいかず、母の介護はカミさんも含めて、二人三脚、いや三人四脚でした。

 母が突然逝って、生活の一部が欠如したことになります。そこから情緒不安状態が生まれているのかもしれません。ヒトは慣れ親しんだことが変化すると、心の中に穴が開くといいますが、ほんとうにそのようです。母のいない生活に慣れるまで、もう少し時間がかかるかもしれません。よろしくお願いします。

★脈絡のないきょうの一行
「痛みは分け合うものではなく、取り除くもの」。23日の岩国集会での参加者発言。そのとおり。