梅田正己/編集者/イラク戦争開始から10年―集団的自衛権よりも戦争加担の検証を! 13/03/23

                イラク戦争開始から10年
             集団的自衛権よりも戦争加担の検証を!

                                 梅田  正己 (書籍編集者)

 ◆朝日社説「イラク戦争10年

  この3月20日の朝日新聞社説は、こう書き出されていた。
《イラク戦争の開戦から、きょうで10年になる。
  「ついに戦争が始まった」
  そう書き出した当時の社説で、私たちは「この戦争を支持しない」と書いた。》

 その事実があるだけに、今回のこの社説は鋭く、歯切れがよい。うん、うん、とうなずきながら読んだ。
  近ごろ、このように共感しながら読んだ社説はあまりない。
  読まれた人は多いと思うが、大事なところを抜粋してみる。

《ところが、この10年、政府も国会も、ほとんど検証らしい検証をしてこなかった。その結果、誤った戦争に加担することになった経緯も責任の所在もあいまいなままだ。
  とても、まともな国のありようとは思えない。》

《米英やオランダでは、政府が独立調査委員会を設置し、徹底した検証をした。
  英国ではブレア首相らが喚問され、オランダでも、イラク戦争は国際法違反だった、と断じた。》

《開戦時、小泉首相は「米国による武力行使の開始を理解し、支持する」と言い切った。米国の情報をうのみにして、追従したというのが実情ではないのか。その真相は小泉氏に聞くしかない。》

《政府や国会は、いまからでも第三者による委員会を立ち上げ、小泉氏からの聴取も含め、調査に乗り出すべきではないか。
  安倍首相は、集団的自衛権の行使容認や、国防軍の創設に意欲を示す。
  イラク戦争の反省もないままに、である。あまりにも無責任ではないか。》

 ◆「戦争をためらうアメリカ」は危うい、と説く国際政治学者

 このきわめて真っ当な主張と対照的だったのが、この前日(3月19日)朝日夕刊に載った「国際政治学者」藤原帰一東大教授の連載コラム「時事小言」である。タイトルは「揺らぐ安全保障――戦わない米国の限界」。
  この大型コラムの前半で、藤原氏は、イラク戦争による自国の兵士4500人の死者を含む犠牲があまりにも大きかったために、米国は「戦うアメリカ」から「戦わないアメリカ」に転換したと述べる。
  問題は、このアメリカの政策転換による世界の安全保障について述べた後半部分だ。

 まず藤原氏は、「過去半世紀の間、日本は戦うアメリカに頼り続けてきた」という。
  アメリカの核戦力の傘の下、安上がりの国防費で、実戦にも参加せず、平和を享受してきたというのである。
  ここまでは自民党の基本認識と同じである。問題は、この後だ。
  しかし「この政策には限界がある」と藤原氏はいうのである。なぜか?

《まず、どの戦争を戦うかという選択はアメリカ政府しか行なうことができない。イラクよりも北朝鮮のほうが日本にとって脅威であると訴えたところで、戦争するのが米軍である限り、日本政府の影響力は乏しい。》

 「どの戦争を戦うかという選択」と書いている。主語はもちろん日本である。
  この政治学者にとって、いつの間にか日本は「戦争を戦う」国になっていたのである。
  オヤオヤ、憲法9条はどこへ消えたんだろう? 日本はいつから「戦争を戦う」国になっていたんだ?

 この疑問を残したまま、藤原氏の「論理」はつぎのように進む。
《だが、自分でコントロールすることはできなくても、番犬が獰猛ならば安全を脅かされることは少ない。アメリカ頼みの安全保障にはそれなりの合理性もあった。》
  ところがそのアメリカが、いまや「戦わないアメリカ」に変わった。獰猛な番犬でなくなった。そこで、日本にとっても、世界にとっても大きな課題が浮上する、という。
《すなわちアメリカが戦争を行なう意思が乏しいなかでどのように安全を確保するのかという課題である。》

 藤原氏は、アメリカが「世界の警察官」であることを肯定し、かつ高く評価しているのである。じっさい、つぎのように言う。
《アメリカが戦争に消極的になれば世界が平和になるわけでもなく、逆に米軍が介入しない可能性を期待した好戦的行動を招く可能性がある。》

 しかし、この認識は逆立ちしている。
  私の認識では、北朝鮮をめぐる危機が続行しているのは、北朝鮮が必死にアメリカとの直接対話を求めているのに、アメリカがそれに応じようとしないからである。
  アメリカが北朝鮮の求めに応じて対話を開始し、休戦協定を平和条約に転換して、60年も続く世界史上にも異常な長期の戦争状態を打ち切りさえすれば、朝鮮半島の危機状態はたちまち解消するのだ。
  にもかかわらず、アメリカが直接対話を拒否し続けているのは、依然としてアメリカが「戦争依存症」から脱しえないからだ。

 パレスチナ問題もそうである。イスラエルがアラブ全体を敵に回しながら強気を保ち続けているのは、誰もが知っているように、アメリカが同国を支え続けているからだ。
  この3月にもオバマ大統領は再選後、最初の訪問国としてイスラエルを選び、ネタニヤフ首相と蜜月ぶりを見せつけた。

 今も続く世界の危機状況は、アメリカの変わらぬ「戦争依存症」政策が生み出しているのである。
  これが世界の現実であるにもかかわらず、藤原氏は能天気にも結びにこう書く。
《好戦的なアメリカは危ういが、戦争をためらうアメリカも危うい。一国に頼らない安全保障を構想することができるのか、いま問われているのはその一点である。》(下線、筆者)

 第二次大戦後、大きな戦争はすべてアメリカが主役だった。
  朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争――最初の朝鮮戦争を除いて、すべてアメリカが引き起こした戦争だ。
  そのアメリカが、イラク戦争の失敗によって戦争に消極的になっている。
  藤原氏はそれを「好機」ととらえずに、「危うい」と見るのである。

 アメリカが戦争をためらいはじめた今こそ、「一国に頼らない安全保障を構想する」絶好のチャンスではないか。
  「一国だけに頼る安全保障」――超大国による一極支配=パックス・アメリカーナこそが異常であり、国際的協力による安全保障こそ、「国連憲章」の精神、「国連」結成時の初志ではなかったのか?
  そう考えれば、アメリカが一極支配の自信を失いはじめたことは、歓迎こそすれ恐れることではないはずなのに、この国際政治学者は「危うい」と心配するのである。
  「アメリカの平和」に慣れすぎたせいなのだろう。

 ◆集団的自衛権の検討でなく、イラク戦争の検証をこそ

 はじめの朝日社説に戻る。
  社説は「この10年、政府も国会も、ほとんど検証らしい検証をしてこなかった」と書いていたが、検証をしようという国会決議だけはしたのである。
  07年5月、イラクへの航空自衛隊派遣の特措法を2年延長したさい、衆院では「政府が検証を行なう」ことを付帯決議で決めた。
  このときの首相が、安倍現首相だったのだが、予想されたとおり、安倍氏はこの決議を黙殺、実行に移すことなく9月には首相官邸を去ったのである。

 その安倍氏が、5年ぶりに官邸に戻ってきた。
  戻ってくるや否や、手をつけたのが、前回やり残していた宿題――集団的自衛権の行使を目的とする「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」、いわゆる有識者懇談会の再組織である。
  この懇談会で、安倍首相は、例の4類型のうちの二つ――アメリカの軍艦と自衛艦が並走しているときに米艦が攻撃されたさい、自衛艦は応戦できないのか? また米国に向けて発射されたミサイルを自衛艦の迎撃ミサイルで打ち落とせないのか?という問題について検討させている。

 集団的自衛権の問題は、つまりは自衛隊が米軍と共同して戦争ができるかどうかの問題だ。これが容認されれば、9条は実質的に骨抜きとなる。
  それが、「国防軍」をめざす安倍氏の狙いであることは間違いない。

 しかし、反省なき前進はふたたび過ちを生む。
  過去の真摯な検証、真摯な総括こそが、未来への確かなステップとなる。
  アメリカが「戦争に消極的になった」いま、安倍内閣は集団的自衛権などに前のめりにならず、アメリカが戦争をためらうようになった、その原因――つまりイラク戦争の検証・総括にこそ取り組むべきなのだ。
  6年前の約束は、まだ不履行のまま残っている。                      (了)