池田龍夫/ジャーナリスト・元毎日新聞記者/戦前の北大生冤罪事件と「秘密保護法」の危険性 14/03/17

            戦前の北大生冤罪事件と「秘密保護法」の危険性

                         池田龍夫 ( ジャーナリスト ・元毎日新聞)

  現代版・治安維持法と言われる「特定秘密保護法」に対する反発は各界・各層で広がっている。

 こんな折、新聞各紙は2月23日「『宮澤弘幸追悼・顕彰の集い』が、菩提寺の新宿・常園寺で行われた」と報じた。22日は、スパイ容疑で不当逮捕された北海道大学生・宮澤氏が、米人恩師とともに逮捕され、他界された日から67回目の命日。よく知られていない事件だが、最近の「秘密保護法」強行可決が戦前の恐怖政治につながる悪法との危機感が高まった。全国から同志140人が集まり、「秘密保護法廃棄への輪を広げよう」との決意を表明した。

 日米開戦の日に、米国教師とともに逮捕 

 宮澤氏が逮捕されたのは1941(昭和16)年12月8日、日米開戦の日。内務省のスパイ摘発の厳命によって、米人英語教師ハロルド・レーン氏とともにスパイ容疑で検挙された事件だ。宮澤氏は嫌疑をかけられるような学生ではなかったが、米人教師との関係が疑われたに違いない。宮澤氏の主な容疑は、樺太に旅した時に見かけた海軍飛行場について、レーン氏に話したことという

 宮澤氏の公判は1942年の夏、札幌地裁で始まり同年暮、懲役15年の判決。上告したが、大審院は戦時特例法を盾に上告を棄却、懲役15年の重刑が確定した。網走刑務所に収監された宮澤氏は、獄中生活で衰弱。1945年6月になって宮城刑務所へ移され、8月15日の敗戦を迎えた。すぐは釈放されず、GHQ(連合国軍)の超法規的処断によって10月10日釈放された。ところが衰弱しきった宮澤氏は、出所後の1947年2月22日他界した。

 「ガンよりも国の政治が怖い」と、妹さんの悲痛な訴え

 2月22日の追悼集会には、宮澤氏の妹、秋間美江子さん(87歳)が米国コロラドから参加。「兄は何も罪がなかったのに、過酷な刑務所生活によって事実上殺されたのです。周囲の目も厳しく、私には青春なんてなかったのです。5回のガン手術を受けましたが、87歳の今まで元気でおります。ガンよりも国の政治の方がよっぽど怖いのです。機密保護法案は通ってしまいましたが、皆さん頑張って反対してくださいね」との訴えが、参列者の胸を打った。

 「宮澤氏冤罪の真相を広める会」(山野井孝有代表)は追悼会の最後に、①秘密保護法を廃棄させるまで運動を継続する②北大生・宮澤氏に対する処置を糾し、責任を追及し謝罪を求める③「心からの碑」(仮称)を北大構内に建設する――との課題を提起して、全国的な展開を誓い合った。

 そもそも治安維持法は、1925年5月、共産主義運動の制限を目的に制定されたもので、資本主義と天皇主権に反対する運動を取り締まる法律。ところが、共産主義運動だけでなく民主主義的運動・極右運動や新興宗教弾圧などの弾圧にも適用され、逮捕監禁・死刑執行の暴挙が敗戦まで続いた。つまり、反政府組織全般への取締りに用いられた悪法だった。

 現在の秘密保護法も取り締まり基準が曖昧で、拡張解釈して悪用される危険がつきまとう。言論の自由、知る権利を脅かすような悪法に待ったをかけたい。
  (いけだ・たつお)1953年毎日新聞入社中部本社編集局長、紙面審査委員長など。