梅田 正己/ジャーナリスト)/著書『「非戦の国」が崩れゆく』(高文研)他)/歴史健忘症のつどう国会/06/06/01

 


歴史健忘症のつどう国会

       梅田 正己(編集者。著書『「非戦の国」が崩れゆく』高文研、他)

5月23日、ついに教育基本法「改正」案の審議が国会で始まった。

 

下写真/教育基本法・挙手する安倍官房長官

衆議院教育基本法特別委員会で、答弁のため挙手する安倍晋三官房長官。

右は小坂憲次文部科学相(26日午後、東京・国会内)(時事通信社)19時30分更新↓

問題の「愛国心」については、政府案では〈教育の目標〉に「我が国と郷土を愛する態度を養う」と書き込まれた。

一方、民主党案では、前文に「日本を愛する心を涵養する」と書かれている。

どちらにも共通しているのは、歴史に対する緊張感の欠落だ。

教育基本法は、いうまでもなく、戦前の教育勅語を否定し、克服するために定められた。

教育勅語の核心は、次の1行に尽きる。すなわち、

「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」

意味は――いったん国家危急の事態となったら、勇気をふるって公(国家)のために一身を捧げ、それによって天皇家の安泰と繁栄のために尽くさなくてはならない、ということだ。

この1行に示されているように、戦前の教育は「国家と天皇のために」が大目標となっていた。

教育基本法は憲法施行の1カ月前、1947年3月31日に公布・施行されたが、その年の12月に発行された、文部省で基本法制定に深くかかわった学者、官僚による『教育基本法の解説』という本がある(2000年に民主教育研究所により復刻出版)。

その中に、戦前教育の反省として、こう書かれている。

「明治維新からこのかたわが国の教育には、一貫して国家主義的色彩が濃厚であった。その間各種の反流がないわけではなかったが、一貫した流れとしては国家主義的であったということができると思う」

そして「この国家主義的教育に伴う弊害」が4点にわたって挙げられているが、その4点目にはこう書かれている。

「第四には、国家を唯一の価値の基準とし、国家を超える普遍的政治道徳を無視する教育を行った結果、自国の運命を第一義的に考え、国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想が教育の中に侵入してきたのである」

こうした痛切な反省があったために、基本法第一条〈教育の目的〉には、「教育は人格の完成をめざし」「平和的な国家及び社会の形成者として」「真理と正義を愛し」「個人の価値をたっとび」「自主的精神に充ちた」「国民の育成」がかかげられたのだ。

なお、この第一条の公式英訳を見ると、「人格の完成」は「the full development of personality」つまり「人格・個性の十分な発達・開発」となっており、また「自主的精神」は「independent spirit」、つまり「独立の精神」、そして「平和的な国家及び社会の形成者」は「builders of peaceful state and society」、つまり平和な国家・社会の「建設者」となっている。

以上見るように、教育勅語から教育基本法への転換は、「国家」から国民一人ひとりの「個人」への価値基軸の転換だったのである。

そしてその背後には、国民310万人の死と、アジア諸民族2000万人の殺戮の事実が横たわっていた。

今回の政府の「改正案」は、この価値基軸をふたたび逆転させようというものだ。

民主党案は、それにさらに輪をかけている。

このところ、社会全体に歴史健忘症が急速に深まっていることはわかっていたが、国会もついに歴史健忘症の群れに占拠されてしまった。この情景を、彼岸の死者たちはどう見ているだろうか。