藤田博司 (元共同通信論説副委員長 ・ ワシントン支局長、 元上智大学教授)参院選、 消えた争点 「普天間」10/08/07

 

 

 

 

 

参院選、 消えた争点 「普天間」

 

藤田博司 (元共同通信論説副委員長)

 

  日本の政治はまたぞろ混迷の季節である。 鳩山退陣、 菅登場で少しは落ち着くかと思われたが、 参院選での与党民主党の大敗を受けて、 政界がまた騒がしくなった。 選挙に勝った野党側は衆院の解散、 総選挙を要求し、 民主党内にも執行部の責任を問う動きが伝えられている。

 

  この4年足らずの間に4人の首相が交代し、 いままた5人目を引きずり降ろすことが賢明かどうか、 素人目にも答えは明らかだ。 しかし党利党略が第一の政治家諸侯、 そんなことにはあまりお構いないらしい。 せめて新聞の報道には大所高所から日本の将来を考えた姿勢を期待したいところだが、 こちらも政局の行方ばかりに目を奪われているようで、 あまり期待を持てそうにない。

 

消費税論議の陰に

 

  報道が目先の政局に振り回されているという印象は、 参院選前の選挙報道にも際立っていた。 そのいい例が、 今回の選挙の争点として普天間問題がほとんど取り上げられなかったことだ。

 

  6月初め、 突然の退陣を表明した鳩山前首相は辞任の理由として、 普天間問題の処理に不手際があったことと、 政治とカネの問題で不信を招いたことをあげていた。 後を継いだ菅首相は当然のこととして、 前政権の残したこれら二つの課題に取り組まねばならないはずだった。 1ヵ月余り後に控えた参院選挙では、 菅政権の方針を明確に打ち出し、 野党との間で選挙戦の最重要争点として議論を戦わさねばならない問題だった。

 

  ところが選挙戦が始まってみると、 どちらの問題もほとんど議論されなかった。 代わって争点の中心になったのが消費税増税だった。

 

  民主党の政策発表の場で突如、 菅首相が公にした消費税増税構想は、 当然のことながら関心を集めた。 その後の選挙戦期間中を通して、 メディアが伝える与野党党首らの議論の応酬も、 もっぱらこの問題に集中した。 普天間も政治とカネもすっかりその陰に隠れてしまった。

 

  与党内でも十分に議論されていなかったという消費税増税を、 唐突に選挙の争点に加えた菅首相の思惑がどこにあったかはわからない。 が、 首相は選挙戦の遊説でも、 普天間問題にはほとんど触れなかったし、 政治とカネにも口をつぐんだままだった。 そしてメディアもまた、 あえて普天間や政治とカネを重要な争点として与野党間の議論を起こす努力をしたようには見えなかった。 ひたすら与野党間の消費税をめぐる声高なやりとりを忠実に伝えるばかりだった。

 

前政権の合意を継承

 

  菅首相は政権発足直後に、 普天間については前政権の方針を受け継ぎ、 「米国との (辺野古移転の) 約束を守る」 ことを明らかにしていた。 実は、 前政権の退陣の原因になった普天間をめぐる米国との合意を、 次の政権がそのまま引き継ぐこと自体、 問題のはずである。

 

  鳩山政権が不本意ながら調印に追い込まれた米国との合意を (多少時間がかかっても) 見直すことが、 民主党政権として目指すべき道であったはずだ。 しかし菅首相はそうした方向に進む意思を明確にはしなかった。 政治とカネへの取り組みでも、 企業献金の全面禁止など積極的な方針を示さなかった。

 

  本来ならここにメディアの出番があっていい。 鳩山首相が退陣しても普天間問題は何も解決したわけではない。 基地の負担がこれまで同様沖縄現地に重くのしかかっていること、 辺野古に普天間の施設を一部移転することが何ら問題の解決につながらないことなどを指摘して、 菅政権に抜本的な問題解決への取り組みをメディアとして促すべきではなかったのか。

 

  しかしこの選挙戦期間中、 新聞もテレビもそうした動きはほとんど見せなかった。 選挙公示日の6月24日から7月11日の投票日までの主要紙の社説を見渡してみても、 普天間問題を真正面から取り上げたのはわずかに 『東京新聞』 (7月10日付) だけだった。

 

  「普天間問題  政権党が語らぬ異様さ」 と題するこの社説は、 普天間問題が 「消費税問題の陰に隠れて争点化していない。 政権党が自ら意図的に争点外しをした結果なら、 言語道断だ」 と指摘している。 そして、 過重な基地負担にあえぐ沖縄県民の苦悩に触れ、 そうした県民の心情を首相が知らなかったとすれば 「就任間もないとはいえ、 無自覚にすぎる」 と痛烈に首相を批判している。

 

メディアにも批判の矢

 

  しかしこの社説の批判の矢はメディア自身にも向けられているのではないだろうか。

 

  そもそも昨年9月の政権交代のあと、 鳩山首相が打ち出した普天間基地の 「少なくとも県外移設」 の方針を、 日米同盟を壊すだの、 非現実的だのと足並みそろえて批判し、 結果的に辺野古移設に追い込んだのはほかならぬメディア自身だった。 そして同時に沖縄の 「負担軽減」 を政府に迫ることも忘れない。

 

  それでいながら、 今回の選挙で普天間が争点とならなくても、 メディアはあえて問題提起しようとしない。 民主党が普天間問題を語ろうとしないことが 「異様」 なら、 メディアが普天間問題の低調な議論を問題にしないこともやはり 「異様」 というべきだろう。 メディアにとって普天間はもはや過去の問題なのだろうか。 それとも、 選挙戦の争点に取り上げることで再び日米同盟に亀裂が走ることを恐れているのだろうか。

 

  日米同盟関係の強化のために辺野古移設を 「現実的」 選択として主張したメディアであれば、 それと同時に沖縄の 「負担軽減」 をどのように進めるのか、 具体的な考えがあってしかるべきだろう。 が、 「負担軽減」 を求めるいくつかの社説を見ても、 何が現実的に可能なのか、 とりわけ辺野古への移設そのものに反対する沖縄の人たちにとって受け入れ可能な方策があるのかどうか、 いっこうに見えてこない。

 

  それもこれも、 昨秋以来の普天間報道で見せたメディアの近視眼的な取り組みの結果と言えば、 言い過ぎだろうか。

 

政治報道の空白

 

  ニュースが目先の動向に振り回される傾向は、 参院選後の報道にも表れている。 与党の参院での過半数割れを受けて、 ニュースの焦点は 「ねじれ国会」 「連立、 連携」 「民主党内の責任追及」 などに当てられている。 それらが当面の関心事であることは確かだが、 すべての新聞やテレビが同じ切り口で同じような情報を繰り返し伝えている様子は何ともいただけない。

 

  衆参両院の 「ねじれ」 一つとっても、 それが政権運営にとって 「不都合」 という見方を繰り返すだけでは、 読者に十分な情報を提供しているとは言い難い。 与党が両院で絶対多数を占めた、 「ねじれ」 のない状態が民主主義にとって最も望ましいかどうか、 多分に疑問も残る。 「ねじれ」 を与野党が協議と妥協を通して共通の政策目標を実現していくための機会、 と前向きに受け止める考え方がもっと強調されてもいいはずだ。

 

  目先のことに目を奪われやすい。 派手な対立や抗争、 衝突に関心を向けがちになる。 切った張ったを派手に伝えることのほうが、 目立たない問題を地道に、 長期的な視野から報道することより、 はるかに安直でもある。

 

  しかしそれだけに安住していては、 ニュース報道に寄せられる期待に十分には応えられない。 目先の情報に振り回されるのではなく、 隠された事実や問題点を掘り起こし、 ことの本質に迫る視点や判断材料を読者、 視聴者に示すことが求められているはずだ。 最近の政治報道には、 その部分に大きな空白があるように思えてならない。

 

  普天間問題は終わってはいない。 前政権の合意を継承するという菅政権がこれからどうするか、 メディアには自分たちの立ち位置も含めて、 しっかり見守ってもらいたい。 (『メディア展望』 2010年8月1日  第583号掲載、 「メディア談話室」 から転載)