藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)取材源明かした日経新聞―原則破りに鈍感なメディア 12/07/24

 

           取材源明かした日経新聞

           原則破りに鈍感なメディア 

             藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)

 7月21日付『毎日新聞』のメディア欄は、名誉棄損をめぐる損害賠償裁判で『日本経済新聞』が記者の取材メモなどを法廷に提出、取材源を実名で明らかにしていたことを取り上げた。大阪地裁でのこの裁判の判決が出たのは6月15日、翌16日の大阪本社発行の各新聞は日経側が敗訴したことを伝えてはいたが、取材源が明らかにされたことを指摘したのは『毎日新聞』だけだったようだ。

 原告は大阪・枚方市の公共工事を巡る談合事件で1審、2審とも有罪となり、控訴中の元枚方市長。元市長が業者側から「頻繁に接待を受けていた」とする2007年7月の『日経』の報道を「事実無根」と主張し、名誉棄損で1000万円の損害賠償を求めて争っていた。判決は、『日経』の取材が不十分とし、報道内容を真実とは認められないとして、600万円の賠償を命じていた。

 裁判の勝ち負けはしばらく置くとして、判決文を読んで驚かされたのは、被告の『日経』側が取材過程の詳細が記録されたメモや担当記者の間でやり取りされたメールを法廷に提出していたことである。しかもこのなかで、朝回りや夜回り取材をした取材対象の大阪地検の検事正や次席検事の実名を挙げ、それぞれとの一問一答などまで明らかにしていたことである。

 通常、この種の情報の取材は、取材源側の要請で匿名を条件として行われる。記事公表の際も取材源は伏せられるし、仮に何らかの理由で捜査当局や裁判所から取材源を明らかにするよう求められても拒否するのが、報道に携わる者の基本倫理とされている。判例でも記者には取材源を秘匿する権利が認められている。米国では比較的最近も、捜査当局の命令に抗して取材源を明らかにすることを拒否したため、記者が収監されたケースがある。

 取材源の扱いはそれほどに慎重でなければならないのに、今回の『日経』の場合は特に権力の側からの強制があったわけでもないのに、取材源の事前の了解をとることもなく、あっさりと取材源を明らかにし、取材メモやメールまで提出したと思われる。これはジャーナリズムの常識からすると、途方もなくジャーナリズムの原則から逸脱した行為と見なさざるをえない。

 おそらく『日経』としては、自分たちの情報の信憑性を裏付けるために、地検幹部という取材源を引き合いに出して、記者とのやり取りの詳細まで明らかにしたのではないかと推測される。しかし判決文を読むと、裁判所側はその詳細を踏まえたうえで、かえって取材が不十分、不完全であったと判断していることがうかがえる。裁判所に取材のお粗末さを指摘されるのは、何とも情けない。しかし何より理解しがたいのは、取材源の秘匿というジャーナリズムの基本倫理を、なぜ易々となげうってしまったのか、という点である。ジャーナリズムの基本精神がすっかり弛緩してしまっているように感じられてならないのである。

 この『日経』の「弛緩」と同時にもう一つ気になるのは、他の新聞やテレビの反応の鈍さである。判決翌日の紙面で取材源の裁判所への開示があったことを指摘していたのは『毎日』だけで、他の新聞はその事実さえ記事の中で触れていない。『日経』が敗訴して600万円の賠償支払いを命じられたことは書いているが、もっと重要な出来事が裁判の過程であったことには目を向けていない。この事実に対するメディアの無関心の表れだとすれば、これも『日経』の「弛緩」に匹敵するお粗末さと言わねばなるまい。これが日本のジャーナリズムの劣化を示すものとは思いたくないが、その懸念はまったくの杞憂でもなさそうに思えるのである。

 ちなみにこの裁判の原告、被告双方とも上告しているということなので、今後の動きも注視していく必要がある。