藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)期待される新たな原発報道 12/02/05

 

期待される新たな原発報道 

藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)

「2011年報道写真展」がいま、横浜の日本新聞博物館で開かれている(4月15日まで)。昨年1年間の優れた報道写真を集めたこの展示で目を引くのは、当然のことながら東日本大震災にかかわる写真である。巨大津波の猛威、その被害の甚大さ、被災した人たちの悲嘆と苦悩―写真が切り取った現実の一つ、一つが見るものの心を打つ。

抜け落ちた事故の記録
「なでしこジャパン」の女子サッカーワールドカップ優勝のような明るい話題の映像もある。「アラブの春」を伝える海外の写真もある。が、昨年暮れ、約300点にのぼる展示のプレビューを見たとき、どうしても釈然としない気持ちが残った。福島第一原発事故とその深刻な影響を記録にとどめる写真がすっぽりと抜け落ちているように感じられたからである。

 原発事故関連の写真が皆無というわけではない。事故から8か月もたった昨年11月、メディアの代表取材で原発敷地内を撮影したものはある。放射線被害を逃れて避難所に暮らす人々の写真はある。しかし事故直後の敷地内の写真はもとより、住民がとるものもとりあえず避難を余儀なくされたあとの、原発周辺地域の町や村の様子を記録したものがほとんどない。

 あれだけの大規模な被害をもたらした、人類の歴史に残る事故を証言する映像の記録が、少なくとも大手メディアの報道写真にはない。これは日本の写真ジャーナリズムにとって大きな失態といえるのではないか。

 原発事故後の写真が乏しいことにいくつかの説明はできる。原発敷地内に入るには放射能汚染の危険が大きすぎたし、取材も認められなかった。周辺地域への立ち入りも長期にわたって制限された。報道各社は当局による立ち入り制限の措置を前に、すっかり立ちすくんでいたように見える。しかし事故直後はともかくその後の数か月は、取材する側にその意欲さえあれば、方法、手段はあったはずである。だが報道各社が敷地内や周辺地域の取材をするために、あらゆる手立てを尽くした形跡はうかがえない。

 むろん写真だけの問題ではない。文字で伝えるニュースもテレビ映像も、一部の例外的なケースを除いて、事故から最初の数か月間、原発とその周辺地域から、ほとんど報道らしい報道はなかった。報道写真の場合と同様、報道各社が記者を現場に送り込んで実情を伝えようとする努力を怠ったためと思われるのである。

事実踏まえた検証
  歴史の最初の証人となるべきジャーナリズムがその責任を果たせなかったという意味で、これには大きな悔いが残る。ただ覆水は盆にかえらない。済んだことを悔やむより、これからの報道でこの失態の償いを心がけることが、メディアに求められるだろう。その期待を持たせてくれる、新たな原発報道の試みもいくつか始まっている。

 その一つは『朝日新聞』が朝刊総合面の左肩定位置に、昨年10月から連載を続けている「プロメテウスの罠」である。1シリーズ各十数回で、1月初めから第6シリーズに入っている。数人の記者がそれぞれのシリーズを担当、原発事故直後の周辺地域の事情や放射能研究者・専門家らの動き、政府・行政機関の対応などを、その後の綿密な取材を踏まえて伝えている。最新の第6シリーズでは、事故直後の首相官邸の様子を生々しく再現していて、興味が尽きない。

 この連載の際立った特徴は、原発事故にかかわるさまざまな場面を、できるだけ具体的な事実として記録にとどめようとしていることだ。その意図をきわめて効果的に支えているのが、すべての人物に実名で語らせていることである。新聞報道にありがちな「当局者」や「関係者」といった匿名の人物は登場しない。伝える事実に信頼性を持たせるには、この方法しかありえない。その手法を連載は忠実に実践している。

 事故から半年余り過ぎて始まったこの連載、欲を言えばもう少し早い時期に始められなかったかと思う。一連のシリーズでは、行政や東京電力の事故対応の不手際が次々に明らかになっている。とりわけ際立つのが、原発を推進してきた東電や学者、専門家たち、原発を監督する立場の政府当局の無能、無責任と不誠実だ。ジャーナリズムがこうした事実をもっと早い段階で明らかにしてくれていれば、今後の原発政策に対する国民の視線はもっと厳しいものになっていたに違いない。

過去の報道を見直す
  もう一つ、期待が持てるのは、同じ『朝日』の夕刊でやはり10月から始まった、上丸洋一編集委員の手になる連載企画「原発とメディア」である。「原子力平和利用」を金看板に原発が日本に導入されてこの方、メディアが原発をどう伝えてきたかを検証しようとする試みだ。1950年代以降の『朝日』の原発報道を軸に、これにかかわってきたOB記者や専門家らとのインタビューなども交え、事実をもとに新聞の原発報道が果たした役割を見直そうとしている。

 1月現在、1970年代までの検証を見ても、日本の新聞の多くが当初は原発の開発を積極的に支持し、公害問題への関心の高まりとともに原発への疑念が芽生え始めた70年代になっても、依然として原発を総じて肯定的に報道してきたことがわかる。このあとの連載で結論がどのようなものになるかはわからない。が、結論はどうであれ、この検証によって『朝日』だけでなく、日本の新聞、マスメディア全体の過去の原発報道が反省を迫られることになりそうな気がする。

 この二つの連載とは少し趣が異なるが、『東京新聞』の原発事故をめぐる報道も注目に値する。事故のあと、ほとんどのメディアはおおむね、政府、東電の公表する情報をもとにニュースを伝え、「大本営発表」報道と揶揄された。そのなかで、『東京』は「こちら特報部」の紙面を中心に、政府や東電の事故への対応を粘り強く批判し、その責任を問う姿勢を明確に打ち出してきた。

 「特報部」の記事は反原発の立場を隠さない。ほかの新聞の原発批判がとかくぬるま湯的であるのに比べ、『東京』は「特報部」以外の記事でも原発批判の報道を執拗に続けている。1960年安保闘争以来の大規模なデモといわれた、東京・明治公園での9・19さよなら原発集会をほとんどの新聞が無視同然に扱ったのに対し、『東京』は1面や社会面で大きく報じて、異彩を放っていた。(ちなみに、「こちら特報部」の一連の原発報道は、平和と人権の増進に寄与するものとして「2011年新聞労連大賞」を受賞した)。

市民の目線で伝える
  本欄でも繰り返し書いてきたことだが、メディア、とりわけ新聞に対する市民の批判はいま、これまでになく厳しい。原発事故をめぐる一連の報道は、事故後に混乱と停滞を続けた政治への不信と相まって、メディアに対する信頼を一段と損なった。市民が本当に必要としている情報をメディアは十分伝えていない、そんな思いを、読者、視聴者が強めたであろうことは容易に想像できる。

 『朝日』の二つの連載や『東京』の一連の報道は、市民の間に強まったこうしたメディアへの不信感を多少とも埋め合わせてくれるものを持っている。これらの報道に共通するのは、政府や役所、東電や学者らに安易に頼らず、市民の目線で原発事故を伝えようとする、独立したメディアの姿勢とでもいえようか。

 原発問題に限らず、メディアの報道はとかく権力、権威を持つものに依拠しがちになる。原発事故後の報道は特にそのことを読者、視聴者に印象付けた。報道写真展で気づかされた原発事故直後の現場写真の不在や周辺地域からの報道の欠落も、メディアのそうした体質の一つの表れともいえる。報道の現場がそのことを十分意識し、自分たちの普段の立ち位置をきちんと見直さないと、メディアがいずれ市民から見放されないとも限らない。
         『メディア展望』2012年2月号より転載(元論説副委員長・元上智大学教授)