梅田正己/編集者/4・17 名古屋高裁「違憲判決」 イラク特措法の中に 9条は生きていた /08/04/20


 

4・17 名古屋高裁「違憲判決」

イラク特措法の中に 9条は生きていた

梅田 正己(書籍編集者。著書『「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権』他)

 

  前回のこのコラムで私は、さる3月28日、沖縄「集団自決」裁判において大阪地裁で下された判決について「近来まれに見る理性的判決」と書いた。
それから一カ月もたたないうちに、またも見事な「理性的判決」に接することが出来た。4月17日の名古屋高裁で下された航空自衛隊イラク派遣差し止め訴訟においての「違憲判決」である。

この判決について福田首相は、「傍論だ。わきの論。判決は国が勝った」と述べたという(毎日、4・18)。
たしかに結論的には、裁判を起こした人たちの損害賠償請求などは認められなかった。
しかし控訴した人たちが求めていたのは裁判所の憲法判断であり、別に1万円の損害賠償がほしかったわけではない。損害賠償は裁判を成立させるための、いわば方便だ。
その意味で、憲法判断こそが「本論」であり、その「本論」において名古屋高裁(青山邦夫裁判長)は航空自衛隊のイラク派遣は「違憲」との判決を下したのだ。

さて、ここまで「違憲判決」と書いてきたが、報じられた判決要旨を読むと、判決はいきなり憲法判断に踏み込んだのではない。
まずイラク特措法に従って、航空自衛隊の活動内容とイラク現地の状況を検証してその違法性を結論づけ、それを媒介にしてイラクでの空自の活動の違憲性を導き出しているのだ。

ここで適用されているイラク特措法の条項は、第二条の2項と3項である。原文を示すと、こういう条項だ。

第二条   対応措置(この法律に基づく人道復興支援活動又は安全確保支援活動)の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない。  対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。

上の3項の「人を殺傷し又は物を破壊する行為」を「戦闘行為」というとする“定義”は周辺事態法で登場した定義だが、判決は、自衛隊の輸送機が離着陸しているバグダッドは、米軍と「武装勢力が相応の兵力をもって対抗し、双方及び一般市民に多数の犠牲者を続出させている地域である」と認定する。
したがって「まさに国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為が現に行われている地域というべきであって、イラク特措法にいう『戦闘地域』に該当する」と判定した。
よって、イラク特措法違反。

次に、空自のC130H輸送機3機はクウェートからバグダッドへ週に4回から5回、定期的に「武装した多国籍軍の兵員を輸送していることが認められる」。
それは、「現代戦において輸送等の補給活動もまた戦闘行為の重要な要素であることを考慮すれば、多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援を行っているものということができる。」
したがって、少なくとも武装兵員の空輸については「他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない行動であるいうことができる。」
よって、「武力の行使」を禁じたイラク特措法第二条2項に違反する、と判定したわけである。

 こうして、「武力の行使」を禁じたイラク特措法に違反すると判定された空自の行動は、当然、「武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄した」憲法第九条1項に違反する、と判定されたのである。

 先に私が、今回の違憲判決がイラク特措法に媒介されて導き出されたと述べたのは、以上のような意味からである。

 実は、ここで適用された「武力による威嚇又は武力の行使」の禁止や「戦闘地域」からの回避などの条項は、このイラク特措法だけでなく、周辺事態法やテロ特措法などにも例外なく書き込まれている。
 なぜか。
言うまでもなく、9条が存在するからである。
 9条によって、「武力による威嚇又は武力の行使」が否定されており、また「戦闘地域」に入れば否応なく「武力の行使」を強いられてしまうからである。
 
 4月18日の朝日新聞社会面には、喜びにあふれて握手しあう原告たちの写真とともに、「9条は生きていた」という大見出しが掲げられていた。
 まさしく、9条は生きていた。自衛隊派遣のために作られたイラク特措法の中にも「武力否定」の条項が埋め込まれ、自衛隊の行動を拘束していたのである。

イラク特措法の中で、隠然として、9条は生きていた。
その事実を、法と正義を守りぬく責任感から、勇気と誠実、理性的判断によって青山裁判長が呼び覚ましてくれたのが、今回の判決だったのだと思う。