河野慎二/ジャーナリスト・元日本テレビ社会部長/テレビウオッチ(48)テレビは「福島原発災害1年」をどう伝えたか…「調査報道」がテレビ報道信頼回復の鍵握る12/04/05

テレビは「福島原発災害1年」をどう伝えたか

「調査報道」がテレビ報道信頼回復の鍵握る

河野真二 (ジャーナリスト ・ 元日本テレビ社会部長)

 2011年3月11日、東北地方を襲った巨大地震は、東京電力福島第一原子力発電所を直撃し、未曾有の原発災害をもたらした。破壊された4つの原発から放出された放射能が緑豊かな福島の森や畑や海を汚染し、原発が立地していた周辺の多くの住民を原発難民に追いやった。1年後の3月11日、テレビ各局はニュース枠の拡大や報道特番を編成し、災害に見舞われた町や村の現状を伝えた。人っ子一人いない商店街や野生化した家畜に荒らされた民家の映像が、原発災害の酷さ、深刻さを改めて浮き彫りにした。

 この1年、国民は「原発安全神話」が崩壊するのを目の当たりにし、政官財学の「原子力村」が利益を恣にしてきた実態をこの目で見てとった。歴代政権は国民の税金を各種の交付金、補助金で原発に流し込み、電力会社は「総括電価方式」という名の不透明な電気料金で得た資金で「原子力村」を潤す。野田政権は、関西電力の大飯原発再稼動に前のめりになっているが、国民の不信は根が深い。

 朝日(3月13日)の世論調査によると、定期検査で停止中の原発の運転再開することに57%が反対すると回答し、賛成の27%を大幅に上回った。「原発に対する政府の安全対策をどの程度信頼するか」との問いに、52%が「あまり信頼していない」、28%が「全く信頼していない」と回答した。国民の8割が、野田内閣の原発安全対策を信頼していないのだ。将来原発をやめることについては、「賛成」が70%で2月の調査より4ポイント増え、「反対」は17%(6ポイント減)にとどまった。

 原発災害から1年、国民の意思は「脱原発」で固まったと見ていいだろう。問題は、国民の意思が国会に正しく反映されていないことだ。「脱原発」を巡って、国民と国会の間に大きなねじれがある。野田首相ら4閣僚はこれを奇貨として4日、大飯原発の再稼動を政治決断しようとしたが、地元の福井県や京都、滋賀、大阪などの反対が強く先送りした。しかし、再稼動にゴーサインを出すことは必至の情勢だ。

 この暴挙をどう止めるか。国会では憲政史上初めてという国会事故調査委員会が、公開の場で事故原因の調査を進めており、最終報告が注目される。しかし、国会議員レベルの動きは極めて鈍い。その理由は、国会議員の多くが「原子力村」と利害を共有し、「村」の恩恵に浴しているからだ。自民党はほぼ100%、民主党もかなりの部分が「村」の支配下にある。原子力発電は、電力、電機、建設、道路など日本の産業の隅々にまで影響力を広げ、多くの議員が分野毎にその代弁者としての役割を演じている。

 国会が国民の意思を反映した機能を発揮していないとすれば、後はメディアの掘り下げた取材に期待をかけるしかない。テレビや新聞など大手メディアは、この期待にどう答えたか。大手メディアの原発災害報道についてはこの1年、かってないほどの批判、不信が高まった。政府や東電の発表をそのまま垂れ流すテレビ各局の基幹ニュースは、「先の大戦中の大本営発表報道と同じではないか」と批判が集中した。

■ 原発問題の核心に迫れないNHK「ニュース7」
  「発表報道」から脱却できず、低レベルの報道に終始

 3月11日、テレビは「原発災害1年」をどう伝えたか。7割の国民が求める「脱原発」の声を正確に報道したか。世論を無視して原発再稼動に突き進む野田内閣の原子力政策について、問題点をきちんと伝えたのか。政府や東電の発表を鵜呑みにして伝える「発表報道」から脱却する姿勢は見えたのだろうか。まず、NHKの報道を、基幹ニュースの「ニュース7」とETVの「埋もれた初期被ばくを追え」で検証する。

 NHK「ニュース7」(11日午後7時)は通常の30分枠を1時間に拡大して、「東日本大震災から1年」を特集した。トップ項目は大津波で被害を受けた南三陸町や釜石市、気仙沼市、南相馬市、石巻市、岩手県の三陸鉄道などから生中継を含めたリポートと、政府主催の追悼式典などで構成した。死者1万5854人、行方不明3155人という未曾有の大災害だから常識的な項目編成と言えるが、問題は原発災害の扱いだ。

 NHK「ニュース7」が東電の福島原発災害を取り上げたのは午後7時20分過ぎから10分程度だった。内容は①事故を起こした1号機から4号機について、政府が冷却停止と宣言したものの、「メルトダウンした原子炉の中を把握できないという課題も浮き彫りになっている」と伝える。ただ、これまでの経過を振り返っただけで、新しい事実、情報はない。②次いで、原発の作業員にスポットをあてる。爆発した建屋で事故収束に当たる作業員は、被ばく線量が増え、働けない作業員が出ている。

 作業員の多くがPTSDやうつ病の原因となるストレスをかかえている。作業を請け負っている建設会社の所長は「この2、3年でも厳しい。これが何十年となると、ジリ貧になる」。この取材は特に新味はないが、多少なりとも発表に依存しない独自取材の試みを感じさせる。③「ニュース7」は次に、除染問題を取り上げたが、原子炉の報道と同様経過と現状を伝えただけで、内容は乏しかった。

 原発関連ニュースの最後で、「脱原発」を求める市民の動きを報じた。郡山市で開かれた集会には全国から1万6000人が参加した。「ニュース7」は農民や高校生代表の抗議の声を伝えた。都内で行われた国会を取り囲むデモについても「原発は再稼動させるな」とする参加者の訴えとともに報じた。脱原発の動きは殆ど無視してきたNHKニュースとしては異例の扱いだが、それだけ「原発NO」の世論が強いということだろう。

 市民の動きを除いて、なぜこうした腰の引けた扱いになってしまったのか。原発問題の現在の核心は、大飯原発再稼動ありきの野田内閣の問題点をどう伝えるかだ。福島原発事故の原因究明も安全性の解明も、いずれも道半ばだ。水素爆発したタービン建屋の惨状と剥き出しとなった格納容器の映像を見れば、原発の再稼動は無理ということは誰にも分かる。これらの問題に焦点を当てず、通り一遍の取材でお茶を濁した「ニュース7」の原発報道は、NHK基幹ニュースの信頼を失墜させるだけだ。

 核心から逃げたNHK原発報道の背景には、「発表報道」の悪習が横たわる。「発表報道」と対極にあるのが「調査報道」だ。政府や東電の発表に依存せず、独自の取材で隠された事実を発掘し、国民が正しく判断できる情報を届ける。原発災害が1年を迎えた今、「調査報道」の機能を発揮して視聴者の期待に答えるチャンスだが、「ニュース7」は「発表報道」の病弊から抜け切れていない。

■ ETV「放射能汚染地図5」ヨウ素131でスクープ
  「調査報道」の機能活かし、政府の無策を追及

 NHKの基幹ニュースが低レベルの原発報道に終始する中、他の番組がスクープ情報を掴んでいた。その番組は、ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図5 埋もれた初期被ばくを追え」(3月11日午後10時)である。ETV特集は、放射能汚染地図を初めて明らかにした昨年5月の第1回作品でJCJ大賞を受賞している。今回も、子どもたちの甲状腺に深刻な影響を与える放射性物質ヨウ素131の動きを、粘り強い取材で発掘する。「調査報道」の機能がいかんなく発揮されている。

 1986年のチェルノブイリ原発爆発事故後、ウクライナでは6000人を超える子どもに、甲状腺ガンが見つかった。ヨウ素131と甲状腺ガンの関係は、国際的に認知されている。しかし、ヨウ素131は8日間で半減し、急速に消えて行く放射性物質だ。福島ではヨウ素131を捕捉できず、記録もないとされてきた。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーを務める福島県立医大の山下俊一副学長が「線量が正しく推計できない。事故直後の放射性ヨウ素のデータが、全く入手できない。」と語る。

 ETV取材班は、浪江町から福島市に避難している国分さん一家にカメラを向ける。国分さんには幼い子どもが6人いる。内部被ばくの検査を受けたが、ヨウ素の説明はなく不安が募る。政府がスピーディの情報を隠したため、大量の放射性物質が降り注いだ津島地区へ浪江町の多くの町民が逃げた。津島地区区長の今野さんが「避難してきた人達は、ここまで来れば安心と、放射能には無防備だった。山で湧いた引き水をペットボトルに汲んで、飲んでいる人もいた」と証言する。

 3月15日には、福島原発最大の危機を迎える。同日午前6時過ぎ、4号機で爆発音とともに建屋が破損、2号機でも圧力が急低下し、大量の放射能が飛散した。24日、国は飯舘村や川俣町の子ども1000人を対象に、ヨウ素131が影響を与えていないか甲状腺の被ばく調査を行った。結果は、甲状腺に異常のある子どもはいないと発表した。ETVは、調査に使われた測定器はもともと空間線量を測るもので、甲状腺に蓄積したヨウ素の量を測定することは出来ないことを明らかにする。

 ETV特集は、なぜヨウ素が消える前に詳しい調査をしなかったのかを検証する。スタッフは、内部被ばくを担当する原子力災害対策本部と原子力安全委員会を取材。二つの組織間で交わされたファクスは、災対本部が「原発が悪化しない限り、調査の必要はない」と勝手に解釈し、追跡調査をしなかった事実を明らかにする。災対本部と、フォローしなかった原子力安全委の責任逃れの体質が浮かび上がる。野田政権の「総無責任体制」は行政の末端にまで蔓延し、子どもの健康や命を二の次にしている。

■ 弘前大チーム65人中50人からヨウ素131検出
  1歳児から基準を8倍上回るヨウ素吸入の推計値

 初期被ばく、ヨウ素被ばくの実態はこのまま埋もれてしまうのか。ETV特集は志のある医師や研究者を探して取材を進める。弘前大学被ばく医療総合研究所の床次眞司教授と福島県原子力センターの阿部幸雄さんだ。床次教授と医療チームは3月15日福島に入り、放射能検査を行った。床次教授は「ただならぬことが起こっていると感じた。小さな子どもが不安におびえている。その顔が目に焼きついている」と語る。

 床次チームは再度、4月11日から3日間、浪江町から津島地区に避難した65人の被ばく量を測定した。チームは、ガンマ線スペクトロサーベイメーターという測定器を使って調べた。このサーベイメーターは国が使った測定器とは違い、ヨウ素131を特定して測ることができる。その結果、65人のうち50人からヨウ素131が検出された。最大値は、事故後1カ月津島地区にいた成人男性の2233ベクレルだ。

 この実測値をもとに、甲状線に取り込まれたヨウ素131の被ばく線量を推計する。その結果、4歳児の場合、経口によるヨウ素131の摂取は434㍉シーベルト(SV)、呼吸による摂取は400㍉SV。1歳児は経口811㍉SV、呼吸753㍉SVという試算値が出た。健康への影響を防ぐ措置が必要とされる100㍉SVの約8倍だ。ただ、この線量を受けた子どもが見つかったわけではない。床次チームはこの数値を公表せず、浪江町に伝えて引き続き町を支援して行くことにした。

 福島原子力センターの阿部幸雄さんは、地震直後の12日から13日にかけて原発周辺15カ所のモニタリングポストで、ヨウ素131の測定を行った。福島原発西北西8キロの浪江町川添地区では基準の35倍、165ベクレルという高濃度のヨウ素131を確認した。ところが1号機で水素爆発が発生、外出禁止令が出てヨウ素測定は開始3日で中止を余儀なくされた。阿部さんは「15、16日には、高い濃度が観測できたはず。それが出来ず、忸怩たる思いだった」と無念の胸のうちを語る。

■ ヨウ素131の記録があった!
  原発5㌔のモニタリングポストのデータをスクープ

 事故から1年、阿部さんは今、地震で壊れたり、津波で流されたりしたモニタリングポストの復旧に当たっている。その仕事の中で、阿部さんはこれまで無いと思っていたヨウ素131のデータを発見したのだ。原発の西5キロの地点にある大野局のモニタリングポストだ。ここには、強力なバッテリー電源があったため、事故直後のデータが記録されていた。ETVのカメラが、阿部さんが発見したデータをスクープ映像で捉える。

 データには、気象情報とともに、スペクトルと呼ばれる、様々な放射性物質の分布を示すグラフが記録されていた。事故発生から6日間、大野局周辺で放射性物質が10分ごとに変動する様子が捉えられている。ヨウ素131の姿もあった。「これこそ、事故直後のデータの空白を埋めることが出来るのではないか」。阿部さんたちは期待を募らせ、データの公開を思い立った。多くの人に見てもらって、知見を付け加えるのが、このデータの活かし方だと考えたのだ。

 阿部さんのデータに研究者が注目した。長年にわたって放射能の実態調査を続けてきた元理化学研究所の岡野眞治さんも駆けつけた。岡野さんが関心を示したのは、3月15日前後のヨウ素131の動きが時系列で記録されていることだ。「これだけのデータがあるのは初めて見た。非常に貴重なデータですよ」。岡野さんのデータ解析に、鶴田治雄東大教授があらゆる気象変化のデータを入力し、シミュレーションの精度を高めた。その結果、東日本一帯でのヨウ素131や濃度の変化を導き出した。

 3月12日の1号機水素爆発後、ヨウ素131は6時間にわたって北西に流れる。14日には2号機で核燃料棒露出など異変が相次ぎ、15日の4号機と2号機の爆発や火災で高濃度の放射性物質の大量放出が再び始まる。風向きは南に変わり、1万ベクレルを超えるヨウ素131がいわき市など福島県南部と茨城、栃木を通過している。飯舘村や津島地区だけでなく、ヨウ素がどの位健康被害をもたらしたのか、検証が必要だ。

 岡野さんのもとに、阿部さんから新たなデータが届いた。原発から1・6㌔南の夫沢局モニタリングポストから回収した記録だ。夫沢局のデータは、大量放出があった15日のヨウ素131の動きを南側で初めて捉えたものだ。岡野さんたちは、新たなデータを解析し、シミュレーションの精度をさらに向上させる考えだ。次は、より広い範囲に住む人たちの被ばく線量の推計に挑むことを確認している。

 原発災害から1年。埋もれたままになっているヨウ素による初期被ばくに、解明への光がようやく射してきた。医師や研究者たちの地道な努力がもたらしたものだが、その解明は始まったばかりだ。果たして、科学者たちは空白を埋められるのか。そして、住民たちの不安にどこまで答えられるのか。ここに子どもたちの未来がかかっている。

■ テレ朝「報ステSUNDAY」核のゴミを追跡取材
  巨費投入もんじゅ運転停止、「設計ミス」人災認める

 民放でも「調査報道」が原発の問題点を抉り出した。テレビ朝日の「報ステSUNDAY 原発と新エネルギーをどうする」(3月11日、午前9時)と、日本テレビの「ドキュメント12 行くも地獄戻るも地獄~倉沢治雄が見た原発ゴミ~」(同24時50分)の2本である。二つの番組が取り上げたのは、原子力発電所から出される使用済み核燃料、いわゆる「原発ゴミ」の問題だ。巨費を投じながら、最終処分の着地点は見えていない。

 テレビ朝日の「原発と新エネルギー」は、長野智子キャスターが昨年6月、福井県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」を取材する。もんじゅは、若狭湾に面して14基の原発が並ぶ〝原発銀座〟の一角にある。もんじゅは原子力発電所でありながら、核燃料を作り出す〝夢の原子炉〟と持て囃された。1961年から開発され、80年代の実用化を目指して総事業費1兆円を投じたが、これまでの運転日数はたったの252日だ。

 もんじゅの現場で長野が原因をズバリ切り込む。すると職員は、あっさり人災と認めたのだ。長野「どうしてこんなことが起きたんですか」。職員「設計を怠ってしまった。設計ミスです」。長野「他は大丈夫ですか。人間のミスじゃないんですか」。職員「人間のミスです」。人災は2010年にも起きている。設計ミスによる燃料交換装置の落下事故で、現在も運転停止中だ。番組は「計画継続か撤退か、決断の時」と撤退を求める。

 長野は10月、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場を取材した。この施設は、「核燃料サイクル」の要だ。核燃料サイクルは、高速増殖炉の使用済み核燃料からでプルトニウムを取り出して、MOX燃料として再利用するシステムだ。しかし、プルトニウムを取り出す過程で、極めて高い放射能が出る。核のゴミだ。このゴミは、ガラスと混ぜ合わせ「ガラス固化体」として地中深く埋める計画だが、ガラス固化体の技術が確立していない上、最終処分場も決まっていない。

 岐阜県瑞浪市の山中にある瑞浪超深層研究所。地下1000㍍の深さを目指して巨大な穴が掘り進められている。タテ穴の途中にいくつもの横穴を作り核のゴミ置き場にするのが研究の狙いだ。最終的には、すべて丸ごと土で埋め戻してしまおうという計画だ。研究所の杉原弘造副所長が「10万年間は、安全評価をしないといけない」と語る。

 カメラが、こんこんと湧き出る地下水を捉える。この地下水を通って、放射能が滲み出すおそれはないのか。地下水の多い日本では恐ろしいプランだ。京都大学の小出裕章助教が「原発でウランを燃やすと、放射能の毒性は約1億倍高まる。約100万年閉じ込めておけば、元のウランの毒性まで戻ると言われている。そんな議論をすること自体が、科学のなすべきことではない」と批判する。

■ 日テレドキュメント12、スリーマイルの現在を取材
  米の核専門家「福島の処理はスリーマイルより困難」

 日本テレビの「ドキュメント12 行くも地獄戻るも地獄~倉沢治雄が見た原発ゴミ~」(3月11日24時50分)も、調査報道の手法で原発の問題点を取材している。日本テレビの原発担当記者(倉沢解説委員)が米スリーマイル島(TMI)原発事故の現状や、東電福島原発事故、浜岡原発などを取材し、原発には基本的な限界があることを明らかにする。

 倉沢記者は、TMIから3000㌔離れたアイダホ州のアイダホ国立研究所を取材する。広さは、東京23区を超える。日本のテレビカメラが研究所に入るのは初めてだ。武装した兵士による2回のボディチェックを受けて施設に入る。研究所には、1979年にメルトダウン事故を起こしたTMI原発の核燃料の残骸が保管されている。厚さ60㌢のコンクリート製の貯蔵庫には、残骸が入った鋼鉄の容器が収められている。保管が始まって20年、内部の計測器で放射線量や水素の量を常に監視しなければならない。

 TMI事故の後、核燃料の処理に当たった米原子力規制委員会(NRC)のレイク・バレット氏を取材した。「福島原発事故の処理は、TMI事故よりずっと難しい。何故なら、TMIは溶けた燃料はひとつだけで圧力容器にとどまった。福島原発は三つの核燃料が溶け、圧力容器の底を突き破った。建物も水素爆発で破壊された」とバレット氏は指摘する。

 帰国した倉沢は福島原発上空から「世界を震撼させたのは4号機の使用済み燃料プールだ。ひとたび燃料が溶け出すと、被害は首都圏に及ぶとの最悪のシナリオが想定された」とリポートする。さらに、昨年5月当時の菅内閣が運転を止めた浜岡原発や青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場などを取材。使用済み核燃料の保管が限界に近づいており、「巨大地震が起こると、一気に深刻な事態になる」と警告する。

 番組は、原発のゴミの最終処分場をどうするのかにスポットをあてる。1980年代に高レベル放射性廃棄物貯蔵の研究施設誘致計画が浮上し、反対運動が激化した北海道・幌延町や、高知県・東洋町を取材。幌延町の問題は、「核抜き」の研究施設とすることでひとまずピリオドが打たれたが、この計画に深く関わった故島村武久氏(通産省出身、原子力委員)の証言テープが残されている。島村氏が「幌延は試験はするけれども、最終(処分地)という考え方が非常に強かった」と、赤裸々に本音を語る。

 去年春、世界を驚かせるニュースがあった。米国などの原発ゴミを別の国で処分する計画があると、米政府高官が暴露したのだ。国務省核エネルギー安全保障責任者のリチャード・ストラットフォード氏は電話インタビューに「イエス、モンゴルだ。モンゴルが外国の使用済み燃料を引き受けるかどうかの議論が進んでいる」と答えた。日本の原発ゴミも受け入れの対象になっているという。モンゴル政府は受け入れを否定しているが、番組は「原発ゴミを他国に押しつけていいのか」と訴える。

■ 元山陽放送記者「発表報道だけでは何も見えてこない」
  テレビは「脱発表報道」を実現し「調査報道」強化を!

 3月3日、日本ジャーナリスト会議(JCJ)が調査報道セミナーを開催した。パネリストとして出席した元山陽放送記者の曽根英二氏(阪南大教授)が、「全国最悪の産廃不法投棄の島」といわれた香川県・豊島を20年にわたり追い続けた体験に基づいて、「発表ニュースだけでは、何も見えてこない。住民目線で、見えないものを掘り起こすと見えて来る。それが調査報道かと思う」と語った。

 曽根氏は、1990年7月にTBSの「NEWS23」で豊島の産廃問題特集を初めて全国に発信した。以来、2010年まで、特集は15本を越えた。不法投棄が野放しだった頃は、島を走るダンプが子どもを避けようとしなかった。「異常が日常となった」と曽根氏。「23」のキャスター、故筑紫哲也氏も島に来た。新聞各紙が報道を開始した。曽根氏は「豊島の産廃問題が風化するのを、抑えることが出来たかな。テレビが社会を動かすことが出来たかなと思う」と振り返った。

 曽根氏はセミナー配布資料の中で、テレビの調査報道のポイントに触れている。「テレビ的であることに徹すればおのずと、密着、独自の疑問を探って行くことになる。映像は嘘をつかない。絵は口ほどに物を言いである」「仕掛けることなく発表原稿を流しているだけなら、また、事件や事象の背景をえぐることのないテレビなら世の中の信頼を失うだろう。調査報道は基本の筈」と強調している。

 テレビ映像のインパクトは大きい。10秒や20秒の映像でも、独自に取材した決定的なショットであれば、新聞1ページ分の情報量に匹敵すると言われる。ヨウ素131のデータを押さえたNHKETV取材班の映像は、「データはない」と言い張ってきた政府に有無を言わせない証左を突きつけている。「もんじゅ」の現場で「人災」を認めさせた「報ステSUNDAY」や、アイダホの施設にカメラを持ち込みスリーマイル事故の現在を取材した「ドキュメント12」の映像も、テレビの調査報道として評価できる。

 調査報道の強化には、独自取材機能の整備が欠かせない。しかし、事件や事故、発表モノなどの対応に追われて、調査報道は二の次になりがちだ。だから、テレビ報道に対する批判、不信は根が深い。この1年、「東電や政府の発表を垂れ流すだけでいいのか」と厳しい批判が集中したことを、テレビは忘れてはならない。テレビは、曽根氏が提起した、調査報道の重要性を、真摯に受け止める必要がある。

 野田内閣の原子力政策はもちろん、福島原発事故の原因究明、原発の安全性の問題、自然エネルギー問題など、メディアの取材に課せられたテーマは山積している。2年目に入った東電福島原発災害。テレビが「脱発表報道」を実現して「調査報道」を強化できるかどうかが問われている。掘り下げた取材で原発問題の核心に迫るには、「調査報道」に軸足を移すことがテレビ報道にとって不可欠の要件である。