梅田正己/編集者/普天間を封鎖した4日間 12/11/14

在日米軍基地に起こった未曾有の出来事、安保体制を震撼させたこの事態
を本土メディアは完全に黙殺した、まるで緘口令でも敷かれたように……

梅田  正己 (書籍編集者)

 「オスプレイ問題 テレビはどう伝えているか」というレポートを読ませてもらいました。「放送を語る会」モニターグループで手分けして、9月6日から10月1日までのオスプレイ報道をウォッチした労作です。
  対象にしたのは、NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビの各局夜のニュース番組。
  その「総論」の最後に、「10月1日――普天間からの報告」として、次のように書かれていました。

 ■「NHK 沖縄の記者さんはかわいそう」

《普天間配備の前日から現地に入り、岩国からのオスプレイ飛来と住民の抗議行動を見守っていた放送を語る会会員からは、次のような報告が寄せられた。(中略)

「各局の報道を見て気になったのは、以下の2点が巧みに排除されていたことです。
  1 市民の力で勝ち取った普天間基地全ゲート封鎖
  2 配備前日に強行された機動隊、警官250人を動員しての強制排除

 普天間基地大山ゲートに座り込む住民の間では、オスプレイ配備の前日、9月30日、『今日はNHKさんが来ているから、ここで(市民と車両の)排除がある』とささやかれていました。事実、午後1時前にそれは決行されました。午後7時過ぎには、野嵩ゲートでも強制排除が始まりました。
  事の一部始終を、NHKは終日、複数のカメラで記録していました。しかし、その日の『ニュース7』、翌朝の『おはよう日本』でオスプレイ配備を扱った際、強制排除の様子は、1カットも放送されませんでした。
  住民の一人は、『NHK(沖縄局)の若い記者さんたちはかわいそうだ。丁寧に取材しても、全部落とされるんだから』と話していました。」(後略)》

 ■台風の中、女性も年寄りもゲート前に座り込んだ

 

 オスプレイ配備を目前にして、9月27日から30日までの4日間、沖縄では普天間基地封鎖の抗議行動が決行されました。
  大型の台風が接近し、直撃する中での風雨をついての取り組みでした。
  そして実際、普天間基地の3つのゲート(大山、野嵩、佐真下)を封鎖、とくに29日の午後4時から翌30日の午後2時過ぎまでは3ゲートを「完全封鎖」することに成功したのです。

 とくに最後の30日の封鎖行動は壮烈でした。
  ゲート前に車両を幾重にも並べ、その車と車の間に、人々が座り込みます。そこからゲートに至る道を開くには、座り込んだ人々を引きずり出して、車をレッカー車で移動させなくてはなりません。

 機動隊はまず大山ゲートで、朝から座り込んだ人々を午後に入って排除し、次いで野嵩ゲートの排除にかかります。
  座り込む人々の中には、女性も年寄りもいます。しかし機動隊は、腕を組んだ人々を容赦なく引き剥がしていきます。
  さらに、排除した人たちが再び座り込みに戻るのを阻止するため、大型の警察車両を並べて二方を囲み、残る二方を機動隊の隊列で囲んだ狭い「監禁所」に閉じ込めるのです。その間、トイレに行くのも禁じます。
  こうして、その日も終わろうとする夜の11時半、警察はやっと排除を完了したのでした。

 ■本土マスメディアはこの歴史的事件を抹消した

 67年前、沖縄戦が終わると同時に米軍基地に土地を占領された沖縄では、さまざまの抗議、抵抗運動が繰り広げられてきました。
  基地を人々が手をつないで包囲する“人間の鎖”もありましたし、10万人もの人々が結集した県民大会もおこなわれました。

 しかし、基地の出入り口を座り込みで封鎖し、米軍を基地の中に閉じ込め、“籠城”させたのは、今回が初めてでした。
  まさに、未曾有のことだったのです。

 米軍が外国で基地を設置するさいの重要な条件の一つに、住民との友好な関係ということがあります。そのために米軍は、「良き隣人」を合い言葉に、土地の祭りに米兵が参加するとか、記念日を設けて基地を開放するといったことを重ねてきました。

 しかし、今回の事態は、そうした姑息なやり方で、沖縄住民の支持はとうてい得られないこと、基地はまさに住民の“非妥協の意志”によって包囲されていることを、米軍および日本政府に突きつけたのです。
  その意味で今回の決死の基地封鎖行動は、米軍を震撼させるとともに、日米安保体制を根底から揺るがす歴史的な事件でした。

 ところが、戦後67年で初めて引き起こされた歴史的なこの事件を、本土マスメディアは、テレビも新聞も、殆ど全く報じなかったのです。
  沖縄で生起した重大な事件を、本土のマスメディアが報じなかった、ということは、そのような事件はなかった、としたことと同じです。つまり、事件を社会的に抹消したことにほかなりません。
(沖縄現地のNHKの記者たちは、暴風雨の中、現場にぴったりと張り付いて取材したのに、ニュースの中身を決める権限を持つ者たちは、それを電波に乗せることを禁じた、つまり事件を抹消したのです。)

 ■『普天間を封鎖した4日間』の緊急出版

 マスメディアが伝えなかったこの事態を、私たちが知ったのは、ネットを通じてでした。とくに、宮城康博氏と屋良朝博氏によるフェイスブックやブログでの発信は、切迫した現地の様子を手に取るように伝えてくれました。

 宮城氏は、96年に普天間基地の移設予定地として名護市辺野古が指定された後、翌年に起こった名護市民投票の運動にかかわり、98年から3期8年、名護市議を務めた人です。
  また屋良氏は、沖縄タイムスで社会部長や論説委員を務めたジャーナリストで、米軍基地問題については沖縄でも有数の豊富な取材経験を持つ人です。
  このお二人が、普天間基地封鎖の座り込みに加わり、そこで起こったこと、自分自身が体験させられたことを、ほとんどリアルタイムで発信してくれたのです。

 私たちの高文研は、小さな零細出版社です。ただ、沖縄の問題に関しては、沖縄戦・基地問題を中心に、これまで60点近い本を出版してきました。
  沖縄で起こった歴史的事件を知り、ましてそれをマスメディアが伝えないのなら、非力であってもその記録を出版すべきではないか。

 そう考えて、宮城、屋良両氏に頼んでお二人のフェイスブック、ブログの記事をベースに、1冊の本を急きょ出版しました。
  書名はそのものずばり、『普天間を封鎖した4日間』です。
  今月(11月)末から書店に並ぶ予定です。(沖縄では12月10日頃から)
  この本によって、一人でも多く沖縄のこのたたかいを伝えることができたら、と願っています。                                                  (了)
写真】9月30日、ゲートを封鎖している普天間爆音訴訟団の街宣車。強制排除が開始された直後。(撮影は宮里洋子さん)