藤田博司 (共同通信社社友・元共同通信論説副委員長)報道に乏しい危機感 13/11/01

 

       報道に乏しい危機感 13/11/01

   藤田博司 (共同通信社社友・元共同通信論説副委員長)

 特定秘密保護法案を安倍政権はこの秋の臨時国会で成立させたい意向だという。日本版NSCと呼ばれる国家安全保障会議設置法案と抱き合わせで今国会での目玉とされている。

 野党や法曹界からは反対の声があがり、多くの問題点が指摘されている。しかし政府はこの特定秘密保護法案を強引に国会審議にかけ、押し通す構えを見せている。ことは国民の知る権利や報道の自由に関わる重大な意味を持っている。が、これまでのところ、新聞やテレビの報道に、問題が切迫している気配を伝える危機感が乏しい。

表面なぞるニュース

 メディアの報道に「特定秘密保護法案」の言葉が目につき始めたのは8月下旬、政府が秋の臨時国会に法案を提出する「方針を固めた」と報道された(8月24日朝日新聞)ころからだった。政府が自民党に政府原案を提示したのは9月末、以後、自民党や与党公明党との間で法案の内容をめぐる調整が続いたが、臨時国会開会の10月15日までにはまとまらなかった。

 この間メディアは何を伝えていたか。朝日新聞を例にとると、8月24日の紙面では、法案が安全保障4分野での秘密の漏えいに対する厳罰化を図るものであること、それが「同盟国の米国などと情報共有を進める必要があるため」のものであることなどを指摘し、ただこれには「国民の知る権利や報道の自由、プライバシーの保護に抵触しかねないとの懸念がある」ことにも触れていた。

 法案の狙いや内容がより具体的になった9月の段階では、政府が法案成立を急ぐ半面、「公権力による『情報隠し』につながるという疑念」があることも伝えていた(9月18日)。朝日は8月25日と9月19日の2回にわたって社説でこの問題を取り上げ、法案に対する疑問や問題点を提起していた。

 法案に無関心だった、というわけではない。しかし他の新聞、テレビの報道や、その後の報道を考え合わせると、法案の文言をめぐる政府と政党の間の駆け引きなど、表面的な動きをなぞるニュースが多かった。法案の問題点を深く掘り下げた指摘が、皆無とは言わないまでも、ひどく乏しいように思えてならなかった。メディア自身がこの法案の持つ問題性をあまり意識していないのではないかと疑いたくなるほどだ。

 疑う理由は8月以前の報道を振り返ってみるとわかる。再び朝日新聞を例にとってみよう。データベースで過去2年間(10月14日現在)に掲載された「秘密保護法案」と「秘密保全法案」(今年8月以前は「保全法案」と呼ばれていた)のいずれかを含む記事を検索すると、ヒット数は146件、最初の記事は野田政権が「秘密保全法案を来年(2012年)提出の方針」(11年10月8日)だ。しかし12年3月「提出見送りも」と伝えられたあとは、関心が一挙に低下、その年の年末までの記事件数は18件、そのうち全国版の掲載記事は8本だった(ほかは地方版)。

「配慮」では意味がない

 地方版の記事は各地の弁護士会や市民団体による秘密保全法案反対の動きを伝えたものだが、全国版にはそうした動きや主張がほとんど反映されていない。12年中に全国版に掲載された記事のうち、法案の中身について触れたものは5月3日付の1本にとどまっている。

 12年末に安倍政権が登場、13年3月に秘密保全法案の「提出を検討」と報じられてメディアの関心も戻ってくる。しかしNSC法案提出を伝えた6月8日付の記事では、秘密保全法案の問題点については「秘密の範囲や罰則をどう定めるか議論を呼びそうだ」としか触れていない。法案の臨時国会提出の方針を伝えた7月27日付の記事は、提出の理由を「米国と情報共有を進めるために必要と判断した」と政府の立場に立ったような書き方。まるで問題意識を欠いた報道姿勢と評されても仕方がない。

 8月末以降も、それまでの報道に表れた、秘密保護法(保全法)案に対する関心の鈍さはあまり変わっていない。9月から10月にかけての法案をめぐる報道の関心は、もっぱら「知る権利」や「報道の自由」が法案のなかに盛り込まれるかどうかに集まった。一連の報道は、あたかも法案の成立を前提にした条件交渉の経過を伝えているかのような印象さえあった。

 秘密保護法案に比較的関心が高いと思われる朝日新聞でさえこうしたありさまだから、他の新聞、テレビの報道には、一部の例外は別として、法案の問題性を指摘し追及するようなニュースにはほとんどお目にかかれなかった。

 10月17日、政府と公明党の間の「調整」で「知る権利」と「報道・取材の自由」が法案の最終案に盛り込まれることになった、と報じられた。最終案は取材活動について「法令違反または著しく不当な方法によるものと認められない限りは、正当な業務による行為とする」との文言を盛り込み、法律の解釈、運用にあたっては「国民の知る権利の保障に資する報道または取材の自由に十分配慮しなければならない」と明記するという。

 しかしこれはいわば努力義務規定に過ぎず、「特定秘密」に関わる取材活動の自由が保障されることにはならない。これらの文言が明記されたところで、「特定秘密」の指定やプライバシー保護への懸念が払しょくされるわけでも、秘密解除や情報公開に関わる問題が解決されるわけでもない。が、メディアの報道はこの「配慮」や文言の「明記」にほっと一安心したような気配さえ漂わせている。

日本の将来がかかる問題

 特定秘密保護法案の基本的な問題点は、開かれた民主主義に真っ向から逆行することにある。行政府の長が一方的に「特定秘密」を指定する。指定が妥当かどうかだれにもわからない。指定された秘密の解除、公開については定めがない。秘密を洩らしたもの、漏らすようそそのかしたものには厳罰が加えられる。法案がいまのまま成立することになれば、権力にとって不都合な情報は永久に闇に葬られ、権力者の不正や逸脱をだれも監視したり告発したりできなくなる。

 仮に百歩譲って、特定の秘密保護のためにより厳しい立法措置が必要だとしても、権力にとって都合のいいだけの秘密保護法にすることは避けねばならない。そうするためには、行政の長が恣意的な秘密指定をしないよう、その妥当性を審査できる第三者機関を設ける、秘密指定には期限を明確につけ、情報公開の手続きを定めて将来の検証の道を確保する、正当な内部告発者を保護する手立てを設ける、報道目的の取材活動を妨げないことをはっきり規定する、などを法案に明示せねばならない。そこは譲れないはずだ。

 秘密保護法を必要とする理由に、日本の情報管理が甘いため外国(特に同盟国の米国など)から信用されず、情報を共有させてもらえないことをメディアも伝えている。本当にそうなのか。「日本政府に情報を伝えるとすぐに外部に漏れてしまう」と、政治家や当局者はいう。しかしそうした実例がどれほどあったのか、突っ込んで取材し報じた報道はまだ目にしていない。

 秘密保護法案がこれからの日本にとって、民主主義にとって、途方もなく重大な問題を提起しているのに、一番敏感に反応してもらいたいメディアが何とものんびり構えているように見えてならないのである。これは単に政治の問題じゃない、防衛や外交の問題じゃない。日本の将来、日本人の将来がかかった問題だよ、ということを、なんとか永田町で仕事をしている記者諸兄に分ってもらえる方法はないだろうか。

 新聞週間にあたって毎日新聞の社説(10月14日)は特定秘密保護法案に触れてこう書いている。「公権力の行使が適切かどうかを監視するのは報道の最大の使命だ。報道機関としての毅然とした姿勢がもちろん問われるが、役割を果たすためにも、厳しい目で法案をチェックするのは当然だ」。その言やよし。今からでも遅くない。有言実行を期待したい
                   (『メディア展望』2013年11月号[メディア談話室]より転載)