池田龍夫/元毎日新聞・ジャーナリスト/ドキュメンタリー「戦時性暴力」改変訴訟 最高裁、“政治介入”の判断を避ける 東京高裁判決を覆し、NHKが“逆転勝訴”08/08/28
ドキュメンタリー「戦時性暴力」改変訴訟
ジャーナリスト 池田龍夫(元毎日新聞記者)
「問われる戦時性暴力」と題したNHKテレビETX2001特集番組(01.1.30放映)改変をめぐる攻防は記憶に新しい。「政治権力の介入の是非」と、「期待権の認定」をめぐって論争が続いていたが、最高裁第1小法廷(横尾和子裁判長)は2008年6月12日、「期待権」に踏み込んだ東京高裁判決を覆し、「取材対象者の番組内容への期待や信頼は原則として法的保護の対象にならない」として、“原告逆転敗訴”を申し渡した。
政治介入が絡んだ“ねじれ判決”の典型例とみられるので、最高裁判決と東京高裁判決内容を再検証して、問題点を探ってみた。
「戦争と女性への暴力」を問いかけた市民運動
まず、裁判に至る経緯を簡単に整理しておこう。問題の発端になった「ETX2001 問われる戦時性暴力」は、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)が2000年12月に開いた「女性国際戦犯法廷」で取り上げた問題で、NHKが取材協力して映像を制作。01年1月30日放映されたが、旧日本軍の性暴力被害者の証言や判決が大幅にカットされたことが明るみに出て、バウネットが「信義違反」として提訴、裁判の行方が注目されていた。
NHK内部の番組制作をめぐるゴタゴタが、なぜ外部に漏れたのか…。番組担当デスクらの内部告発と朝日新聞の調査報道によって、政治権力の介入とおぼしき事実が暴かれたことが事件拡大につながった。その間に“NHK vs. 朝日”、さらに“自民党 vs. 朝日”という対立の構図にエスカレートしてしまった。
「期待権」侵害に踏み込んだ東京高裁判決
東京高裁2007年1月29日の判決は、「本件のようなドキュメンタリー番組などでは、取材者の言動により取材対象者が(番組放映に)期待を抱くのもやむを得ない特段の事情があるときは、取材対象者の番組への期待と信頼が法的に保護されるべきである」と前置きして、具体例を明示して次のように明快に断罪した。
「放送された番組はドキュメンタリーとは乖離し,原告らの期待と信頼を侵害すると言うべきである。NHKは01年1月26日普段立ち会いが予定されていない松尾武放送総局長、国会担当の野島直樹総合企画室担当局長が立ち会って試写を行い1回目の修正がされ、修正版について現場を外して2人と伊東律子番組制作局長、吉岡民夫教養番組部部長のみで協議し、その指示でほぼ完成した番組になった。
さらに放送当日に松尾総局長から旧日本軍兵士と元慰安婦女性の証言部分の削除が示され、最終的に番組を完成しており、本件番組は制作に携わる者の制作方針を離れて編集されていったことが認められる。
その理由を検討すると、番組放送前に右翼団体から抗議されNHKが敏感になっていた折に、予算の国会承認を得るため各方面へ説明する時期と重なり、番組が予算編成に影響を与えないようにしたいとの思惑から、説明のため松尾総局長と野島局長が国会議員と接触した際、相手から番組作りは公平・中立であるようにと発言がなされた。
2人が相手の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度して当たり障りのない番組にすることを考えて試写に臨み、その結果、改編が行なわれたと認められる。原告らは政治家が番組に対し直接指示し介入したと主張するが、面談の際に一般論として述べた以上に政治家が番組に関し具体的な話や示唆をしたことまでは認めるに足りない。
NHKは番組改編を実際に決定して行い、放送したことから、原告の期待と信頼を侵害した不法行為責任を負い、説明責任を怠った責任も負う。NHKは政策担当者の方針を離れてまで国会議員の意向を忖度して改編し、責任が重大であることは明らかである」。
最高裁は「編集の自由」根拠に、NHKの責任問わず
今回の最高裁判決は、東京高裁が下した「特段の事情が認められるときは取材対象者の期待と信頼は法的に保護される」との判断(『期待権』の条件付き認定)を退け、「編集の自由」にウエイトを置いた判決でNHKが“逆転勝訴”したわけだが、最高裁判決理由の主要部分をピックアップして、その論理展開を考察したい。(番組改編の事実経過は東京高裁判決とほぼ同じだが、さらに具体的記述も含めて判決理由の一部を引用する)
――「01年1月26日、NHKにおいて松尾放送局長、野島企画室担当局長、伊東番組制作局長、吉岡教養番組部長及び永田浩三チーフプロデューサーらが立ち会って、試写が行なわれた。松尾や野島が番組の試写に立ち会うことは例外的なことであったが、予算説明の際に国会議員から話題にされることに備えておきたいとの説明がされた。伊東は、この試写後、吉岡に対し、本件女性法廷に批判的な意見も入れるよう指示し、永田らは、秦郁彦日大教授に出演を依頼した。
同年1月29日、松尾、伊東、野島、吉岡、永田及び長井暁番組デスクの立会いの下、仮編集版の試写が行われた。試写後、野島は永田に対し、
@ 本件女性法廷において日本国と昭和天皇に責任があるとした部分を全面削除すること、
A スタジオ発言で本件女性法廷をラッセル法廷に匹敵するかのように積極的に評価している部分を削除すること、
B 海外メディアの反応から日本政府の責任に言及した部分を削除すること、
C 日本政府の責任に言及したその余の部分も削除すること、
D 本件女性法廷に反対する立場の秦教授に対するインタビューを更に追加することなどを指示、それに基づき台本の修正及び本編集が行われた。
さらに、その後、伊東、松尾の指示に基づき、元慰安婦らの証言場面の一部と加害兵士の証言場面等が削除されたため、最終的に完成し、放送された本件番組は40分のものとなった。
この間の同年1月25日、NHKの平成13年度予算案が総務大臣に提出された。NHKではこの少し前から、総合企画室の担当者らにおいて、与党の国会議員の一部に対して個別に説明を行っていたが、本件番組について、4夜連続で本件女性法廷を放送する番組である旨のうわさが流れていることが判明した。
同月29日に松尾及び野島らが安倍晋三内閣官房副長官と面会した際に、松尾が、本件番組について、本件女性法廷は素材の一つであり、4夜連続のドキュメンタリー番組ではないと説明したところ、同副長官は、従軍慰安婦問題について持論を展開した上、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で放送すべきではないかと指摘した。また、本件番組の放送に先立ち、NHKに対しては、右翼団体等から放送中止を求める要求等があった」――。
――「本件番組は、01年1月24日の試写の段階においては、本件女性法廷の手続の冒頭から判決の概要の言渡しまでの過程を、被害者の証言や証拠説明等を含めて客観的に概観できる形で取り上げるドキュメンタリー番組ないしそれに準ずるような内容のものであった。
上記試写後、被告DJが編集方針の違いを理由に番組制作から離脱しており、番組の編集方針に大きな転換が生じたものというべきであるが、上記試写後の吉岡の指示による番組内容の変更は、本件番組の制作責任者としてより良い番組を作ろうとした純粋な姿勢によるものと評価され、この段階における編集の自由は尊重されるべきであり、原告の期待、信頼も維持されていたと認められる。
しかし、ふだん番組制作に立ち会うことが予定されていない松尾及び野島が立ち会って試写が行われ、同人らの意見が反映されて修正が行われた同月26日以降は、同人らが、番組作りは公正中立であるようにとの国会議員等の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度してできるだけ当たり障りの無いような番組とすることを考え、そのような形にすべく本件番組について直接指示したことにより、修正が繰り返されたものであって、これは当初の本件番組の趣旨とはそぐわない意図からされた編集行為であった。
そして、本件番組の取材、編集行為は、放送という目的に向けられた手段であるから、NHKの放送行為と共に被告らが共同して行った本件番組の改編行為が、原告の期待、信頼に対する侵害行為となる」――。
取材対象者への事前説明と異なる「番組改編」を容認
以上、判決理由の前段を読む限り、最高裁が「期待権侵害」を認定しているように受け取れるが、後段の文脈で、放送法の「不偏不党・表現の自由確保」を根拠に、「最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものと異なったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民に一般に認識されているものと考えられる」と述べ、次のように結論づけたのである。
――「放送事業者が番組を制作し、これを放送する場合には、自ら、あるいは、制作に協力した関係業者と共に、取材によって放送に使用される可能性のある素材を広く収集した上で、自らの判断により素材を取捨選択し、意見、論評等を付加するなどの編集作業を経て番組としてこれを外部に公表することになるものと考えられるが、放送事業者がどのように番組の編集をするかは、放送事業者の自律的判断にゆだねられており、番組の編集段階における検討により最終的な放送の内容が当初企画されたものと異なるものになったり、企画された番組自体放送に至らない可能性があることも当然のことと認識されているものと考えられることからすれば、放送事業者又は制作業者から素材収集のための取材を受けた取材対象者が、取材対象者の言動等によって、当該取材で得られた素材が一定の内容、方法により放送に使用されるものと期待し、あるいは信頼したとしても、その期待や信頼は原則として法的保護の対象とならないというべきである。
本件番組の取材に当たった被告DJの担当者は、原告に対し、
@ 本件提案表の写しを交付し、
A 本件番組は、ドキュメンタリーと対談とで構成され、本件女性法廷が何を裁くかということや本件女性法廷の様子をありのままに視聴者に伝える番組になると説明し、
B 昭和天皇についての判決がされれば、判決の内容として放映すべきであると述べ、
C 本件女性法廷の全部及び及びその開催に向けた一連の活動について取材、撮影したいと申し入れ、
D 実際に、原告の運営委員会の傍聴や撮影、松井耶依(責任者)に対するインタビュー。本件女性法廷の会場への下見同行、リハーサルの撮影を行い、本件女性法廷の開催当日、他の報道機関が2階席からの取材、撮影しか許されなかったのに対し、1階においても取材、撮影することが許され、本件女性法廷の一部始終を撮影したというのである。
被告DJの担当者の原告に対する説明が、本件番組において本件女性法廷について必ず一定の内容、方法で取り上げるというものであったことは伺われないのであって、原告においても、番組の編集段階における検討により最終的な放送の内容が上記説明と異なるものになる可能性があることを認識することができたものと解される。そうすると、原告の主張する本件番組の内容についての期待、信頼が法的保護の対象となるものとすることはできず、上記期待、信頼が侵害されたことを理由とする原告の不法行為の主張の理由がない。
上記のとおり、原告の主張する本件番組の内容についての期待、信頼が法的保護の対象となるものものとすることはできないから、このような場合においては、放送事業者や制作業者と取材対象者との間に番組内容について説明する旨の合意が存するとか、取材担当者が取材対象者に番組内容を説明することを約束したというような特段の事情がない限り、放送事業者や制作業者に番組の編集の段階で本件番組の趣旨、内容が変更されたことを原告に説明すべき法的な説明義務が認められる余地はないというべきである。そして、本件においてそのような特段の事情があることは伺われないから、上記説明義務違反を理由とする原告の債務不履行及び不法行為の主張は、いずれも理由がない」――。
「初めに結論ありき」… 一般論でかわした司法の判断
NHKの「番組改変」訴訟は、言論の自由・知る権利の本質を問う裁判だった。市民団体・バウネットが企画した「戦時法廷」をNHKが取材・制作したドキュメンタリー番組。ところが、当初合意していた内容とかけ離れた番組に“改変”されたとパウネット側が訴え、メディア界だけでなく政界を巻き込む事件に発展してしまった。
東京地裁・高裁判決は、NHKの「期待権侵害」を認定して原告勝訴としたが、東京高裁が「NHK放送局長らが政府与党幹部に会った際『番組作りは公平・中立で…』と注意されたことを忖度し過ぎて,差し障りない番組に改編した」として、「期待権に背いて改編した責任」に論及した点が注目された。新たな概念ともいえる「期待権」認定の是非には当時から賛否両論あり、今回の最高裁“逆転判決”に接して、法的権利の解釈の難しさを痛感させられた。
最高裁判決に対して新聞各紙が「編集権の自律」を一様に評価していたものの、NHKの姿勢を容認したものでない。もしも被取材者の「期待権」が一人歩きすると、公権力や企業が「期待権違反だ」と法的措置に走る恐れがあり、表現の自由が脅かされる危険なしとしないが、最高裁判決理由でも指摘した「NHK幹部の改編作業」は常軌を逸していた。
その背後に「公正・中立を…との政治家の発言を忖度した」ことが明白なのに、最高裁は「言論の自由」と「期待権」の法解釈的一般論を述べただけで、“政治権力介入”の有無に一切言及しなかった。
最大の争点とも言える“政治介入”に触れずに、逆転敗訴を言い渡された市民団体側の西野瑠美子共同代表は「司法の公平、公正性に大変失望した。一部政治家の意向に沿うように歪めて放送していいのか」と反発、飯田正剛弁護団長も「判決は具体的な事実を離れて一般論に終始している。NHKを勝たせようとの結論が先にあったのではないか」と、最高裁判決を厳しく批判している。
新聞各紙に掲載された有識者の談話も、「政治家の介入」に触れなかった点を批判した人が多かったが、その中でも的確な指摘と思われる一文を引用しておく(朝日6.13朝刊)。
――「NHK幹部が政治家の圧力を受け、その意図を推し量って番組を改変した結果、取材対象者の期待と信頼を裏切ったというのが事件の本質だ。しかし判決は、政治家の圧力を不問に付し、放送の自律という一般論で判断した。すでにNHKの自律的判断が侵害されてしまった番組を、表現の自由を論拠に擁護する形式的な判決だと思う。政治とNHKの関係について視聴者の不信感は依然解消されていない。判決はどうあれNHKは今後独自に真相を究明し、視聴者に説明責任を果たすべきだと思う」(元NHKディレクター、戸崎賢二・愛知東邦大学教授の話)――。
NHK広報局は、「正当な判断と受け止めている。最高裁はNHKの主張を認め、『編集の自由』は軽々に制限されてはならないという認識を示したと考える。今後も自律した編集に基づく番組制作を進め、報道機関としての責務を果たしていく」と、通り一遍の談話を出しただけ。
「自律性欠如が引き起こした騒動」との自己反省の弁を述べるべきではなかったか。またNHK幹部と接触した安倍晋三前首相は「NHK職員を『呼び付けた』ことや『政治的圧力を加えた』との朝日新聞報道は捏造だったことを再度確認できた」と語り、中川昭一元自民党政調会長も同趣旨の談話を発表した点にも、NHK勝訴の背景が透けて見える。
これに対し、朝日新聞は6.13朝刊で「朝日新聞はこの訴訟の当事者ではなく、判決も番組改変と政治家のかかわりについて具体的に判断していませんので、コメントする立場にありません」との広報部談話を発表しただけだった。確かに、今訴訟はNHKと市民団体の係争だったが、安倍談話にもあるように朝日新聞報道とも関連している事件だっただけに、もう一歩踏み込んだ姿勢を示すべきではなかったろうか。
NHK報道の「放送倫理違反」を警告したBRC
最後に、今訴訟と直接関係ないものの、最高裁判決2日前の6月10日「放送と人権等権利に関する委員会」(BRC)が公表したNHK報道に関する指摘に触れておきたい。
これは、慰安婦問題・東京高裁判決(07.1.29)を報じた「NHKニュースウオッチ9」につき、市民団体バウネットの申し立てに基づいて、BRCが放送内容を検証していた問題だ。同ニュースがNHKの言い分と安倍氏の談話を放送しただけで、バウネットのコメントに触れず、報道の公正性が問われたケース。BRCは「訴訟の原告側主張に触れずNHKの解釈だけを報じたことは公平性に欠け、放送倫理違反があったと言わざるを得ない」との決定を下した。BRCは放送番組向上のため、人権侵害や放送倫理違反などを審理する機関であって、裁判とは無関係だが警告の趣旨は重大だ。
NHKは、最高裁判決を伝えた6月12日夜のニュースで、判決内容に続き、原告・被告双方のコメントを放送した。BRC警告に配慮したと思えるが、「政治家の介入」につき最高裁が判断しなかった点に触なかったことに違和感を覚えた。
――「ETX2001裁判を通して、視聴者・市民らは自らの『知る権利』が大いに侵害されていたことに気づいてしまった。NHKが法廷戦術から編集過程に踏み込んだ陳述書を高裁に提出したことは、皮肉にも勝訴と引き換えにさらなる情報公開の欲求を刺激したのである。重要なのは、この裁判を通して安倍氏が『持論を展開し公正中立な番組づくりを要請した』という事実が周知されたことであり、NHKがかほどのことで恥ずべき『忖度』をしたことが国民に記憶されたということだ。……しかし、裁判が継続していた7年の間、誰も禁止したはずのない従軍慰安婦に関する番組が放送されたとは聞かない。目に見えない萎縮があるとすれば、自主自律の綱領は画餅に過ぎない。裁判も終わったことだし、せっかくお墨付きをもらった編集権を行使して、従軍慰安婦に関する番組に『再チャレンジ』して欲しいものだ。あるいは第三者委員会に裁判の過程で見えてきた真相の解明を委ねてみてはどうか」――
との神保太郎氏のメディア批評(『世界』08年8月号)は、問題の所在を鋭く衝く指摘である。
[注]一審・東京地裁は2004年3月、「女性国際戦犯法廷」取材に当たったNHKの孫請け制作会社だけに100万円の賠償を命じた。東京高裁は07年1月、NHKに200万円の賠償を命じ、制作にかかわった2社にこのうち100万円について連帯責任があるとしていた。
(2008年8月/記)