梅田正己/編集者/TPP――メディアこそが問われている 11/11/12

 

TPP――メディアこそが問われている

梅田  正己 (書籍編集者)

■ 全国紙はすべてTTP参加を歓迎

 11月11日、野田首相はついに「関係国との協議に入る」と最終意思を表明した。
  それを聞いて、反対派の旗頭だった山田前農林水産大臣は意外にも「ホッとした」と語った。「交渉参加ではなく、事前協議にとどまってくれた」からだそうだ。

 しかし首相の記者会見を聞いて、前農水相のような感想を抱いたものは殆どいなかったのではないか。
  その証拠に、12日朝刊の各紙の見出しは次の通りだった。
  読売「野田首相、TPP交渉参加方針を正式表明」
  朝日「TPP交渉 参加方針、首相『関係国と協議』、反対派にも配慮の表現」
  毎日「首相、交渉参加の方針表明…『関係国と協議入り』」
  日経「TPP交渉参加表明 首相『関係国と協議』」

 いずれも「参加方針表明」だ。
  当然だろう。交渉に入らないのに「協議する」などということはあり得ない。入りたい、あるいは参加させてもらいたいから「協議する」のである。

 次に社説を見ると、どの社も交渉参加を評価、ないしは支持している。
  まず読売。「TPP参加へ 日本に有益な『開国』の決断」の標題でこう書く。
  「新たな多国間の経済連携に加わることで『開国』に踏み出す野田首相の政治決断を支持したい」
  毎日もまた「TPP参加表明 日本が協議リードせよ」と題して、こう書いている。
  「少子高齢化が進み経済活力を失った日本は、何としてもアジア太平洋地域の成長力をわがものとする必要がある。TPPはそのための有力な手段だ。首相の決断を評価したい」
  そして朝日。こちらはそれほど手放しではない。「TPP交渉へ 何もかも、これからだ」として、こう述べている。
  「首相の方針そのものは、良かったと評価する」
  しかし、「首相はもっと早く自身の考えを示し、みずから説得に当たるべきだった。ほとんど国民の理解が広がらないままの見切り発車は残念だ」

■ 放置されたメディアの役割

 朝日社説は、その後こうも書いている。
  「一方で、すでに問題点や疑問が山ほど指摘されている。農業と地方の衰退に拍車がかかる。公的保険や金融などの制度見直しを強いられる、などだ」
  「さまざまな懸念は、杞憂とも言い切れない」
  「杞憂」どころか、十分な根拠をもっている。だからこそこれほどの大問題となっているのだ。

 このような言い方も含めて、この朝日社説はいかにも他人事のような書き方だ。さっきの引用でもこう書いていた。
  「ほとんど国民の理解が広がらないままの見切り発車は残念だ」
  じっさい、この問題に対する国民の理解はきわめてきわめて薄い。ある世論調査では、賛成、反対、わからない、がほぼ三等分になっていた。

 しかし、実態は、三分の一どころか大半の人が「わからない」ではないだろうか。
  なぜ、「わからない」のか。答えは、情報がないからだ。TPPに参加した後、どんな事態が生じるのか、そのメリット、デメリット、国民生活への具体的な影響が説明されていないからだ。
  つまり、判断しようにも、判断の材料が示されていないからだ。

 では、誰がその情報を提供できるのか。
  メディアである。新聞やテレビである。
  メディアの社会的役割は、大きく言って二つある。
  一つは、事実(出来事)と、そこから生じている事態についての報道。
  もう一つは、その事実(事態)の背景や意味を調査して伝え、解説すること。関係者や識者の意見を紹介することもその中に含まれる。

 TPP交渉への日本政府の参加が「ほとんど国民の理解が広がらないままの見切り発車」となったのは、この国のメディアがその役割を果たさなかったからである。
  政府が情報を出さなかった、あるいは政府自身も情報をつかんでいなかった、と言うかもしれない。
  しかし、そんなことはない。心配する理由、恐れるべき根拠があったからこそ、あれだけの反対が巻き起こったのだ。

 12日の朝日朝刊は、1面で「TPP交渉参加方針」を伝え、2面でほぼ全面を使って「暮らし 影響は」という解説記事を載せた。
  そこには、「TPP交渉21分野と日本のメリット・デメリット」の表もかかげ、各分野のメリットとデメリットの簡単な説明もあった。
  私の記憶では、朝日がTPP問題についてこのような総合的な解説記事を載せたのはこれが初めてのように思う。

 繰り返すが、メディアの社会的責任は、読者(市民)に問題の所在を知らせ、そのことの持つ意味を極力明らかにして伝えることだ。
  しかし、今回の問題で朝日はその役目を殆ど果たさないまま、4日前の11月8日の社説でだしぬけに、「どうするTPP――交渉参加で日本を前へ」と打ち上げた。
  読売、日経はもとより、毎日も参加支持だったから、これで全国紙はすべて交渉参加支持にまわった。
  民主党内は賛否で真っ二つに割れていたが、マスメディアはこぞって賛成に回っていたのである。「ほとんど国民の理解が広がらないまま」、いや「広げないまま」にして。

■ アメリカとはたして「交渉力」を発揮できるのか?

 なお、8日の朝日社説は、「戦略づくりを急げ」として、こう主張していた。
  「改めて主張したい。まず交渉に参加すべきだ。そのうえで、この国の未来を切り開くため、交渉での具体的な戦略づくりを急がねばならない」
  しかしTPPでの最大最強の交渉相手はアメリカである。そのアメリカに対して、日本政府がはたして交渉力を発揮できるだろうか。

 12日の読売社説が、こう書いていた。
  「TPP参加は、日米同盟関係も深化させる。経済軍事大国として存在感を強める中国への牽制という点でも重要だ」
  しかし、中国はいまや日本にとってもアメリカにとっても最大の貿易国だ。その中国を除外して本来の「環太平洋経済連携」が成立するはずはなかろう。
  それなのに、早くもアメリカに寄り添って中国を仮想敵視するこの感覚はどう言ったらいいのか。

 アメリカとの交渉で思い出すのは、昨年の冬から春にかけ、鳩山首相を窮地に追い込んだ普天間移設問題だ。
  元首相は、沖縄県民の切実な要求に応えて、何とか普天間基地を県外に移転させようと動いた。その努力が官僚の分厚い壁に阻まれ、5月末の期限切れに向かって現職首相が追いつめられてゆく様を、メディアはこぞって冷笑し、はやし立てた。
  鳩山降板とともに沖縄県民の願いは切り捨てられ、沖縄の政府(本土)に対する不信感は決定的に深まった。一方、辺野古新基地建設の「日米合意」はもはや動かしがたい「日本の誓約」となった。

 普天間問題は不合理そのものである。日米安保条約から言って、米海兵隊が沖縄にいなければならない合理的な理由はまったくない。
  にもかかわらず、歴代日本政府は、そのことをアメリカ政府に向かって一言も主張することは出来ずにきた。

 日本に限らず、政府が堂々と自己主張が出来るのは、「国民の意思」を後ろ盾にしたときだけである。そのときはこう言える。
「国民の多数が反対しているから、これに応じることは出来ません」
しかしそのためには、「国民の意思」が明確に示されていなければならない。「ほとんど国民の理解が広がらないまま」では、「国民の意思」は形成されず、したがって、政府の交渉力が強化されるはずはない。
  そう考えると、交渉の落ち着く先も今から見えているような気がしてならない。     (了)