梅田正己/編集者/NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」批判
「東アジア共同体」形成が語られる今、
NHKは「帝国主義史観」のドラマ
――こともあろうに「韓国併合から100年」にぶっつけて09/11/26

■NHKスペシャルドラマ 「坂の上の雲」 批判

 

「東アジア共同体」 形成が語られる今、

NHKは 「帝国主義史観」 のドラマ

 

―こともあろうに 「韓国併合から100年」 にぶっつけて―

 

梅田  正己 (書籍編集者)

 

  司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ 「坂の上の雲」 が始まる。 3人の若い知的エリート (うち2人は陸 ・ 海軍の軍人) が青春を謳歌しつつ成長してゆく姿を、 ひたすら富国強兵の道を突き進んでいった明治期日本に重ね合わせて描いてゆくドラマだ。

今年、 来年、 再来年と3年がかりで放送され、 最後は日露戦争の勝利で終わる。

 

◆ 「少年の国」 の虚構

 

  第1回のタイトルは 「少年の国」 、 第2回は 「青雲」 である。

 

  このタイトルからも製作者の意図が読める。 黒船の圧力のもと誕生した明治国家は、 いわば 「少年の国」 であり、 力量も経験もなく、 ただ可能性だけがあったというのだ。

 

  次のように語り出される。

 

  《まことに小さな国が、 開化期をむかえようとしている。

  小さな、 といえば、 明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。 (中略)

  明治維新によって、 日本人ははじめて近代的な 「国家」 というものをもった。

  たれもが、 「国民」 になった。 不馴れながら 「国民」 になった日本人たちは、 日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。

  このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、 この段階の歴史はわからない。》

 

  いかにも司馬遼太郎らしい言い方であるが、 実際の明治初期の日本は本当に 「少年の国」 だったのだろうか。

 

  近代日本最初の武力行使である台湾出兵と、 それに並行してすすめられた琉球処分を見てみよう。

 

  明治4年 (1871年) 11月、 沖縄の宮古島から首里へ年貢を運んでいった船が、 帰途に遭難、 台湾の南端 ・ 恒春半島に漂着する。 66人中54人が原住民に殺害されたが12人は救助され、 福州の琉球館をへて翌年6月に那覇に戻った。

 

  こうした遭難事件は前例も多く、 その処理の仕方も清国と琉球の間で決められていたという (赤嶺守 「王国の消滅と沖縄の近代」、 『琉球 ・ 沖縄史の世界』吉川弘文館、 所収)。

 

  ところが翌年4月、 このことを知った明治政府はその 「事件化」 に取りかかる。

 

  まず米国公使から、 原住民しか住んでいないところは、 当時の国際法では 「無主の地」 とされることを聞き出す。

 

  しかし当時の台湾は、 行政上は福建省の管轄下にある。 そこで清国政府に対し、 どう責任を取ってくれるのか、 と談判する。

 

  それに対し清国の役人が、 事件を起こした原住民は、 王化 ・ 教化に服さない 「化外の民」 だから責任はもてない、 と突っぱねる。

 

  こうして明治政府は、 「無主の地」、 「化外の民」 というキーワードを手に入れた。

 

  「無主の地」 の 「化外の民」 による事件であるなら、 我が方で処断しても構わない、 という理屈になる。

 

  一方、 明治5年9月、 政府は琉球王国を廃して 「琉球藩」 とする。

 

  前年の 「廃藩置県」 に逆行して 「藩」 としたのは、 直接 「県」 としたのでは、 これまで清国と 「進貢―冊封」 の宗属関係にあったのをいきなり一方的に断つことになり、 問題になると考えたからだ。 「藩」 はいわば、 王国と県との中間的な位置づけである。

 

  これだけの手を打った上で、 明治7年2月、 政府は 「台湾蛮地処分」 の方針を決定する。

 

  その中に 「我藩属たる琉球人民の殺害せられしを報復すべきは日本帝国政府の義務にして」 という文言があった。 我が (日本の) 琉球藩に属する人民が殺害されたのに対し、 報復するのは 「日本帝国政府の義務」 だというのだ。

 

  こうして同年5月、 3千6百人の兵力を台湾に出兵、 その後の交渉で、 日本の一部である琉球藩の人民=日本人民の仇を討ったという既成事実にもとづき、 琉球の日本帰属を清国に認めさせた。

 

  台湾出兵の目的の一つは、 琉球を日本の版図に組み込むことだったのである。

 

  5年後の明治12年、 「琉球藩」 は 「沖縄県」 とされ、 「琉球処分」 は完了した。

 

  以上が、 台湾出兵―琉球処分のあらましである。 遭難事件から台湾出兵まで2年半かかっている。 これが、 ナイーブな 「少年」 のやることだろうか。

 

  「はじめて近代的な『国家』というものを持ち」 「いたいたしいばかりの昂揚」 を感じていた 「少年の国」 がやったことだろうか。

 

  とんでもない。 駆け引きに長けた、 老獪 ・ 狡猾な 「おとな」 のやり口だったのではないか。

 

  明治初年の日本が 「少年の国」 だったというのは、 少なくとも対外政策に関してみれば、 まっ赤なウソである。

 

  こうしたウソが、 「坂の上の雲」 全体を通して埋め込まれている。

 

  以下、 明治日本がおこなった戦争について、 ざっと見てみよう。

 

◆ 「明治」 は戦争と植民地獲得の時代だった

 

  台湾出兵の翌 (明治8) 年、 日本の軍艦が江華島事件を引き起こす。 砲撃して上陸、 5百人の朝鮮守備兵を駆逐して城砦を焼き払い、 戦利品を分捕った事件である。

 

  そして翌年、 再び6隻の軍艦を連ねて江華島に行き、 武力を背景に不平等条約 (日朝修好条規) を結ばせる。 これも 「少年」 のやることとは思われない。

 

  この後、 明治27―28年、 ついに清国との戦争に突入する。

 

  発端は、 朝鮮農民が決行した地方役人の悪政と腐敗に対する蜂起である。 日本の農民一揆のスケールをはるかに超えた農民の 「反乱」 が朝鮮半島南部一帯を制圧する。

 

  手に余った朝鮮政府は、 歴史的に宗属関係にあった清国に対して、 援軍の出兵を依頼する。

 

  それを知った日本政府も、 ただちに出兵する。 あわよくば、 この混乱に乗じて清国に戦争を仕掛け、 清国を破って清国と朝鮮との宗属関係を断ち切り、 清国を駆逐して、 朝鮮に対する支配権を確保するためである。

 

  ところが、 清国軍につづき日本軍の出兵を知った農民軍 (東学農民軍) は、 ただちに政府と協定をむすび、 軍を引いて平静に戻る。

 

  清国との開戦の機会を失った日本は、 朝鮮王宮に攻め込んで国王をとりこにし、 日本軍に対して清国軍駆逐の依頼を出させる。

 

  こうして日清戦争は始まり、 その結果、 日本は勝利して、 下関条約で莫大な賠償金と共に朝鮮の支配権を確保し、 あわせて台湾をもぎとるのである。

 

  日清戦争における日本軍の最初の武力行使である 「朝鮮王宮占領」 については、 司馬が小説 「坂の上の雲」 を書いた当時は知られていなかった。 しかし1997年、 日清戦争の研究者、 中塚明 ・ 奈良女子大名誉教授の新史料発掘にもとづく『歴史の偽造をただす』 (高文研) によって、 広く知られるようになった。

 

  今回のドラマでは、 明治期は 「少年の国」 につづく 「日本の青春時代」 として、 「明るく」 「ハツラツと」 描かれる。

 

  しかし現実の明治日本は、 日清開戦の大義名分を手に入れるために、 綿密な作戦計画のもとに、 未明、 朝鮮王宮を襲撃し、 国王を捕虜にするという強盗行為をやっていたのだ。 それも、 外務大臣 (陸奥宗光) と参謀本部の指示のもとに。

 

  また下関条約から半年後 (明治28年10月)、 京城 (ソウル) 守備隊の一部と民間の壮士の一団が、 参謀本部の指示のもとに、 日本公使が指揮をとって王宮に乱入、 日本に抵抗していた王妃を惨殺、 遺体を焼いて埋めるという蛮行をおこなっている。

 

  明治政府の対外政策には、 こういう暗黒の事実がいくつも含まれている。

 

  しかしドラマ 「坂の上の雲」 は、 そういう 「暗い事実」 を無視、 黙殺して、 ひたすら 「明るい明治」 を描き出す。 歴史の偽造である。

 

  そして10年後の37―38年の日露戦争。 司馬にならってNHKドラマも、 これを 「祖国防衛戦争」 として描く。

 

  当時の日本国民の多くにとっては、 たしかにこの戦争はそう受け取られていただろう。 しかし後年――この場合は100年以上もたって――その歴史事実をドラマに描く場合、 当時の 「主観的認識」 をそのまま 「客観的認識」 として描くことはできまい。

 

  日露戦争の講和条約 (ポーツマス条約) の第二条には、 ロシアは今後、 朝鮮における日本の 「政治 ・ 軍事 ・ 経済上の卓絶なる利益」 と、 「指導 ・ 保護 ・ 監督 ・ 管理」 権を認める、 と明記されている。

 

  つまり、 日露戦争での日本の第一目的は、 清国につづきロシアをも駆逐して、 朝鮮の独占的支配を打ち固めることだったのだ。

 

  この条約ではあわせて、 日本はサハリン (樺太) 南半部と南満州でのロシアの権益を獲得する。

 

  そして5年後の明治43年 (1910年)、 「韓国併合」 により、 念願の朝鮮の完全所有=植民地化を果たしたのである。

 

◆時代に逆行するドラマ

 

  こうして見ると、 明治の45年間は出兵 ・ 戦争が相次いだ時代であり、 領土を拡大した時代だった。 日本の三大植民地――朝鮮 ・ 台湾 ・ 南サハリンを獲得したのもこの明治時代である。

 

  帝国主義とは、 武力により領土や権益を獲得することをいう。 帝国主義の立場に立てば、 明治は確かに 「すばらしい時代」 「栄光の時代」 だった。 しかしこれを、 国を奪われた側から見れば、 どう見えるか?

 

  来年2010年は 「韓国併合から100年」 となる。 その年をはさんで、 3年がかりで 「帝国主義の時代」 を賛美、 たたえるドラマを、 「プロジェクト ・ ジャパン」 のメイン企画として放送する。

 

  鳩山首相がくり返し 「東アジア共同体」 の形成を訴えるいま、 この国の最大のメディアであるNHKが、 日本国民の歴史認識を 「帝国主義史観」 で染めあげ、 新たなナショナリズムの昂揚をはかるのである。

 

  思想上の大事件ではないか?

 

(了)