水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長) 八ッ場ダム問題を考える
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「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/
八ッ場ダム問題を考える1
10月に入りました。朝夕は秋らしさが漂い、夏布団では寒さを感じます。暑がりの私はまだ半袖ですが、通勤電車をウォッチングしてみましたら、9割が長袖になっていました。この季節は風邪を引きやすく、新型インフルの恐怖もありますのでお互いに健康には留意したいものです。このブログも300回目を迎えました。多くのみなさんの激励があったからこそ、ここまで来れました。引き続いて応援をお願いします。
今回から八ッ場ダム問題について触れてみます。歴史的な経過などもありますので、少し長くなるかもしれませんが、おつきあい下さい。もちろん私は、建設断固反対の立場です。
このダムを作ろうということになったきっかけをご存知でしょうか。話しは相当古くなります。1947年といいますからなんと、私が生まれた年のことです。この年の9月に大型台風が日本に接近しました。先週の土曜日、メディアで「伊勢湾台風から50年」ということが取り上げられていましたが、1947年のこの台風は「カスリーン台風」と名づけられていました。
今では台風の呼称は「第○号」などといいますが、当時は連合軍の占領下にあり女性の名前がつけられていたといいます。第○号という言い方をしますが、被害が大きかったものは「洞爺丸台風」や「狩野川台風」のように固有名詞や地名を冠する場合もあります。伊勢湾台風もその一つです。日本のこの扱いとは別に、台風には「アジア名」というものもありこれは140種類で、順番に名前がつけられる仕組みになっています。
カスリーン台風は9月15日から16日にかけて、紀伊半島の南部から房総半島南端をかすめ、三陸沖に走り抜けました。その間、関東地方に大量の雨を降らせました。特に群馬県の赤城山麓や足利市はひどかったといいます。大量の雨は利根川や荒川の堤防を決壊させ、東京東部を含む広範囲で家屋浸水が発生しました。
そしてその犠牲者は死者・1077名、行方不明者・853名、負傷者・1547名を数えたのです。戦後間もないこともあり、防災対策がしっかりしていなかったことも被害を大きくしたと言われています。このカスリーン台風を教訓として、1949年に国の治水調査会は「利根川改訂改修計画」を策定し、その一環として1952年に初めて八ッ場ダム建設計画が登場したのです。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
1票の格差裁判で「選挙制度見直し必要」と最高裁。解決策は簡単。全国1区の比例制度だ。
八ッ場ダム問題を考える2
前回のカスリーン台風に関連したエピソードを。一つは、利根川の大規模な堤防破壊現場に、今でもカスリーン公園(大利根町)として残っているそうです。そしてもう一つは、埼玉県の被害にあった市町村では、市街地の電柱に当時の浸水深度を示す赤線が引いてあるそうです( Wikipedia)。幸手市や春日部市にお住まいの皆さん、チェックしてみてください。
八ッ場ダム建設予定地は、群馬県吾妻郡長野原町で利根川の支流である吾妻川(あがつまがわ)の中流部に位置します。JRでは吾妻線、国道は長野原から沼田までの49.8kmの145号線沿いになります。この道は沼田から行く場合、草津温泉、白根山麓を経てスキーのメッカ・志賀高原方面へ、さらに別のルートを利用すれば軽井沢へ抜ける道ともなっています。私は山に登るときに何回か利用しています。
この国道、今年9月の連休(シルバーウィーク)中にかなり混雑したそうです。そうです。話題になった八ッ場ダムの建設現場を見ようという野次馬の車によってです。八ッ場ダム工事関係者によると「通常の休日はせいぜい1日300人くらいだが、この間は連日1300人が押し寄せた」(J-CASTニュース)といいます。人が集まれば地元にお金が落ちると思われがちですが、軽井沢や草津方面に行く人が立ち寄っただけで、ただ混雑を招いただけだのようです。
いよいよ本題に入りますが、このダムの建設計画は1949年に、経済安定本部(※注)の諮問機関である治水調査会の答申に基づいて手がけられた「利根川改訂改修計画」の一環として、カスリーン台風規模の水害から東京および利根川流域を守る、という目的で1952年に発表されました。ここから、現在にいたる動きが出てくるのです。(次回につづく)
※注・経済安定本部/1946年(昭和21年)8月、経済安定本部が設置され、戦後の経済再建のための緊急対策の企画立案、総合調整などを行うこととなりました。経済安定本部は、内閣総理大臣が総裁、国務大臣が総務長官になることとされました。
★脈絡のないきょうの一行
景勝地「鞆の浦」(とものうら)の埋め立てはまかりならん、の地裁判決。やっと文化国家に。
1952年にダム建設計画が発表されましたが、吾妻川上流の白砂川や万座川の水質が強酸性だったため、この解決策が急がれました。強酸性水はダムを建設した場合、当時の建設技術では鉄骨やコンクリートの腐食が早まるというダメージが大きく、この解決策が求められたのです。強酸性を証明するかのように、白砂川の上流にある「尻焼温泉」の河原は、酸化して真っ赤になっています。ぜひ行ってみてください、ここの温泉もいいですよ。
横道にそれますが、この白砂川の名前の由来となっているのが、前述の尻焼温泉から車で20分ほど先の、野反湖に登山口を持っている白砂山(しらすなやま)です。この山は「日本200名山」の一つに数えられ、新潟県、長野県、群馬県の三県にまたがっており、いい山で、おすすめです。ついでにもう一つ山の紹介。野反湖を見下ろす位置になる「八間山」というのがあり、ここのふもとに地元の子どもたちが育てている高山植物の女王「コマクサ」の群落があります(今もあるはずです)。道路からすぐで、ハイヒールでも行けます。コマクサを見たことのない人は、7月中旬にぜひどうぞ。
強酸性の水を中和する工事(「吾妻川総合開発事業」)が進められ、改善を見ました。そのことにより、1967年に現在の予定地にダム建設が決定されたのです。しかし、この計画への反対運動が起きました。一つは、名湯として名高い「河原湯(かわらゆ)温泉」が水没し、340世帯が移動しなければならなかったからです。そしてもう一つはこの地域の名勝である「吾妻峡」の中間部にあたることから、ここも水没の憂き目にあったからです。
さらにこれも大きな問題になったのですが、ダム建設によって固定資産税が水没地を擁する長野原町ではなく、下流の吾妻町(現・東吾妻町)に落ちることになったためです。これは町政にとってゆゆしき問題です。加えて、「首都圏に住む人たちのために、水没地域に住む人たちがなぜ犠牲にならなければならないのか」という純粋な疑問も沸き起こりました。
長野原町議会は「建設絶対反対」を決議し、町全体を巻き込んだ反対運動が盛り上がったのです。その反対運動の影響は、長野原だけでなく利根川本川の「沼田ダム計画」にも飛び火し、これは頓挫してしまいました。河原湯温泉街では建設省職員が街を歩くと、鐘や太鼓で追い返されるという事態がつづいたといいます。70年代に入ってからは、74年に建設反対を唱える町長が誕生し、建設のめどはさらに遠のくことになります。この頃、ダム建設が進捗しない代名詞として「東の八ッ場、西の大滝」という言葉が生まれたといいます。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
中川昭一元財務大臣、最後まで不摂生がたたったのではないだろうか。合掌。
ダム建設反対派を「説得」し反対運動の沈静化を狙って、行政側は川原湯温泉をはじめ地域の生活再建策を打ち出しました。そのための法律的措置の一つとして、「水源地域対策特別措置法」が制定(73年)されています。この法律は受益者である吾妻川の下流の地方公共団体にもダム建設費の一部を負担させようというものです。この法律に基づいて東京都も拠出し、あの石原都知事が「ダム建設を中止するならカネを返せ」と主張する根拠となっています。
さらに建設省は吾妻峡の保存のためにとして、ダムの建設場所を600㍍ほど上流に移動させることも表明しました。その結果、吾妻峡の4分の3は残ることになりました。このような一種の懐柔戦略により、1990年の長野原町長選挙でダム建設推進派が選出され、92年に長野原町、群馬県、建設省との間で建設推進を前提とした協定書が結ばれたのです。この協定に基づいて94年にダム建設の最初の工事として工事用道路の建設が始まり、2001年に長野原町内のダム工事用地を買収する際の補償基準が成立しました。
この補償基準が決まって以降、住民の流出が始まり2005年末時点で、当初の半数以上の世帯が転出しました。さらに2006年4月現在では、全水没地区である川原湯・川原畑では代替地への移転希望世帯は50世帯あまりと、当初世帯の5分1以下になってしまったといいます。
これはつまり、地域外に8割の世帯が移転したことになります。その理由は、①移転代替地が完成するまでに時間がかかりそうだということ②代替地予定地の価格が住民の希望したものより高すぎたこと③移転の希望をもっていた人たちが町内外のほかの土地を選択したこと――などが上げられています。これは結果的に国の思うツボだったといえます。いや、移転代替地の完成の遅れや価格の高さは、住民を諦めさせる役割を果たしており、私流的に言わせていただければ〝未必の故意〟だったと疑わずにはいられません。
移転代替地は、「現地再建方式」と呼ばれる方法が採られ、ダム湖より上の山腹部(将来的には湖畔と呼ばれる部分)に建設されることになっています。このやり方は「ずり上がり方式」とも呼ばれていますが、これが分譲価格を引き上げる原因となっています。それが事前に分かっていながら、工事を進めてきた国の責任は免れません。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
足利事件で菅谷さんは、「検事の初調査の日は否定、翌日自白」(下野新聞)。取り調べのあり方に疑義。
八ッ場ダム問題を考える5
それでは、94年以降、道路工事が始まったダム建設の進捗状況はどうなっているのでしょうか。水没予定の国道145号線のバイパス工事と、県道が建設中です。この道路は8割近く完成しているという報道も見かけますが、実際は今年3月末で6%が完成しているに過ぎない(「八ッ場あしたの会」※注)といいます。JR吾妻線の付け替え工事も進んでいます。ダム本体の工事については、最近よく写真で見かけますが基礎部分のほんの一部が完成したばかりです。
道路の付替え工事は雨に弱い145号線が強化され、JR吾妻線もトンネル区間が多くなり、災害対応で改善されるという意見もあります。このような有利な面を評価して、観光客が増えるのではないかという期待感があります。しかしその対極に、河原湯温泉の水没で観光客が減るという見方もあり、評価は分かれています。
このダム建設費は何故か増え続けています。最近取り沙汰されている建設費・4600億円は04年に2100億円から修正されたものです。なんと、倍以上になっているではありませんか。この事態に対して、ダム建設反対派は起債の利息を含めると8800億円になるという試算を示し、日本のダム建設では歴史上最高額になると指摘しています。ダム推進派は「すでに建設費の7割を使っているから、ここで中止する訳にはいかない」と主張していますが、道路の整備とダム本体の柱部分だけで7割を使ったとしたら、あとの3割で出来上がるとは到底考えられず、建設費がさらに膨らむであろうことは容易に想像できます。
それに加え、「八ッ場あしたの会」は�東電への減電補償が数百億になる�ダムに水が入った場合周辺部に地すべりが起きやすくなり、その対策工事に数百億円の工事費が必要になる――ことをあげています。この問題はのちほど詳しく触れますが、この問題についてメディアがほとんど取り上げていません。何やら変です。(次回につづく)
※注・「八ッ場あしたの会」/2006年10月、八ッ場ダムを考える会会員有志らによる東京でのコンサート「加藤登紀子と仲間たちが唄う 八ッ場いのちの輝き」を出発点として、2007年1月発足しています。目的の一つに「半世紀前より水没予定地とされてきた『八ッ場』と周辺地域の苦悩に深く共感し、地元を尊重しながら八ッ場に持続可能な暮らしを取り戻す支援活動を粘り強くすすめる」を掲げています。
★脈絡のないきょうの一行
生活保護の母子加算復活へ動きが始まった。もう一つ、高齢者加算も復活してほしい。
八ッ場ダム問題を考える⑥
台風18号は信越、関東、東北地方を縦断し去っていきましたが、被害はなかったでしょうか。何人かの犠牲者が出たことは残念でした。災害問題もそのうち、じっくり考えてみたいと思っています。さて前回、八ッ場ダムの建設費全体がもっと膨らむのではないかということを指摘しました。改めて「八ッ場あしたの会」がまとめたものを再録・整理してみます。
①付替え国道は工事進捗率と事業費執行率から見て、事業費がかなり不足
平成20年度末までの付替国道の事業費執行率はすでに89%に達しているが、完成区間は6%にすぎず、残り11%の事業費で完成させるのは至難のことである。さらに、付替国道は4車線の計画であるのに、2車線の工事しか行われておらず、4車線にするためにはかなりの追加工事費が必要となる。
②東電への減電補償が数百億円になる
八ッ場ダムに吾妻川の水をためるためには、東京電力㈱の水力発電所に現在送られている流量の大半をカットすることが必要である。八ッ場ダムの貯水による影響はダム周辺の発電所から利根川合流点の発電所まで及ぶので、減電補償額は数百億円の規模になると予想される。
③試験湛水後、地すべりが頻発で大滝ダムのように数百億円以上の対策工事が必要
八ッ場ダムの貯水池周辺では22箇所も地すべり危険箇所があるので、ダム本体が完成して試験湛水をはじめれば、大滝ダム以上の規模で貯水池周辺において地すべりが発生し、その対策工事に何百億円という事業費が必要となることが予想される。
ということになります。①は字義通りで残り11%の資金ではとうてい予定どおりにはいきません。②ついていえば全く補償交渉は行われていません。従ってその多寡がどうなるのか不明です。しかも補償期間は一時期なのか、永久なのかも不明です。このダム、東電を儲けさせるためのものでは、と疑念を持ちたくなります。この問題では2週間ほど前しんぶん「赤旗」が問題を指摘していました。③は想像を絶します。ダムは大量の水を蓄えるわけですから、周辺に影響を及ぼすことは当然です。きちんとした対応をしなければ、新たな災害(人災ですが)が発生することも考えられます。(次回につづく)
※お詫びと訂正/この間の記述で「川原湯」が「河原湯」になっていた、というご指摘をいただきました。ご指摘にお礼を申し上げ、訂正させていただきます。(マスコミ9条の会のブログに転載の際は、予め訂正させて頂きました)
★脈絡のないきょうの一行
生活保護受給者が171万9971人になり、170万人を超えたのは45年ぶりという。うーん。
八ッ場ダム問題を考える⑦
前回は、ダム建設をこのまま進めた場合の費用問題について述べましたが、今回は自民党を始めダム建設推進派の「建設は必要である」という主張について、本当にそうなのかを考えてみたいと思います。
このダム建設の目的は、もともとは「治水」でした。この項の最初に述べましたように、カスリーン台風被害が建設への引き金になっています。その後、首都圏で水が不足する事態も生まれ、「利水」も目的のなかに入りました。従って治水と利水がこのダム建設の大きな目標となったのです。
ということは、治水と利水の両方とも必要なくなれば八ッ場ダムは不要ということになります。実はそうなのです。治水も利水も下流部では必要なくなっているのです。まず、治水で見てみますと、カスリーン台風以降この計画が出された50年余の間に、利根川の堤防強化工事はすすめられました。その結果、少々の大型台風や大雨にも対応できるほどになっているのです。しかも最近の護岸強化技術は進んでおり、専門家も太鼓判を押すほどです。
利水はどうでしょうか。この間、利根川水系をはじめそのほかのところに小規模ダム建設がすすみ解決されてきました。しかも一番深刻だと言われた東京都は、地下水の利用によって大幅に緩和されました。しかも、人口減(少子化)傾向もあり、水の量そのものも少なくて済むようになっているのです。
つまり、客観的データは「八ッ場ダム不要」を無言のうちに語っているのです。その現実を無視して、推進派は遮二無二なってダム建設へと走っているのです。ダム建設の理由となった治水も利水も事実上不要になったにもかかわらず、「すでにお金を投入し工事もすすんでおり、移転した人も多数いるから」というふうに論旨が変わってきているのです。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
鳩山内閣の外交、日・中・韓、アフガン、パキスタンとやりますねー。対話外交はOKだ。
八ッ場ダム問題を考える⑧
10月10日、共産党の主催で群馬県前橋市内において「いま改めて科学的・大局的に検証する八ッ場ダム問題学習会」が開かれています。この会には300人が参加、意見交換がなされ発言者とその内容について、12日付けの同党機関紙「赤旗」が掲載しています。その中に「八ッ場ダムをストップさせる市民の会」の連絡会代表の嶋津暉之さんが、『中止で高くつくのは誤解だ』という発言をしています。この問題、確かにメディアは正確に伝えないばかりか間違った報道をしているように見受けられます。以下、「赤旗」に掲載されたその一部を転載させていただきます。
◇=◇=◇
八ッ場ダム建設をめぐっていくつかの誤った情報があります。検証してみましょう。
一つは「中止したほうが高くつく」という誤りです。同ダム事業費は4600億円(残りは1390億円)としますが継続すれば増額が予想されます。
遅れている代替地や付け替え国道など関連事業の進行状況を考えれば、予算の追加は必至です。さらにこれから行う地滑り対策と東電への減電補償をあわせると、さらに1000億円ぐらいの増加が見込まれます。これに残った事業費1390億円を足すと2390億円が必要です。
一方中止した場合、国交省が示す生活関連の1390億円の残事業費のうち770億円です。これを比較した議論をすべきです。
(略)
次は「大渇水が来た時に八ッ場ダムがなかったらどうするのか」という話です。
大渇水が来るかは分かりません。しかし渇水の恐れがある夏場に果す役割が、同ダムは非常に小さいのです。同ダムは夏場になると洪水に備えて、28メートル水位を下げます。そのため貯水量は2500万立方メートルしかありません。
一方、利根川にある11基のダムの貯水量は4億5000万立法メートルです。八ッ場ダムが出来てもたった5%増えるだけ。同ダムの過大評価といえます
(略)
◇=◇=◇
嶋津さんのこの発言、説得力があると思います。建設費については、工事の進捗状況との関係でみればもっとかかるであろうことが予想されますが、この問題を除外してもさらに2390億円が必要だといいます。これはもう無駄遣いです。膨らむ建設費用と〝必要性〟だけをとってみても、八ッ場ダムは中止すべき対象です。(次回につづく)
八ッ場ダム問題を考える⑨
地元の人たちはこの問題をどう考えてきたのでしょうか。経過的にはすでに述べましたように、多くの住民が反対し「建設反対」派の町長が誕生したこともありました。しかし、長い年月を経るなかで切り崩しもされ、当事者のみなさんも年をとり行政の方針に従わざるを得ない状況に追い込まれていきました。そのあたりについて、地元の建設反対グループ「八ッ場ダムをストップさせる会」のブログは以下のように訴えています。
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見出し/八ッ場ダムは由緒ある温泉街をズタズタにしてきました。ダムのために苦痛の日々を送り、疲弊してきた50年の歴史。
八ッ場ダムの話しが浮上してきたのが1952年、その後、吾妻川の酸性問題で一時立ち消えになりましたが、東京オリンピックがあった64年に中和工事が完成し、ダム問題が再燃しました。地元の人々は長い間、ダム反対の姿勢を堅持しました。しかし、それは精神的にも肉体的にも大変な苦痛を伴うものでした。ダム起業者の手段を選ばぬ切り崩しに対抗するため、対策会議と抗議行動に追われる日々が続きました。何をするにもダム問題が関係し、片時もダムのことが頭から離れることのない日を送ることを余儀なくされました。やがて、疲弊した人々はダム建設を容認せざるをえなくなりました。
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決して気負いのない淡々とした文章ですが、当事者のみなさんの気持ちが表れていると思います。自分の生まれ育った場所を守ろう、ふるさとを守りたい、ここに住みつづけたい、景勝地を残したい、という思いは半世紀の長いたたかいで、間違いなく疲弊したのです。その気持ちを私たちは理解しなければならないと思います。
苦渋の決断によってダム建設を容認した。しかし、鳩山内閣になってそれが中止になるという憤りは理解できます。「今さら中止はないだろう」という心情は痛いほど分かります。この思いを、国、とりわけ前原国交相は真摯に受け止めるべきです。こういう事態をつくったのは自民党政権だ、と言ったところで解決する問題でないことははっきりしています。住民のみなさんとの血の通った対話こそが求められています。
その上で生活再建問題にも手をつけながら、解決の道筋をつくってほしいものです。決して、「強引にダム建設を進めたのだから、強引に中止してもいい」ということになってはなりません。それでは自民党政権と同じです。今まさに「住民が主人公」の温かい政治が八ッ場に求められています。政治とは「①まつりごと。②人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。主として国家の統治作用を指すが、それ以外の社会集団および集団間にもこの概念は適用できる。」(広辞苑)ものなのですから。(了)
★脈絡のないきょうの一行
90兆円を超える過去最大の概算予算。財源論争に引火だ。