岩崎貞明/放送レポート編集長/「秋篠宮妃出産報道」に思う /06/10/01   



 「秋篠宮妃出産報道」に思う       

放送レポート編集長 岩崎 貞明

もう記憶の彼方に飛び去ったかもしれないが、さる九月六日、前々から予想はついて
いたとはいえ、テレビが朝から夜まで「秋篠宮妃男児出産」で一色に染められたのに
は、やはりちょっと驚きだった。民放は朝のワイドショーを特別編成にして放送枠を
拡大したり、特別番組を編成するなどして、早朝から宮内庁や愛育病院など拠点に中
継車を出して速報体制を組んだ。なかには、夜のゴールデンタイムに改めて特別番組
を放送したところもあった(視聴率は惨憺たるものだったようだが)。我が家では、
ラジオのニュースを聞いていた5歳の息子が突然「キコさんばかりで、もう飽きた
よ」と言い出した。
 

子どもが生まれたことを祝福することに異議を唱えるつもりはもちろんないが、今
回生まれたのが「男の子」で、そのことが特別に重要な意味を持つから各局が大々的
な報道を展開した、ということに少しひっかかるものがある。現行の皇室典範が女性
の皇族に皇位継承権を与えていない以上、男児が生まれるかどうかは天皇制そのもの
の存亡にかかわるわけだから、皇族が男児を出産するために、考えられる限りのあら
ゆる手段を講じるのは当然と言ってもいいだろう。また、高い確率による「男女産み
分け」もすでに実施されている昨今、皇族が仮にそうした手段をとったとしても、別
に驚くほどの話でもない。しかし、この間、まるで政府や皇室関係者が“ぐるみ”で
国民に隠しごとをしていたようで、何か釈然としないものを感じるのは筆者だけだろ
うか。また、このあたりの事情について、マスメディアも読者・視聴者に対してほと
んど何も説明していないことも、そうした不信感を抱かせる要因になっていると思
う。

天皇家の後継ぎが生まれたということは、天皇制存続を切望する人々からすれば、真
に喜ばしいことこの上ないであろうことは理解できるし、そのことを批判しようとは
思わない。しかし、マスメディアが「まことにめでたい」という意見しか取り上げな
いことは、ちょっと別の問題をはらんでくると思う。
出産の当日、テレビは各方面からの「お祝いコメント」やゆかりのある地域の人々な
どがお祝いの言葉を述べているようすをこれでもか、とばかりにどっと放送した。こ
こまでマスメディアがおおげさに「慶祝ムード」をあおる必要は、はたしてあるのだ
ろうか。いま心配なのは、「この慶事をお祝いしないようなやつは“非国民”だ」と
いう雰囲気を、マスメディアが醸成してしまうことにあると思う。
言論に対する実力行使が容認されるような社会になると、あらぬ被害を受けたくない
ことから自由な意見の表明が控えられるようになり、結果として少数意見は息をひそ
め、権力者の言いなりに社会が動いていくことになる。これが破滅に向かう道である
ことは、日本の歴史が示すとおりだろう。「おめでとう一色」になってしまっている
ことについて、メディア自身がもっと自覚的になってほしいと、切実に思う。

メディアにおける皇室典範の改正論議についても、一言触れておきたい。「出産特
番」のなかで、皇室典範改正の是非をめぐる議論を展開したものがいくつかあった
が、そこでの議題設定は、「女性・女系天皇を認めるか否か」というものに終始して
いた。制作者の意図としては「女性天皇に賛成か反対かという両論を扱っているから
バランスは取れている」というものだろうが、そこには少し違和感を覚える。
たとえば、女性天皇容認派のA大学教授と、認めないB大学教授をスタジオに招いて
議論したワイドショーがあったが、このA・B両教授は二人とも、首相の靖国神社公
式参拝については強力な賛成・推進派として知られる論客だった。ということは、皇
室典範のあり方の議題設定には、まったく違う観点からの意見も考慮に入れて検討す
る必要がある、ということではないだろうか。
このことは、安倍晋三・新総理大臣が、政権構想の中で重点として掲げている「憲法
改正」をめぐる議論についても言える。「改正」の焦点はもっぱら九条の戦争放棄条
項を見直すかどうかにあるようだが、そこまで言うならこの際、あらゆる角度から現
行憲法を点検する姿勢があってもおかしくないのではないか。その場合には憲法にお
ける天皇制の存続そのものについても議論の俎上に上げるべきだろう。少数意見を含
めて天皇制をめぐるあらゆる意見を検討の場に出すことは、天皇家の存続が危ぶまれ
ているこの機会にこそ、メディアが意識的にやらなければならないことだと思う。
現在の天皇制および天皇家の存在が多くの国民の支持を得ていることは各種の世論調
査から明らかだが、だからこそ、「天皇制廃止」のような、ちょっと人前では言うこ
とを憚られるような意見でも、メディアはその存在を国民に知らしめるような工夫を
すべきだ。その場合、そうした意見を述べることが本人の不利益にならないよう、メ
ディアが最大限の配慮をすることも必要条件だろう。

もうひとつ、皇室関係の報道では毎回指摘されていることだが、皇室に対する敬語の
使い方に注文をつけたい。いくつかの放送局は報道ガイドラインで「過剰敬語や二重
敬語にならないように注意する」などと規定しているが、スタジオの司会者や記者に
よる中継リポートでは、「紀子さまご出産」のような二重敬語を連発していた。
今から50年近く前の現天皇の結婚当時は、放送でも「皇太子さん、美智子さん」と
いう呼称が通っていた。その後、現皇太子の幼少時には愛称からとった「ナルちゃん
憲法」という言葉もブームを呼んだ。皇室にはとにかく「さま」や「陛下」「殿下」
をつけなければならないという堅苦しい敬語で固めた今の皇室報道は、この50年で
メディアが表現の自由を自ら狭めてきたことの証左ではないだろうか。
もっとも、慣れない敬語を使いながら必死に中継レポートしているテレビ局の若い記
者たちの姿を見ていたら、「もしこれで天皇制がなくなったら、日本の敬語文化はこ
れまで以上に衰退するだろうな」という、妙な感慨も覚えた次第だ。(了)