梅田正己/編集者/ウソも方便、 「抑止力」 は方便―「鳩山証言」 から見えるもの―11/02/16


ウソも方便、 「抑止力」 は方便

 

―「鳩山証言」 から見えるもの―

 

梅田  正己 (書籍編集者)

 

 

  2月13日、 日曜日の沖縄の2紙、 沖縄タイムスと琉球新報は、 普天間問題をめぐっての鳩山前首相インタビューでの前首相の言葉を1面トップで伝えた。 ここでは琉球新報の紙面を掲載させてもらう。

 

◎琉球新報紙面を掲載◎

 

  一昨年9月、 首相就任時には、 普天間基地の移設先を、 「できれば国外、 最低でも県外」 と言っていた鳩山前首相が、 迷走・後退をつづけたすえ、 ついに昨年5月末、 県外移設を断念、 自民党前政権と米国が合意していた辺野古案に舞い戻ってきたときに口にしたのが、 海兵隊の 「抑止力」 だった。

 

  「学べば学ぶにつけ、 海兵隊のみならず沖縄の米軍が連携して抑止力を維持していることがわかりました」

 

  ところが、 そう語った本人が、 1年もたっていないのに、 「あれは辺野古案に戻る理屈付けだった。 方便と言われれば方便だった」 と言ってのけたのだ。

 

  バカにするな!  沖縄県民でなくとも、 そう言いたくなる。 当然だ。

 

  しかし、 いかに軽く見えても、 一国の首相だった人物の言葉である。 きちんと受け止めて、 学ぶべきことは学び取らなくてはならないのではないか。

 

■政治的体質は、 民主党も自民党とまったく変わらない

 

  琉球新報の紙面から、 「一問一答」 の重要部分を引用しながら見てゆく。

 

――首相の 「県外」 の主張が、 なぜ閣内で浸透しなかったのか?

 

  「閣僚は今までの防衛、 外務の発想があり……国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが閣内に蔓延していたし、 今でもしている」

 

  県外なんて、 ダメダメ、 無理に決まってるさ。 自民党幹部だけでなく、 民主党の幹部たちもそう思っているし、 今でもそうだ、 と言っているのである。

 

――なぜ(防衛官僚言いなりのように見える)北沢俊美氏を防衛大臣に選んだのか?

 

  「北沢氏は外務防衛委員長をしていて防衛関係に安定した発想を持っているということだった。 テーマを決めて、 そのための大臣だという前に、 リストを決めて、 その中で一番ふさわしい人という形で当てはめていった」

 

  基本方針があって、 それを実行できる情熱と意欲、 志操、 経験を持っている人間を選ぶのでなく、 党内の序列、 論功行賞といった評価基準にもとづいて大臣候補者のリストを作り、 その中から役職を 「当てはめていった」 というわけだ。 政治的体質は、 自民党も民主党もまったく変わらないということだ。

 

■官僚のカベにはね返された前首相

 

――外務、 防衛両省に、 新しい発想を受け入れない土壌があったのでは?

 

  「本当に強くあった。 私のようなアイデア(たとえば常時駐留なき安保)は一笑に付されていたところがあるのではないか。 本当は、 私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、 外務省が、 実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。 官邸に、 両省の幹部2人ずつを呼んで、 このメンバーでたたかっていくから、 情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、 そのことが新聞記事になった。 きわめて切ない思いになった。 誰を信じて議論を進めればいいんだと」

 

  別の記事によると、 前首相は外務、 防衛の幹部各2人を官邸に呼んで、 酒を酌み交わしながら、 チームでやっていこうと語りかけたらしい。 しかし官僚たちはそれを聞きながら、 胸中では真っ赤なベロを出していたのだろう。 その夜のうちにマスコミにばらしてしまった。 翌朝、 新聞を見た前首相の 「切ない思い」 は察して余りある。

 

  つづいて、 前首相はこう語っている。

 

  「防衛省も、 外務省も、 沖縄の米軍基地に対する存在の当然視があり、 数十年の彼らの発想の中で、 かなり凝り固まっている。 動かそうとしたが、 元に舞い戻ってしまう」

 

  防衛省=自衛隊は、 その発足時(警察予備隊)から、 米国 (米軍) に育てられ、 面倒を見てもらってきた。 外務官僚の最高位は、 次官ではなく、 駐米大使である。 日米同盟が 「日本外交の基軸」 だ。 防衛、 外務、 どちらの官僚も対米依存、 対米従属が本性となっている。

 

  「数十年の発想の中で、 かなり凝り固まっている」 というのは、 前首相のまことに正直な感想だったのだろう。

 

  先般、 菅民主党内閣は、 防衛大綱(防衛計画の大綱)を発表した。 その下敷きとなったのが、 首相の私的諮問機関である有識者懇談会だった。 メンバーには、 元駐米大使、 元防衛事務次官、 元統合幕僚会議議長が入っていた。 他の多数は大学教授らであるが、 彼らはお飾りである。

 

  その証拠に、 新大綱の内容は、 自民党政権時代につくられた前大綱の路線を忠実に守り、 発展させるものだったからだ。 防衛も、 外交も、 官僚が舵を取り、 進めている。 この国は依然として官僚国家なのである。 鳩山は、 官僚の厚いカベにはね返された、 ないしは突進して自爆したのである。

 

■辺野古に戻るためのツジツマあわせ、 本心は別

 

  次がいよいよ 「抑止力」 の登場である。

 

――(首相は孤立無援だったようだが)味方はいたのか?

 

  「平野博文官房長官 (当時) は (望みをかけた) 徳之島をいろいろと模索してくれた。 少なくとも一人はいた」

 

  あの平野官房長官のさえない表情が目に浮かぶ。 それにしても、 味方がたった一人だったとは……!

 

―― (しかし) 県内移設理由として在沖海兵隊の抑止力は唐突感があった。

 

  「徳之島も駄目で辺野古となった時、 理屈付けをしなければならなかった。 海兵隊自身が (沖縄に) 存在することが戦争の抑止になると、 直接そういうわけではないと思う。 海兵隊が欠けると、 (陸海空軍の) 全てが連関している中で、 米軍自身が十分な機能を果たせないという意味で抑止力という話になる。 海兵隊自身の抑止力はどうかという話になると、 抑止力でないと皆さん思われる。 私もそうだと理解する。 それを方便と言われれば方便だが。 広い意味での抑止力という言葉は使えるなと思った」

 

  「広い意味での抑止力」。 苦しい、 苦しい、 言い回しである。 あの当時は、 そんな迂遠な問題ではなかった。 問うていたのは、 海兵隊そのものの抑止力だった。 だから、 米軍の太平洋司令官まで出てきて、 「北朝鮮の脅威」 に対する 「海兵隊の抑止力」 を力説したのだ。 もちろん、 まやかしだった。 いかにも胡散臭い抑止力説を持ち出してきて、 最後は 「辺野古日米合意」 で押し切った前首相の責任は大きい。

 

■米 ・ 官 ・ 政のスクラムをどう突き崩すのか

 

  ほかにも論ずべきことはあるが、 省略して末尾へ飛ぶ。

 

―― (最後に) 反省点は?

 

  「相手は沖縄というより米国だった。 最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。 これしかあり得ないという、 押し込んでいく努力が必要だった。 オバマ氏も、 今のままで落ち着かせるしか答えがないというぐらいに、 多分(周囲から)インプットされている。 日米双方が政治主導になっていなかった」

 

  「相手は沖縄というより米国だった」。 当然だ。 動かす対象は、 米軍の基地だからだ。 米軍は、 すでに65年、 そこに居座っている。 それを出て行ってくれ、 と言うのだ。 それがどれほど重い課題であるか、 認識があまりに甘かったというほかない。

 

  オバマ氏も、 多分、 周囲からインプットされているだろう、 とも言っている。 そうだろう。 アーミテージはじめ 「日米安保で飯を食っている」 人物はワシントンにいくらもいる。

 

  だが、 それだけではない。 米国は、 自国の 「国益」 のために、 アジアに軍を前方展開している。 そのために、 ずばぬけて良いサービスを提供してくれているのが日本だ。

 

  琉球新報にはなかったが、 沖縄タイムスには、 前首相のこんな発言が収録されている。

 

――なぜ米国は辺野古にこだわるのか?

 

  「沖縄にいることでパラダイスのような居心地のよさを感じている。 国内には、 沖縄より良い場所はないという発想があるのではないか」

 

  普天間問題解決の本丸は、 米国・米軍である。 その米国・米軍を、 スクラムを組んでガードしているのが、 日本の官僚である。 そして、 その官僚たちの指示のもとに発言し、 動いているのが政治家たちである。

 

  今回、 鳩山前首相が自己の体験を通して赤裸々に語ったのが、 このようなこの国の政治の構図である。

 

  では、 普天間問題の解決のため、 この構図を突き崩すにはどうしたらいいのか。 結局は、 民衆・市民の意思を、 広く、 強く、 結集する以外にない。 民意をもって動かす以外にない。 今回のエジプトのように。

 

  そのさい、 決定的ともいえる影響力を行使するのが、 マスメディアである。 では、 この国のマスメディアの現状はどうか。

 

  「鳩山証言」 報道の翌日、 14日の沖縄タイムスの社説にはこうあった。

 

  「……鳩山政権の動きに警戒感を募らせた米国は硬軟織り交ぜ、 さまざまな圧力を新政権にかけた。 全国紙の米国特派員は『米国が怒っている』という類いの記事を流し続けた」

 

  「エジプト革命」 がそうだったように、 この国でも民意の結集のためにはインターネットに物を言わせるしかないのだろうか。 (了)