梅田正己/編集者/朝鮮半島・南北首脳会談を見る眼/07/10/09


朝鮮半島・南北首脳会談を見る眼

 

梅田 正己(書籍編集者)

 

 この10月2日、韓国の盧武鉉大統領夫妻は黄色の軍事境界線を踏んで越え、陸路、平壌を訪問した。2000年6月の金大中大統領の平壌訪問から7年ぶりの南北首脳会談が実現し、4日には「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」が発表された。

 

 5日の各紙は、もちろん1面トップでこの南北首脳会談と共同宣言を報じた。

 朝日の見出しは、次のとおりである。

 「朝鮮戦争終結へ協力――南北首脳が共同宣言」

 毎日の見出しも、こうなっていた。

 「南北宣言 経済、平和構築で連携――首脳が随時会談」

 

 ところが、読売は違った。南北首脳会談の横見出しの下に、黒ベタ文字白抜きの大文字で縦に2行、こう並べられていたのである(紙面の写真参照)。

  ――盧大統領「日朝改善を」

  ――金総書記 黙っていた

 

 この見出しを見て、すぐに意味がわかった人は殆どいなかったはずである。

 要するにこういうことだ。4日夜、韓国に戻った盧大統領は、軍事境界線に近い南北出入国管理事務所で国民向けに演説した。その中で、大統領は「米朝関係、日朝関係の改善を急ぐべきだと強く主張した」が、金総書記は「ただ、黙って聞いていた」と語ったという。

 そのことを、見出しにしたというわけだ。

 

 しかし、この見出しをつけた記者は、盧大統領は何を主目的に平壌へ行ったと考えたのだろうか? 「日朝関係の改善」を金総書記に訴えることを主目的に、軍事境界線をまたいで平壌へ行ったと思っているのだろうか?

 

 共同宣言の全文は読売だけが掲載していたが、その冒頭にはこう書かれていた。

 ――「対面と会談では、(2000年6月15日の)共同宣言の精神を再確認し、南北関係発展と朝鮮半島の平和、民族共同の繁栄と統一を実現するのに伴う諸般の問題を虚心坦懐に協議した」

 これが7年ぶりの首脳会談の主目的であり、主題である。日朝関係の改善は、日本にとっては第一の課題であるが、南北首脳会談では当然、付随的な問題となる。

 その付随的な問題を、あたかも中心的な課題であるかのようにすりかえて大見出しに掲げる、その扱いには、自国中心主義の発想、“内向き”の報道姿勢とあわせて、隣国の民族に対する軽侮さえ感じられる。

 

 読売だけに限らない。今回の南北首脳会談の報道で引っかかったのは、会談の成果をなるべく割引して伝えようとする傾向が見えたことである。

 たとえば毎日。5日の〈ニュースの焦点〉の大見出しは、「思惑通り 北朝鮮」となっていた。つまり、盧大統領はわざわざ平壌まで出かけていったが、会談は北朝鮮の作戦通り、してやられた、というわけだ。

 同日の毎日にはまた、「韓国政界 肩すかし」「大統領選 風吹かず――合意に新鮮味なく」という見出しもあった。

 

 朝日もほぼ同様だ。2面の大見出しは「北朝鮮、たっぷり実利――平和訴え揺さぶる」とあり、国際面には「北朝鮮のペースで終始」と平岩俊司・静岡県立大教授のコメントが出ていた。

 社説の見出しもまた「言葉は盛りだくさんだが」と冷ややかだった。

 だが、今回の首脳会談はそんな評価でいいのだろうか。

 

 5日付けの毎日には、小此木政夫・慶応大教授と、鈴木典幸・ラヂオプレス理事、田中均・日本国際交流センターシニアフェローによる緊急座談会が掲載されていた。

 その中で田中氏は次のように語っていた(周知のように、田中氏は小泉元首相の訪朝を準備し、日朝平壌宣言に深くかかわった元外務省アジア大洋州局長である)。

 

「……北朝鮮の政体を考えると、将来いろんな不規則な方向に動くだろうし、合意ができても100%うまくいくものではない、というのは明らかだ。だが、大きく見れば、南北が緊張緩和の方向にいっていること自体を評価すべきだと思う。民族の分断が融和に向かっていることを評価したい」

 

 これが、良識をそなえた人の見解というものだろう。

 朝鮮半島には、今は二つの国家が存在するが、本来は歴史的に形成された一つの民族、一つの国である。それが二つに分断されたのは、日本がその国を滅ぼして植民地にしたためだ。

 日本が第二次大戦で敗れたため、在朝鮮の日本軍(朝鮮軍)の武装解除をするという理由で38度線を境に南からアメリカ軍が、北からソ連軍が進駐し、冷戦がすすむ中、南北に二つの国がつくられてしまった。

 以後60年、朝鮮半島では民族分断、しかも互いに軍事境界線をはさんでにらみ合うという異常な事態がつづいてきた。

その異常事態が、今ついに終わりを迎えようとしている。これを「歴史的」と言わずに、何と言えばいいのだろうか。

 

 ヨーロッパで冷戦が終焉を告げた後も、アジアではなお冷戦体制がつづいてきた。

 そのアジアにおける冷戦の最後の遺物を取り除こうとする南北双方の努力が、今回の首脳会談だった。

 そのことをまず評価し、支持し、後押しする方向で必要な分析を加える。それが、隣国のメディア、それも民族分断に第一の歴史的責任を負う国のマスメディアとして当然のあり方だと思うのだが、実際にこの国のマスメディアから流されてくるのは、首脳会談の成果の乏しさ、不足を指摘する声ばかりだった。

 金正日総書記のしたたかさと、反対に「太陽政策」をとり続けてきた盧武鉉大統領のお人よし振りを強調する報道も目立った。

 

 たとえば、7年前の金大中大統領の訪朝のさいは、金総書記は握手するのに両手を差し出したが、今回は片手だけだったということがさも意味ありげに伝えられた。

 しかし、金大中大統領の場合は史上はじめての韓国大統領の訪朝だったし、また金大中大統領は金総書記よりもずっと年長の上に、外国亡命や獄中経験をへてきた革命家である。金総書記が精いっぱいの歓迎ぶりを示したのは当然であり、それと今回の盧大統領の場合を同列に並べてうんぬんしてもあまり意味はない。

 

 また、金総書記が、大統領の滞在を一日延ばしてはどうですか、と突然提案し、2時間後に撤回したことをとらえて、金総書記に主導権をとられ、韓国側が振り回されたという解釈も流された。

 しかし、久しぶりの、あるいは遠来の客に対して、もう一泊していってはどうですか、というのは、われわれ庶民の間でもよく口にする歓待の表現である。

 いや、やはりご予定がありますか、どうも無理を言ってすみません、と引っ込めるのもよくあることだ。

 

 首脳会談の主要議題として「核の問題」が取り上げられなかったことを、物足りなかった点として指摘した声もあった。

 しかし、核の問題は6カ国協議の最大の問題だ。そしてその北京での6カ国協議は、「第2段階の措置」についての合意文書を採択して、前日に終わったばかりなのだ。

 6カ国協議を主舞台とする核の問題を、2国だけの首脳会議で議題に取り上げるのが不適切なことぐらいは、中学生でもわかるだろう。

 

 共同宣言には、開城―新義州間の鉄道を南北で改・補修することがうたわれた。新義州は鴨緑江岸の中国国境の町だから、北朝鮮をほぼ縦断する鉄道である。

 日本の植民地時代、ソウルは「京城(けいじょう)」と呼んでいた。そのため京城―新義州間の路線を「京義線」と呼んだ。この京義線が、共同宣言にも登場した。

 ――「南北は2008年北京オリンピックに南北の応援団が京義線列車を初めて利用し、参加することにした」

 

 南北の統一選手団はまだできない。

 しかし、来年夏には、共同で改・補修した京義線を使って、南北の応援団数百人、あるいは数千人(それとも数万人?)が北京へ向かうというのである。

 時代は進んでいる。事柄の本質に目を向けず、あら捜しみたいなことばかりに気を取られていると、メディアはますます時代に取り残されるだろう。