梅田 正己/ジャーナリスト)/著書『「非戦の国」が崩れゆく』(高文研)他)/九条は白骨の丘の上に立てられた道しるべ/06/02/14


 

憲法9条は白骨の丘に立つ道しるべ

                     梅田 正己(高文研代表)

◆ 9条に込められた人類史的 意味

 日本国憲法の公布から、今年でちょうど60年になる。この60年、私たちの国はとにもかくにもこの憲法の下で生きてきた。

 日本国憲法の最大の特色は、何といってもその平和主義、「比類のない徹底した戦争否定の態度」(芦部信喜『憲法』)にある。何しろ、たんに戦争を放棄するだけでなく、戦力そのものの保持を放棄しているのだ。

《第9条・2項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない》

 一億の人口を擁しながら、軍備を持たないことを宣言した国家の出現は、もちろん前代未聞だった。そのことのもつ人類史的な意味は、どんなに強調しても強調しすぎることはない。

この戦争・軍備の全面放棄の条項を憲法に盛り込むことを言い出し、指示した人物として、当時の首相、幣原喜重郎と、当時日本を占領していた連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーの名が知られている。天皇制を護持するためといわれるが、背後にあったのは、日本国民の広く深い共感、あんな愚かで悲惨な戦争はもう金輪際ご免だ、という思いだった。

じっさい、戦争の犠牲はあまりにも大きかった。日本国民だけでも310万人が命を失うとともに、原爆を投下された広島・長崎をはじめ、東京、大阪ほか日本の主要都市はアメリカ軍の重爆撃機B29による空爆であらかた廃墟と化していた。沖縄本島は三ヵ月にわたり地形が変わるほどの“鉄の暴風”にさらされ、戦後は全住民が収容所に入れられた。

日本だけではない。日本が引き起こしたアジア太平洋戦争によりアジア諸国は厖大な犠牲を強いられた。戦後、各国政府が公表した死者数は次の通りである(吉岡吉典氏の調査による)。

 ・中 国    1000万人(2000万という報告もある)

 ・インドネシア  400万人

 ・フィリピン   100万人

 ・インド     150万人

 これにその他の国と日本を加えると、合計約2200万人(ないしは3200万人)となる。

第二次大戦ではアジアと並んでヨーロッパも戦場となった。そこでも厖大な犠牲を生んだ。最新の発表では、ソ連一国だけで2600万人の死者を出したという。

こうした事態を受けて、第二次大戦の終末期、1945年4月にサンフランシスコで国連の創立総会が開幕され、6月、国連憲章が採択される。その前文では次のようにうたわれた。

「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語を絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し」「国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ」「共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し」

「ここに国際連合という国際機構を設ける」

 このように世界中の「非戦」の誓いにささえられ、ナチス・ドイツと同様に壊滅させられながらも、ドイツのように国土を分断されることなく、連合国軍総司令部(GHQ)の監視下ではあっても自分たちの政府をもつことを認められ、国家新生の道標(道しるべ)として戦後いち早く制定にとりくんだ新憲法の中に、「比類のない徹底した戦争否定」の第9条は打ち立てられたのである。

 それはいわば、累々と重なる白骨の丘の頂上に立てられた「非戦の世界」への道標だったといえる。

 

◆限界に来た9条2項の自民党“公定解釈”

 しかし戦後5年、朝鮮戦争の勃発を機に、軍備放棄を指示した当のマッカーサーの指令によって日本の再軍備が始まる。警察予備隊の新設である。それは2年後に保安隊となり、さらに2年後には戦車やジェット戦闘機、軍艦をもつ陸海空自衛隊となった。

ところが憲法9条は、陸海空軍その他の戦力の保持を禁じている。この矛盾を切りぬけるため、自民党政府は、「自衛権は国家固有の権利として憲法9条でも否定されていない」したがって「自衛のための必要最小限度の実力組織」は9条で禁じられた「戦力」には当たらないという“解釈”をとった。

 この“公定解釈”は明らかに欺瞞だった。しかし半面、自衛隊の行動を抑制する歯止めの役割を果たした。9条2項があるために生み出されたこの“公定解釈”によって、自衛隊の海外に出ての武力行使は固く封じられたからだ。

しかしこの10年、自衛隊をめぐる政治状況は激変した。96年の日米両首脳による「安保再定義」から、日米軍事協力の新ガイドライン(97年)、周辺事態法(99年)、アフガン戦争での海上自衛隊による米軍支援(01年)、有事法制の成立(03年)、陸上自衛隊のイラク派兵(04年)とつづいて、昨05年秋には「米軍再編」にともなう在日米軍基地の再配置と、自衛隊の再編計画が発表された。

 そこに想定されているのは、米国の忠実な同盟国の軍隊として、米軍と一体となっての自衛隊の海外での軍事行動である。50年間どうにか維持されてきた自民党の“公定解釈”も、もはや限界となった。

そのために持ち出されてきたのが、昨年10月28日に発表された自民党の「新憲法草案」なのである。

 当然、9条2項は削除されている。そして「自衛隊」の名称は、「自衛軍」に格上げされた。

前文もまるごと差しかえられた。現行憲法の前文はこうだ。

「日本国民は……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し……この憲法を確定する」

「日本国民は、恒久の平和を念願し……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」

 この前文のトーンが、先に引用した国連憲章の前文と響きあっていることは、だれにもわかる。

この前文と、9条2項が、自民党「新憲法草案」では抹消された。

 日本国憲法第9条、とくにその2項は、白骨の丘に立てられた、「戦争のない世界への道しるべ」である。

 数千万の死とひきかえに立てられたこの道しるべを守りぬくことこそ、日本国民の義務であり、誇りである。それが失われるとき、私たち日本国民の最大の自己証明(アイデンティティ)も失われてしまうのだ。