水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)上林曉(かんばやし あかつき) 11/11/18
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「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/
きょう(11月11日)は、同じ数字が6回並ぶ百年に1回しかない特徴ある日です。日付をあらわすのに6桁がよくつかわれますが、きょうは「111111」となります。このように同じ数字が6回繰り返されるのは、11年11月11日しかなく次回は、2111年の百年後となります(もっともこの年は1が7つ並ぶことになりますが)。「だから何なんだ」といわれればそれまでですが、そういう日です。きょう生まれる女の子には「並子」とつけましょうかね。
それはさておき、JR荻窪駅前の青梅街道を横断し、新宿方面に少し歩いた左手に「天沼八幡通」があります。入り口の門構えに提灯がぶら下がっており、分かりやすい。一方通行の狭い通りですが、ここを道なりに歩いて行くと突き当たりにこの通りの名称の由来となっている、天沼八幡神社が静かなたたずまいを見せています。
ここをさらに道なりに歩いていくと、左手に天沼弁天池公園という小さな公園にたどりつきます。その公園奥の一角に「杉並区立郷土博物館分館」が建っています。公園入り口の花壇には、四季折々の花が目を楽しませてくれます。私がここを訪ねた日は、コスモスが満開でした。
その杉並区立郷土博物館分館の1階で、いま、『孤独の扉を開く ~上林曉と濱野修の友情物語~』という展示が行われています(来年の1月22日まで)。ここを訪れたのは、この展示を観るためです。
上林曉(かんばやし あかつき)という作家をご存知でしょうか。本名は徳廣巌城(とくひろ いわき)。1902年10月に高知県幡多郡田ノ口村(現・黒潮町)生まれ。21年に熊本大学に入学したものの東京大学に再入学、27年に同校を卒業しています。翌年、田島繁子と結婚。卒業後は出版社「改造社」に入社し、仕事のかたわらで小説を書き続けますが、34年に退社。
文筆活動に専念したものの、生活は厳しいものとなります。加えて妻は精神病を患い、入退院の繰り返し。そのなかでも小説を書き続けます。上林は天沼に住み、この周辺に住んでいた作家たちとの交友が深まります。ドイツ文学の濱野修、太宰治、安成二郎、井伏鱒二、青柳瑞穂、木山捷平らがそれで、のちに「阿佐ヶ谷会」という名前がつけられます。
この阿佐ヶ谷会、誰が命名しいつ発足したのは定かではないのですが、どうも酒と将棋を趣味としていたようです。年に何回か現存する奥多摩・御嶽駅ちかくの蕎麦屋「玉川屋」で、今風に言う飲み会を開いています。その模様は、彼らが残した小説のなかによく出てきます。写真も残っています。文豪たちが何を話しあったか、そば耳を立てて聞きたいものです(シャレではありません)。
上林曉は、妻が病死(1946年5月)したあと、52年に軽い脳溢血で倒れ、さらに62年に再発し左半身不随となり寝たきりの生活に入ります。妻が入院しているころから、妹・徳廣睦子が田舎から上京し、上林曉一家の面倒をみることになります。その睦子さんは、現在でも上林と一緒に住んでいた、天沼の家で暮らしています。私はその睦子さんを訪ねたことがあります。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
野田首相、TPPの扱いに関する表明を先送り。熟慮か策略か。それでもなお「不参加」を求めたい。
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前回の続きです。
徳廣睦子さんは今年90歳、元気です。生きていれば私の母と同じ歳です。初めて会ったのは4年ほど前になるでしょうか。私の友人でサワダオサムという人がいます。滋賀県草津市に住んでいますが、この人が長年かけて、上林曉研究をやってきました。その集大成というべき本を出版することになり、睦子さんとの連絡役を私が引き受けることになったのです。
サワダオサムさんは、生前の上林曉にも睦子さんにも会っています。最初の連絡は電話でしたが、サワダさんが本を出版することになったことを伝えると、たいへんな喜びようでした。そのとき、睦子さんは自分の兄を「兄」あるいは「じょうさん」と表現していました。最初、「じょうさん」とは何のことかと理解できなかったのですが、上林の本名は「巌城」でありその下の文字を使ってそういう言い方をしたのでしょう。
兄と妹、仲の良さがこの言葉に表れています。その電話のやりとりのなかで、初めて「阿佐ヶ谷会」の存在を私は知ったのです。そのとき睦子さんは「阿佐ヶ谷会のメンバーだった青柳瑞穂さんのお孫さんが本を出版したそうです。阿佐ヶ谷会の人たちの作品をまとめたものだそうですよ」と教えてくれました。「そのうちお宅に伺います」ということで電話を切りました。
睦子さんが教えてくれたその本を、神田の三省堂書店で探したらありました。青柳いづみこ、川本三郎の共著で「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」というタイトルです。改めて、青柳瑞穂の孫だという青柳いづみこさんのことを調べてみました。肩書きは「ピアニスト・文筆家」となっています。むしろ、ピアニストしての活動のほうが主のようです。
この本は面白かった。阿佐ヶ谷会なるものの一端に触れることができます。あの文豪たちは仕事以外のときは将棋と酒に明け暮れていたようです。この本は「アマゾン」で検索すれば入手可能です。少し高いのですが、おすすめです。一方、サワダオサムさんの上林曉研究の本は 2008年10月に出版されました。表題は「わが上林暁―上林暁との対話―」となっています。
上林曉は「私小説家」として知られています。私小説(ししょうせつ、わたくししょうせつ)は、大辞泉によれば「1)作者自身を主人公として、自己の生活体験とその間の心境や感慨を吐露していく小説。日本独特の小説の一形態で、大正期から昭和初期にかけて文壇の主流をなした。わたくし小説。2)イッヒロマンの訳語。」としています。
つまり上林の文学は、自身の生活体験を小説化したもの、ということになります。ということは、前回紹介したように、上林の生活は苦しいものがあり結果として小説自体が暗いものになっています。暗さゆえでしょうか、上林の小説に対して「プロレタリア文学ではないか」という人が少なからずいるといいます。が、社会批判という視点で見れば当てはまらなくなります。上林曉の作品を少し紹介しましょう。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
野田首相のTPP対応、内閣総辞職あるいは国会解散の始まりとみた。
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杉並区立郷土博物館分室の展示会場に、展示物や上林曉と濱野修の交友関係について紹介したメモが置いてあります。これは、「あかつき文学保存会」の会報号外の形をとっています。この保存会の成り立ちは後述しますが、この会の代表を務めている萩原茂さんが、上林曉の作品を紹介しています。その部分を転載させていただきます。
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「薔薇盗人」(昭和7年)で、新進作家として注目され、代表作には▼「聖ヨハネ病院にて」(昭和21年)、「春の坂」(昭和32年)=この作品を収録した『春の坂』で昭和33年度芸術選奨文部大臣賞受賞、▼「白い屋形船」(昭和38年)=この作品を収録した『白い屋形船』で昭和39年読売文学賞、▼「ブロンズの首」(昭和48年)=昭和49年第1回川端康成文学賞受賞、などがあります。(以下略)
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もちろん、上林の作品はこれだけではありません。上林曉全集(筑摩書房)が出版されていますが、それは全19巻あり膨大です。前出のサワダオサムさんが、1964年に「上林暁作品年表」を編纂したとき、何人かの作家などに上林作品のなかで何が一番好きか、というアンケートをとっています。これは興味深い。
▼川崎長太郎(作家)/「聖ヨハネ病院にて」
▼宍戸恭一(三月書房)/評論集「文学の歓びと苦しみについて」
▼尾崎一雄(作家)/何が一番と云われると困ります。「聖ヨハネ病院にて」も好きだし、最近では「白い屋形船」も好きです。
▼野間宏(作家)/「薔薇盗人」の書き出しは、すぐれていると思います。題名もよい。しかしその後、美しい題名がなくなっていきます。
▼山室静(評論家)/特にこれ一篇という名作のあげにくいのが氏の遺憾な点で、「聖ヨハネ病院にて」「草深野」「春の坂」その他好きな作はかなりありますが、どうも一篇となるとあげにくい。「真乙女」などはその候補。
このアンケートは「上林の文学をどう思うか」という質問もしています。
▼川崎長太郎/私小説の一高峰。
▼中野重治(作家)/静かな滋養。
▼尾崎一雄/親愛感溢れた作風です。化粧で美しくするのではなく、生地をみがいて綺麗にしようとする流儀だと思ひます。
▼野間宏/誠実を貫こうとする文学です。
▼山室静/全作品を読んでみたい一人です。文人文学といったものの最後の人(氏一人というわけではないが)と思います。
――などが返ってきています。中野重治の「静かな滋養」というのがいいですね。これらのアンケートの回答、上林作品の紹介にあたって私の感想を書くよりよほど的を射ていると思い、紹介しました。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
プロ野球日本シリーズ、中日とソフトバンクが2勝2敗のタイに。いい試合してるね。
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前回、「あかつき文学保存会」のことを書きましたが、この会、上林曉の残した数々の資料を後世に残す目的でつくられたものです。きっかけは、サワダオサムさんの「わが上林暁」の上梓でした。
その出版祝う会を、滋賀県大津市で開きました。その席でサワダさんから「上林の関連資料は、妹の睦子さんが全て管理している。睦子さんもそう若くはない。資料が分散しないよう、何か方法がないだろうか」という提案があり、動きが始まったのです。東京に上林曉の研究をしている高校の教師がいました。萩原茂さんがその人で、上林研究という一致点で、サワダさんとの交友がありました。
そしてもう一つ、面白い集団がありました。サワダオサムさんの本を売り出そうと、「サワダオサム熱烈予約実行委員会」なるものをつくり、動いたグループです。その中心に、何故か、元毎日新聞労働組合の委員長と書記長が座ったのです。サワダオサムの上林曉に対する熱意に触発されたのです。私も微力ながらお手伝いをしました。
サワダオサムさん自身は脳こうそくで歩くのがやっとという状況となり、そのグループと、萩原さんが合体して「あかつき文学保存会」を立ち上げたのです。以降、何回か睦子さんの自宅を訪ね、上林曉のことなど聞き取り調査も行いました。「兄はそこに寝ていたんですよ」と、昔をなつかしむように睦子さんは語ってくれました。
睦子さんが住む家には、貴重な資料が残されています。川端康成の揮毫による「上林曉生誕の地」という掛け軸は立派です。太宰治や井伏鱒二らからの手紙もあります。もちろん、上林曉全集も全てありますし、出版された単行本もそろっています。私にはその価値が分かりませんが、画家から贈られた絵も多数あります。これらはある意味、かけがえのない文学遺産です。
そして極めつけは、上林曉が半身不随になって書いた原稿です。みみずが這うような、象形文字にもならない文字は、最初の頃は睦子さんが本人に確認しながら清書していました。しかし、後半になるともう読める状態ではありません。その原稿をコピーさせてもらい、サワダオサムさんが解読を始めていますが無理なようです。
これらの貴重な文学資料を残そうと「あかつき文学保存会」を立ち上げたのです。会報をつくり、周りの人々に協力を呼びかけています。それは静かな広がりとなり、思ってもいなかった方向から連絡が入ったりしています。徳廣睦子さんは90歳を迎え、はっきり言って残された時間は多くありません。上林曉の貴重な文学資料を、できれば杉並区に管理してもらいたい、そんな思いも持っています。
上林曉は1980年8月28日に77歳で生涯を閉じました。それでも、昨年は講談社学芸文庫が「聖ヨハネ病院にて・大懺悔」を、今年に入って「星を撒いた街」(夏葉社)が刊行されるなど、上林作品は現在でも息づき見直されています。
とりあえず、杉並区立郷土博物館分館(杉並区天沼3-23-1天沼弁天池公園内)で、来年1月22日まで展示中のものをご覧いただきたいと思います。「阿佐ヶ谷会」の文豪たちの雰囲気にあなたも浸ってみませんか。そして貴重な文学遺産を保存する運動に、ご協力をいただけると嬉しいです。なお、「あかつき文学保存会」の連絡先の一つに、このブログを発している千代田区労協も入っています。
★脈絡のないきょうの一行
労働者派遣法の改正問題、逆流が始まった。これはTPPの雇用自由化と連動したものだ。