■水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長)「ヘボやんの独り言」より転載 活字離れ」は起きていない09/06/25

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活字離れ」は起きていない①

■水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長)

 先週末、所用で仙台に行きその夜、居酒屋で懇親会が開かれました。そのとき周りに私の持論をぶつけてみました。「若者の新聞離れ、とか、国民の活字離れということが言われるがこれは新聞の自己弁護だと思う。新聞離れや活字離れは、新聞自身が作っているのではないか。いま、新聞は反権力という原点を忘れてはいないか。それを忘れた新聞の体たらくに『新聞離れ』が起きているのではないだろうか」と。

 一瞬、静かになりましたが同感だ、という発言が出ました。「確かに活字離れ、という言い方はおかしいと思う。若者は最近、メールのやりとりが多い。あのメールは活字だ。絵文字なども使われるが、基本的には活字で自分の意思を相手に伝えている。もし活字離れがホントウだとしたらメールのやりとりなどしないのではないか」と。

 私もそうだ、と、膝を打ちました。そこでこの問題、少し掘り下げてみることにしました。

 最近、村上春樹氏の「1Q84」という小説が売れているそうです。私はまだ読んでいませんが、2週間で上巻・68万部、下巻・59万部(6月16日現在)の合計127万部に達しており、さらに勢いがついているといいます。沖縄密約事件をモデルにした、山崎豊子氏の「運命の人」もかなり売れているようです。それぞれの作家が久しぶりに執筆したこともあるのでしょうが、この数字は「活字離れ」とは縁遠いものと言えます。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
与謝野大臣の献金疑惑発覚。徹底的に追及してほしい。

 

 

 新聞や週刊誌など雑誌の販売部数は減少傾向にあることは事実です。が、一方で有名人や話題のホームページやブログのアクセス件数は増えていますし、「ケイタイ小説」も広がっています。ブログでは、人気ランキング1位の『きっこのブログ』は、長文のものもあり読むのは大変ですが、アクセス数は増え続けています。そうみてみると「紙活字」へのアクセスは減少しているが、「ネット活字」へのそれは増大している、すなわち「活字離れ」は起きていないといえます。

 (ここでは敢えて、新聞や出版など紙を媒体とするものを「紙活字」、インターネットによるものを「ネット活字」と言い換えることにします)

 ネット活字はケイタイでみてみますと、たとえば天気であったり、電車の時刻であったり、プロ野球の試合結果であったり、目の前で今すぐ必要と思われる情報を求めるときに多用されています。メールも同じでしょう。このようにネット活字利用者のニーズは主として、情報のスピード性にあることがうかがえます。

 スピードで紙活字はネット活字に敵いません。このスピードの違いが紙活字利用減の原因ではない、と私は考えています。原因は、新聞や雑誌が本来的にもっている言論性を喪失してきているところにあるのではないか、と私はみています。言論性とは何でしょうか。それは「反権力」の立場から、社会現象なり、ときの政府や権力を批判し、あるべき社会の姿を活字あるいは言葉で映し出すことです。それは新聞や雑誌が生まれて以来、紙活字の役割でした。ところがいま、それが軽視されているのではないかというのが、私の疑念です。

 言い換えれば、「新聞離れ」を起こしているのは、読者ではなく新聞社自身なのではないか、ということです。新聞は権力批判を貫いているでしょうか。はっきり言って不十分だと思います。だから、新聞離れがおきているのであって、それを「活字離れ」とともに読者や国民に転嫁するのはお門違いです。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
小沢一郎のときはあれだけ大騒ぎしたのに、与謝野馨はダンマリ。検察とメディアの陰謀か。

 

 

 毎日新聞社が倒産しかけた1975年、毎日新聞労働組合は再建闘争を展開しました。そのときのスローガンの一つは「経営再建は紙面から」でした。反権力を貫き、読者のニーズに応える紙面づくりこそが、再建のカナメであることを打ち出したのです。その延長だったのでしょう、ロッキード報道を活性化させ、現職の内閣総理大臣を逮捕・退陣に追い込み、毎日新聞社はこの報道で「新聞協会賞」を受賞したのです。

 最近の新聞報道(ジャーナリズム)の実態はどうでしょうか。沖縄など一部の地方新聞で奮闘は見られますが、前回も書きましたように不十分です。結果、反権力どころか「半」権力と揶揄され、マスコミならぬマス「ゴミ」と称される始末で、批判の対象に成り下がっています。これでは読者のニーズに応えることはできませんし、若者に限らず国民が新聞を読まなくなる、すなわち「新聞離れ」を起こすのは当然だといえます。最近、少なくない友人から「新聞が面白くない」ということを言われます。そのとおりだと思います。反権力を忘れた新聞は、歌を忘れたカナリアと同じだからです。

 それでもなお、読者や市民は新聞に期待しています。新聞の影響が大きいことを知っているからです。新聞社は「活字離れ」や「新聞離れ」の自己弁護をやめ、紙活字が歴史的に持っている言論性の再構築を模索すべきです。そこに新聞や雑誌など紙活字産業の生き残る道がある、私はそう思っています。

 先に紹介しました『きっこのブログ』は、みごとなまでに権力批判を貫徹しています。(私もファンの一人ですが)そこまで書くかい、と思うほどの筆勢です。部分的に批判がないわけではありませんが、「反権力」を貫き通すという意味において、このブログは秀逸だと思います。だから、このブログが人気ランキング1位になるのです。そのことについて新聞をはじめとした、紙活字は学ぶべきではないでしょうか。

★脈絡のないきょうの一行
「千代田区労協」のホームページ、アクセス数が1万台に。もっと活用を。