梅田正己/編集者/国会事故調での「菅前首相証言」をどう報じたか――ニューヨークタイムズと毎日新聞 12/06/02

 

国会事故調での「菅前首相証言」をどう報じたか――ニューヨークタイムズと毎日新聞

梅田  正己 (書籍編集者)

◆ニューヨークタイムズの「菅証言」報道

 5月28日の国会事故調での菅直人前首相の証言についての朝日新聞の報道に対する批判を書いた後、同じ問題についてのニューヨークタイムズの記事を見る機会を得た。
  記事は5月28日付(米国時間)、マーティン・ファックラー記者による。なお、この質疑応答は、英語で同時通訳されたとのことである。
  では、NYタイムズはどう報じたのか、重要と思われる部分を、私の50年来さびついた“受験英語”で訳してみる。

 まずリード。
《国会の事故調査委員会において、昨年の原発危機のさいの日本の総理大臣は、フクシマの事故が日本を国家的崩壊の崖っぷちに追いつめたことにふれ、この国として余りにも危険な原子力は放棄すべきだと語った。》

《国会事故調での証言で、前首相、菅直人氏はまた、強力な政治力をもつ原子力産業は、痛恨の事故にもかかわらず、日本を再び原子力の方に引き戻そうとしている、と警告を発した。》

《この証言において、菅氏は、日本の原子力プラントは安全性において欠ける、と述べた。なぜなら、この国の原子力産業は“原子力ムラ”によってハイジャックされているからだというのである。原子力ムラとは、原子力企業と推進派の管理機関、研究者たちをいう。その結束を破るただ一つの道は、完全な部外者――たとえばアメリカやヨーロッパから招いた専門家も加えた――による規制機関をつくることだと、菅氏は語った.。》

《ゴルバチョフ氏はその回想録の中で、「チェルノブイリ事故によってソビエト・システムの病根が暴き出された」と述べていることを引いて、菅氏は「日本にとってフクシマがそれだった」と言った。》

《菅氏は、3時間にわたる証言の多くを、東北日本の広域を放射線でおおった事故の対策に対する批判を交わすのに費やした。》

《菅氏はまた、地震の後、現地のスタッフが過熱した原子炉と悪戦苦闘していた最中に現場を訪れて邪魔をしたことについての批判に対し、いろいろと弁明した。》

《しかし、彼の最も強いコメントは、調査会の最後、現首相に対して何か助言したいことはありますか、という質問に対して吐き出された。菅氏は、こう答えたのだ。――あの事故は、首都東京と首都圏の3千万の住民が避難させられかねない瀬戸際のところで起こった。首都が失われれば、政府の機能もマヒさせられ、国全体が崩壊しかねないところまで追いつめられるだろう。》

《東京壊滅の恐怖は、彼に、原子力はあまりに危険すぎること、事故による惨禍は日本が受け入れるにはあまりに大きすぎることを思い知らせた。》

《原発事故による国家崩壊の危険を十分に防ぐことのできる保証を見つけることは不可能である、と菅氏は言った。そしてさらに、今回の事故を経験することによって私が得た確信は、原発の安全を確保する最良の道は、原発に頼ることをやめることである、と。》

《しかしながら、野田首相は、こうした警告を心に留めているようには見えない。事故調から数時間後、首相は、彼が近いうちに西日本の大飯原発再稼動を決定することをほのめかした。それが、停止中の他の原発の活動再開への第一歩となることを、彼は望んでいる。》

◆毎日新聞の「菅証言」報道

 以上が、NYタイムズによる「菅証言」の報道である。前回の私の「朝日報道」に対するコメントと重ね合わせてご覧いただければ幸いである。

 さて次に紹介するのは毎日新聞5月29日付の報道である。
  まず1面。トップに《福島原発 菅氏「国の想定不十分」》《国会事故調で「おわび」》の見出しがあり、《菅氏の主な発言》として、6項目が挙げられている。
「事故の最大の責任は国にある」
「事故想定が不十分だった」
「原子力安全・保安院の組織が不十分だった」
「原発を視察したのは、現場の状況を把握するため」
「海水注入の中断指示は私の意向とは全く違う」
「緊急事態宣言の発令はもっと早ければとの指摘は受け止めるが、支障はなかった」

 ご覧のように、NYタイムズが最も重要だと聞き取り、記事の大半を使って報じた菅氏の主張、菅氏自身も最も力を込めて述べた主張は、この「主な発言」には入っていない。
  毎日新聞の記者、デスクにとっては、さほど重要な発言ではないと思われたのか、それとも、もう首相の座を去ったものの意見など聞く必要はないと考えられたのか……。

 次に2面。ほぼ全面を使って報じられている。その見出しだけを紹介しよう。
  まずトップの見出し。
《国会事故調 菅氏聴取――東電批判と自己弁護》
  次いで、記事の見出し。
《「全面撤退」打診――「とんでもないことだ」》
《海水注入中断指示――「私の意向と全く違う」》
《現場への過剰介入――「叱責のつもりなかった」

 この見出しだけを見ても、なるほど「自己弁護」に終始したのだなと読み取れるように作られている。
  ただコラムがあり、そこには《「脱原発、最も安全」――原子力ムラを指弾》のやや小さい見出しがある。菅証言の最後の発言が紹介されているが、いかにもつけたりだ。

 もう一つ、ふれておきたいのは、同じ紙面に上のコラムの倍の大きさを使って掲載されている中西寛・京大教授(国際政治学)のコメントである。
  そこで中西教授は菅前首相の事故当時の行動について、こうコメントしている。

《事故調のやりとりで感じたのは、菅直人前首相が未曾有の複合災害に振り回され、後追いを続けたということだ。早い段階で情報収集と指揮命令の系統を確立すべきだったのに、菅氏の発言からはそうした意識はうかがえなかった。》

 この京大教授は、去年の事故当時のテレビを見ていなかったのだろうか。
  本人自身が「未曾有の複合災害」と言っている。だれもが夢にも思わなかった、まさしく「未曾有」の事故だったのだ。
  全電源が喪失し、原子炉が暴走を始めるという、原発の技術者も、研究者も想定外の「起こるはずのなかった」事故だった。
  だから事故のあと、日にちがたっても格納容器の中で何が起こっているのかわからない、東電も、保安院も、原子力安全委員会の研究者も、だれも何も説明できない。そんな状況がつづいた。だれもが覚えていることだ。

 菅氏を擁護しているのではない。
  肝心の情報が途絶している中で、打つべき手も見えず、打ちたい手があっても打てぬとなれば、「振り回され、後追いを続けた」のも当然だった。
  最大の問題は、原発にこうした事態は起こらないと、それこそ「安全神話」の上にあぐらをかいて原発を推進してきたことにこそあったのだ。

 そうしたことは棚に上げて、1年以上もたったところで、
「早い段階で情報収集と指揮命令の系統を確立すべきだった」
などとしたり顔で言ってのける、その神経が分からない。しかもこの人物の肩書は「国際政治学者」だ。
  毎日新聞は、何でわざわざこういうコメンテーターを起用したのだろうか?
  メディアにおける「菅おろし」がいまだに続いているのではないか、そう思えてならない。

                                                      (完)