梅田正己/編集者/安倍政権は日本国民に何を遺したか /07/09/26


 

安倍政権は日本国民に何を遺したか

 

                梅田 正己(書籍編集者)

 

 06年9月、颯爽と登場した安倍内閣も、ちょうど1年で幕を閉じた。1年前の自民党のサラブレッドも、最後は憐憫と同情の対象で終わった。

しかし、安倍政権が遺したものはけっして小さくない。政権投げ出しの無責任さだけに目を奪われて、そのことを棚上げにしてはならない。

 

 一つの政権が終わった後は、その政権が何をやり、何をやらなかったかをきちんと総括しておくことが必要だ。

小泉政権が終わった後、マスメディアはそれをきちんとやらなかった。そのためテレビでは今も「改革」という言葉が飛び交うが、それが何を意味しているか、その実体・内容はあいまいなままだ。

 小泉「改革」が何であり、その結果、どういう事態が生じたのか、小泉―安倍のバトンタッチ時にきちんと検証・総括しておかなかったマイナスのツケが、いまだに尾を引いている。

 

 さて、では安倍政権は何を遺したのか?

9月21日、次期総裁選のさなか、朝日新聞の若宮啓文・論説主幹は「ポジとネガ 安倍首相の因縁」という長文の評論を書いた。自社連立の村山富市政権との対比による安倍政権に対する一つの総括である。その末尾はこう結ばれていた。

 

「1年で命脈尽きた安倍政権ではあるが、靖国神社への参拝を見合わせ、日中関係を打開した功績は、右派政権ならではの大きなものがある。そして、村山談話への非難の声が政界で影をひそめたことも、安倍氏の皮肉な功績かもしれない」

 

靖国神社への参拝の強行、その結果としての日中関係の悪化は、小泉政権の悪しき置きみやげだ。それを当たり前の状態に戻したのが、大きな功績だと論説主幹は言っている。

そんなことが、はたして大きな功績だと言えるのか?

 

 安倍政権の総括に当たっては、絶対に見逃すことのできないことが、3つある。

 

 第一は、教育基本法の実質的廃棄だ。これにより、半世紀以上にわたる愛国心を軸とする国家主義教育復活への保守勢力の宿願が達成された。
 第二は、国民投票法の成立だ。これが改憲への一里塚であることは言うまでもない。これもまた、保守勢力の半世紀に及ぶ宿望であった。
 第三は、防衛庁の「省」への昇格と、自衛隊の「定義」を変更した自衛隊法3条の改正である。「省」昇格によって、この国を普通の「軍事国家」とするための基礎固めをし、自衛隊法3条に手を加え自衛隊の海外活動を“本来任務”とすることにより、「自衛」に限定された自衛隊の定義を根底から変えたのだ。

 

この3点だけ取っても、安倍政権はわずか1年でこれだけのことを成し遂げた。それも強行採決につぐ強行採決によってだ。保守勢力にとって、これは掛け値なしの「大きな功績」だったはずだ。

 裏を返せば、これらは、民主主義勢力、護憲派にとっては悔やんでも悔やみきれない負の遺産となった。

 そのことを、同じ朝日新聞のコラムニスト、早野透氏はこう書いていた。

 

「『安倍時代』は、コメディーというには傷が深く、悲劇というにはお粗末な幕間劇だった。安倍イデオロギーが人間的未熟と同義語だったとすれば、歴史の神様にお願いしたい。
せめて教育基本法改正と国民投票法のふたつは、時計の針を戻せないものか。」(「『美しい国』の無残な結末」週刊朝日9.28号)

 

 総裁選の結果は、福田330票、麻生197票となった。ほぼ3対2の割合だ。

自民党9派閥のうち8派閥の領袖が福田支持という、初めから勝負にならないと見られていた劣勢の麻生が、これほどの支持を集めたのも、安倍政権の“遺産”の一つだ。

 総裁選で、麻生は安倍路線の後継者と目された。安倍政権の誕生は、自民党内の戦後世代の中に根を張った国粋主義的国家主義勢力が政治の表舞台に競りあがってきたことを示す出来事だったが、その同じ戦後世代国家主義勢力が、麻生を支持したのだ。

 

 この国の国粋主義的国家主義をになうのは、もはや戦中を知る旧世代ではない。高度成長の中で育った戦後世代なのだ。

そのことを明瞭に示したのが、戦後世代国粋主義勢力のリーダー、安倍の率いる政権の登場だった。

 安倍はいったん去ったが、自民党の今後の主力となってゆくのがその仲間であることに変わりはない。これもまた、国民投票法や教育基本法の実質的廃棄とあわせて肝に銘じておくべき安倍政権の“遺産”なのである。(了)

 

近著『「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権』高文研)