藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)メディアの軽さと危うさ/iPS誤報騒ぎで考えたこと 12/10/16

 

    メディアの軽さと危うさ/iPS誤報騒ぎで考えたこと

    藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)

 ただ「誤報騒ぎ」と呼んで済ますにはあまりに大きな失態だった。読売新聞が10月11日朝刊に大々的に伝えた「iPS細胞の心筋移植/初の臨床応用」のニュース、1面トップの記事のほか、3面の解説でも取り上げ、さらに夕刊、翌日の朝刊でも続報を展開した。共同通信は11日朝の読売報道を追いかけて、同日夕刊用に同趣旨の記事を配信、北海道新聞はじめ加盟新聞の多くが夕刊または翌日朝刊で大きく報じた。

 しかし読売の初報から1日と経たぬうちに報道の内容に疑惑がもたれ、報道された事実を否定する情報が相次いで伝えられた。移植手術の実施そのものが否定され、手術に立ち会ったと主張する情報提供者の肩書も詐称であることが指摘された。本人の主張以外、手術が行われたことを裏付けるものはまったくなく、研究協力者と名指された人たちからも関与を否定する声が相次いだ。

 読売は13日朝刊に自社の記事の「検証」結果を報じ、記事全体が虚偽の情報に基づく誤報であることを認めて、編集局長のお詫びの言葉を掲載した。共同は11日の配信記事が誤報であることを認める検証記事とお詫びを12日中に配信し、11日の記事を掲載した主だった新聞はこれを13日朝刊に掲載した。他紙も連日この誤報の事実と、情報提供者である「森口尚史・東大特任研究員」の動向を詳しく報じた。

 一連の報道を通してあらためて感じたことは、メディアの報道の、このうえない軽さと危うさである。ニュースの報道には慎重であるはずの有力新聞がこの程度の情報提供者に易々とだまされたこと、しかもだまされたのが今回初めてではなさそうに思われること、などがわかってきた。この程度のことで新聞が誤報に走った事実は、読者、視聴者の報道に対する信頼を少なからず傷つけたに違いない。今回誤報をしなかった他の新聞、メディアにとっても、他山の石として自戒しなければならないだろう。

 読売の検証記事によると、読売には9月19日ごろに情報提供者の側から報道への働きかけ(情報の売り込み)があったという。読売はこれを受けて担当記者が10月4日には東大病院で情報提供者に直接会って6時間にわたって取材し、また再生医療の専門家からも手術に関して意見を聴いたという。そうした取材に基づいて11日の報道に踏み切ったというのだが、検証記事を読んでどうしても腑に落ちない点がいくつかある。担当記者はなぜ、手術が行われたというボストンの病院に確認の取材をしなかったのか。手術に先立って必要な倫理委員会の審査の手続きについて、なぜ確認をしなかったのか。医師の資格のない情報提供者には、手術を行う医師なり、看護士なりの協力者がいたはずなのに、そうした人たちへの裏付け取材の努力をしたのかどうか、はっきりしない。「ハーヴァード大学客員講師」を名乗っている以上、大学に問い合わせることで本人の主張する研究活動などを確認する取材などもなぜしなかったのか。これらの取材の1つでも実行に移していれば、その肩書が虚偽であることや、協力者が存在しない不自然さにすぐに気づくことができたはすである。

 取材をする時間がなかったわけではない。情報提供の話があってから紙面化するまでに3週間の時日があったのに、なぜこうした取材ができなかったのか。あるいはしなかったのか。読売の検証記事ももう少していねいな取材を積み重ねていれば「今回の誤報は避けられただろう」と指摘している。後で振り返ってみれば、なぜこうした、事実確認のための基本的な裏付け取材をしなかったのか、悔やまれるに違いない。

 報道によれば、朝日、毎日、日経の各紙にも同じ人物から事前に情報提供と報道への働きかけがあったという。しかし3紙は本人やこの分野の専門家への取材を通じて情報の内容に疑問を持ち、報道することを控えたという。読売と同じ条件におかれながら、情報の内容を冷静に検討した結果、報道に値せずとの結論に達したのは、当然のこととはいえ、適切な編集判断がなされたと言えるだろう。

 共同の誤報は、読売の報道に先を越され、短時間のうちにこれに追いつくことを求められる重圧の中で生じた誤報と言える。その意味で、読売の場合とは事情が異なることは理解できる。しかし、読者、視聴者の側に立ってみれば、誤報は誤報であり、原因がどうであれ、誤報の言い訳にはできない。時間の制約があっても、情報の中身を検証し、確認をとることは報道の基本中の基本であるはずだ。その確認の作業をおろそかにすることはどのような理由があっても許されない。先行した読売の報道内容に引きずられた部分があったかもしれない。読売の報道に無意識ながら一定の信頼を置き、共同自身で確認すべき手順を省略したということはなかっただろうか。あらゆるニュースは現場の記者自らの手で確認の作業をすべきことを、共同としては今回、学んだはずである。

 ニュース報道では、記者会見や公式発表の場合を除いて、単独の情報源から提供される情報については、必ず別の独立した情報源で確認、裏付けをとることが必須と考えられている。特に特ダネ情報のように特定のメディア(あるいは記者)に対してのみ提供される情報については特に注意深く裏付け取材をする必要がある。ところが、今回の読売の誤報に関しては、その検証記事から判断する限り、情報の裏付け取材を試みた気配がない。試みていればすぐにも経歴詐称が明らかになっていただろうし、移植手術の不自然さ、整合性のなさに気づいたに違いない。「世界初の試み」ともされるiPS細胞の臨床応用といった重大な情報について、手術に関わった協力者やこの分野の専門家に当たって確認をとることなく記事の紙面化を進めた読売の編集判断には、その軽さ、無謀さに驚くほかない。

 嘘の情報を読売に提供した森口・東大特任研究員は、これまでにも新聞に幾度か取り上げられたことのある人物らしい。16日付毎日新聞によると、毎日は09年から今年夏までの3年間にこの人物の研究内容に関する記事を5度掲載していた。いずれもこの人物の側から情報提供の申し出があったもので、海外の学会での発表予定の内容や科学誌に掲載された記事の内容紹介、国内の学会発表の内容などだったという。毎日はこれらの研究内容などの真偽については触れていないが、記事掲載時の肩書はいずれもハーヴァード大学の「研究員」「客員講師」を名乗り、明らかに事実と異なる肩書を使っていたことを指摘している。

 読売は10年5月1日付紙面で、「森口ハーヴァード大学研究員と東京医科歯科大学のグループ」がiPS細胞を活用してC型肝炎に効く副作用の少ない薬の組み合わせを見つけることに成功した、と伝えていた。これについて、今回の誤報騒ぎのなかで12日、東京医科歯科大学がそのような研究との関わりを全面的に否定、1年半前の読売報道が事実に反することを明らかにした。大阪版紙面のニュースとはいいながら、研究の当事者と名指された大学の関係者が専門分野に関わる読売新聞の報道を1年半もの間、知らずにいたことも驚きだが、この種の事実に反する報道が間違ったまま放置されても問題にならない情報環境にも危うさを感じざるを得ない。

 森口特任研究員は、ニューヨークから帰国後の16日現在も、最初は6例あるとしていた移植手術のうち5例についてはうそだったことを認めたが、1例については真実だと主張している。しかしそれを裏付ける証拠は何ら提示せず、もはやこの人物の主張は完全に破綻し、信憑性はゼロと見なされている。とすれば、この人物について新聞が過去に伝えたいくつかの報道の内容にも疑惑の目が向けられて当然だろう。報道した各新聞は記事を検証し、内容の真偽を確かめる責任がある。そして、過去の報道の中に多少とも事実関係の疑わしいものが含まれているとすれば、それを報じた新聞は、今回の読売に劣らず、報道のありようを深く反省しなければなるまい。

 今回、読売や共同のように誤報の大失態を演じなかった新聞、放送を含め、メディア全体として反省、留意しなければならないことは、読売が犯した過ちは他社の報道現場でも容易に起こりうることだということ、そして、読売や共同で、ジャーナリズムの基本中の基本である情報の確認作業がなぜ今回、いとも簡単におろそかにされたのかを見直し、過ちの原因をしっかり突き止めておくことだろう。

 原因の一つがハーヴァードや東大といった権威に弱いメディアの体質にあることは間違いあるまい。森口氏は12年も前にほんの1カ月余滞在した時の「ハーヴァード大学客員講師」の肩書をその後もずっと使い続けているようで、報道の側はそれを一度も疑った様子がない。「海外」にも弱い。森口氏は「海外の学会」発表や「海外の専門誌」への論文寄稿などを情報の売り込みにふんだんに活用していたようで、メディアはそれで目くらましを受けていた。読売は森口氏の「業績を信頼した理由」に、海外の「有力専門誌」への論文投稿があったことを検証記事の中で認めている。

 もう一つ、読売を誤報に追い込んだ原因と思われるのは、他社を出し抜いて報道したいという特ダネ意識ではないか。森口氏が読売に情報提供をもちかけたとき、森口氏はすでに日経新聞、毎日新聞にも同じ情報の報道を働きかけていた。読売に持ちかけた後、朝日にも持ち込んでいるが、読売にはその意図が伝わっていたはずである。読売は(ほかの各社も)競争相手に出し抜かれるかもしれない懸念を抱えながら、この情報の価値を判断していたに違いない。結果的に、読売を除く3社は情報への信頼の欠如が出し抜かれる懸念に勝ったのであろう。読売は逆に、出し抜かれる懸念の重さに耐えきれず、必要な裏付け取材も十分尽くさずに報道に踏み切ったと推測されるのである。iPS細胞の研究で山中伸弥教授のノーベル賞受賞が発表された直後というタイミングが、関連分野での新たな業績を伝える報道に踏み切る判断を後押ししたことも考えられる。とすれば、読売にとっては、山中教授のノーベル賞受賞は不幸なタイミングの符合ということになる。

 しかし、それもこれも、ニュース報道の基本である、情報の確認をおろそかにしていい理由にはならない。読売は(むろん共同も)その基本をないがしろにしたことで、おそらくは報道の歴史に残るであろう大きな誤報をしでかす結果になったのである。