水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長) 「維新」を考える 09/09/11
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「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/
「維新」を考える①
■水久保文明(JCJ会員 元毎日新聞労組書記 千代田区労協事務局次長)
総選挙の開票後、わたしはこの結果を「平成維新」と記しました(8月31日)。この問題、少し掘り下げてみたくなりました。
維新=①物事が改まって新しくなること。政治の体制が一新され改まること。②明治維新の略。(広辞苑)――ということになります。この意味からみれば、今回の選挙によって自民党政権から民主党政権に政治体制が変わった(一新された)わけですから、「維新」と呼ぶのが妥当のようです。
維新と同じような意味を備えた言葉で「革命」があります。これはどういうことを指すのでしょうか。広辞苑は(①②は略)「③イ・従来の被支配者階級が支配階級から国家権力を奪い、社会組織を急激に変革すること。ロ・急激な変革。ある状態が急激に発展、変動すること。」となっています。言い換えれば、政治体制が変わるという意味では双方同じですが、激変が「革命」で、そうでもない緩やかな変化を「維新」と理解してもいいのではないでしょうか。その立場から見ても、今回の選挙結果は「維新」と言えましょう。
それを前提にここで考えたいのは、明治維新と今回の平成維新の違いです。すでに大方はお分かりだと思いますが、明治維新の場合は薩・長・土・肥をはじめとした地方藩の権力者が中心になって起こしたものでした。維新の三傑といわれるのは、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允のことですが、彼らは薩摩藩と長州藩の重臣であり現代でいう体制側、つまり力を持った地方官僚というところでしょう。
ところが今回の維新は、(多くが被支配者側の)国民が国会議員を選ぶという憲法に基づいた手法で起きたもので、明治維新とはその原動力と質が違います。ここが大きなポイントだと思うのです。維新の起こし方が明治維新の場合は地方権力が主軸で、平成維新は国民・大衆によってなされたものと考えられそうです。50年ほど後の歴史学者が今回の政変をどう表現するか、興味のあるところです。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
外交、中でも沖縄問題の扱いで民主党と社民党に温度差あり。がんばれ社民党。
「維新」を考える②
前回の若干のおさらいをすれば、明治維新のことを「明治革命」と称しなかった意味がわかりました。明治維新は、地方藩が中心になって徳川幕府を倒して、天皇中心の政治を作り上げたものでした。すなわち、地方の権力が中央権力を倒して封建政治に終止符を打ったのです。その意味では、被支配者が支配者を倒したものではなかったのです。その考え方を踏襲すると、今回の選挙結果は自民党政権の崩壊は「急激な変革」とは言えず、「政治の体制が一新され改まること」と理解するほうが賢明で、やはり維新です。
その延長線上で考えれば、終戦の1945年8月15日は「昭和維新」と言ってもいいのかもしれません。戦後はまがりなりにも(象徴として残ったが)絶対的天皇制は廃止され、国民主権が謳われる憲法が制定され、「政治体制は一新」されたからです。しかしこれを「昭和維新」という位置づけはありません。理由ははっきりしています、国民が動いて起こした変化ではなかったからです。維新は(一部であっても)国民の手によって変化が起こされたときに使われる言葉だと理解していいのではないでしょうか。
ところで、ここに面白い結果があります。明治維新の主役であった薩・長・土・肥の人々は、変化を嫌ったようです。今回総選挙の選挙区の当選結果を見てみましょう。▼鹿児島県(薩摩)・自民3、民主1、国民新党1(注・国民新党は民主が支持し候補者を立てず当選)▼山口県(長州)・自民3、民主1▼高知県(土佐)・自民3、民主0▼佐賀県(肥前)・自民1、民主2――となっています。
民主が勝っているのは唯一、佐賀県だけで総数で見ると『自民10対民主・国民5』という割合になり、4年前の総選挙の比率に近い状態です。これは面白い。土佐の「いごっそう」や「はちきん」などは、変化を嫌ったようです。明治時代の革新派は、平成時代においては保守派になったのでしょうか。それとも、もともとの気骨がそうさせたのでしょうか。
とりとめもなく、「維新」を考えてみました。すみません、紙数を無駄にして。そういえば、私は肥前・佐賀県伊万里市(鍋島藩)の生まれなんですよね。カンケイないか。
★脈絡のないきょうの一行
民社国の三党による連立政権誕生。ただし、この政権の賞味期間は来年の参議院選挙まで?