普久原 均/ジャーナリスト/ 米軍再編と沖縄県の迷走 /06/07/13  


         米軍再編と沖縄県の迷走

普久原 均(ジャーナリスト)

 5月から6月にかけ、米軍再編をめぐって沖縄ではさまざまな動きがあった。日米最終合意を受けての知事の「普天間移設の政府案(V字沿岸案)拒否表明」、「暫定ヘリポート」の提案、防衛庁と県との「基本確認書」署名、再編に関する閣議決定への県の批判…。県の対応は迷走を続けた観があり、真意は一般には分かりにくい。特に、本土では「沖縄はもう合意した」との誤解すらある。ここでその意味と背景を解き明かしておこう。

 ■はしご外された県政

 今回の米軍再編が浮上して以来、普天間移設に関して県は一貫して「従来案(辺野古沖移設)以外なら県外移設」を主張してきた。

 理由は二つある。一つは、従来案以外が成立すると稲嶺恵一知事の面目が丸つぶれになるからだ。

 

 

http://www.pref.okinawa.jp/chiji/index.html

 

従来案を県が受け入れたのは1999年。当時、県内では、たとえ普天間返還のためとはいえ、県内に新たな基地を造ることに対しては反対の世論が圧倒的だった。

 大田昌秀前知事の姿勢を「非現実的な反対一辺倒」と批判して登場した稲嶺氏がこの移設案を採用するのは自然な成り行きだったが、世論の反対を押してまで踏み切った理由は「これ(辺野古沖案)が現実的解決策としては最良(セカンドベスト)」というものだった。

 ところが、今回の再編では従来案以外の案が次々に浮上した。「現実的」な解決策がほかにもさまざまあることが浮き彫りになり、「セカンドベスト」との理論武装はもろくも崩れ去った。県民の反対を押して政府との協調を選んだ稲嶺県政の最大の論拠が、身内であるはずの政府によって否定された形だ。いわば、二階に上がってはしごを外された状態となった。

 ここで新たな沿岸案を追認すれば過去八年の稲嶺県政の根幹を自ら否定することになる。だから「従来案以外なら県外移設」と主張するほかなかったのだ。

 もう一点は稲嶺氏独特の「美学」だ。稲嶺氏は「私はぶれない」「自分の信じた道をまっすぐ進む」と繰り返し口にしていた。自分に対する世間のイメージをことのほか重視する稲嶺氏にとって、「ぶれない」という自己像を否定することは耐えがたいことだった。

 ■修復求める支持層

 では、その主張を明確に貫けば、事態はもっと分かりやすかったのだが、稲嶺県政をめぐる環境はそう単純ではなかった。

 稲嶺県政は@県経済界A自民・公明を中心とする県政界B過去の保守県政に連なる公務員OB―によって支えられている。中でも経済界は建設業界がその中心をなす。公共工事が死活問題であるだけに、政府との亀裂が表面化するに従い、支持層からは政府との関係修復を求める声が強まっていた。

 

 とりわけ知事周辺が気に病んでいたのが「前県政の末期に似てきた」との評判だった。

 前大田県政は橋本龍太郎政権と協議を重ねて基地問題の着地点を探ったが、名護市の市民投票で基地移設反対が多数となったことなどもあり、終盤になって普天間移設を拒否した。橋本政権との関係は極端に悪化、大田知事と17回も直接面談してきた当時の橋本首相は知事サイドとの面会を拒否するようになった。沖縄の振興策を政府と協議する沖縄政策協議会も中断され、いわば県は兵糧攻めに遭った。官房長官だった野中広務氏は「人の道に反する」とまで攻撃した。

 沖縄県民は過酷な沖縄戦体験を持つ。戦前、皇国史観を過剰なまでに受け入れて日本国民たらんとしたものの、本土上陸の時間かせぎのために捨て石となり、苛烈な犠牲を払った体験は今も無意識のうちに根付いている。日本に擦り寄ってもむごたらしい目に遭った県民にとって、強大な政府と対立しているのは、耐えがたい精神的緊張をはらむ。

 大田県政末期のそうした状況を「閉塞感」と表現し、県民の漠然とした不安感を刺激する見事な選挙戦略で登場したのが稲嶺氏だった。

 その稲嶺氏にとって、政府との対立関係は、いわば自らのレゾンデートル(存在意義)を否定するようなものだ。だから、「大田県政末期に似てきた」との批判に対し、「政府と対立してはいない」と言わざるを得なかった。

 ■苦肉の策は「玉虫色」

 政府と対立せずに協議し、しかも政府案は拒否するとの自らの主張は「ぶれない」。この二律背反を打開しようとして編み出した苦肉の策が冒頭の「暫定ヘリポートの提案」と「基本確認書」だった。

 5月4日、稲嶺知事は会見して政府案反対をあらためて表明、同時に暫定ヘリポートを県案として提示した。政府案の場所を利用する形で、滑走路を伴わない小規模のヘリポートを整備し、海兵隊の県外移設までの間、暫定的に使用するとの案だ。実現性がないとの批判はあったが、県関係者は、大田県政とは異なる「現実的」な提案だと胸を張った。

 次いで5月11日、稲嶺知事は額賀福志郎防衛庁長官と面会し、「基本確認書」を交わす。「政府案を基本として対応し」、「政府と県は今後協議する」という文言が盛り込まれた。

 表面上は和解を印象づける場面だったが、会談後の会見で稲嶺知事が「(政府案への合意とは)全く違います」と答えたように、実態は見事なまでの同床異夢だった。防衛庁はこの文書を「政府案への合意」と言い、県関係者は「政府案反対は変わらない。『政府案を基本とし』という部分は、暫定ヘリポート案検討の余地を含んでいる」と強弁した。

 県関係者は「これで政府と協議の場が整った」と胸をなでおろしていた。つまり、政府案合意と県案容認のどちらとも取れる玉虫色の表現で、辛うじて、県の面目を保ったまま政府との対立回避の印象を与えるのに成功したつもりだったのだ。

 ■閣議決定で振り出しに

 しかし、砂上の楼閣のような幸福は長くは続かなかった。5月31日の閣議決定がその錯覚を打ち破ったのだ。

 閣議決定の文言は「政府案を基本として(中略)早急に代替施設の建設計画を策定する」とある。「政府案」と「建設計画策定」が一つの文の中でつながっており、玉虫色の解釈が不可能となった。

 しかも「基本確認書」にあった「県との事前協議」は実質的になされずじまい。防衛庁は県への水面下の文案説明が事前協議に当たるとしているが、県は「政府の考え方に同意を求めるだけの一方的な説明だ。協議などではない」と非難した。政府の強行突破は再編協議で繰り返し展開された光景だ。ここでもまた、県の面目はつぶされた形となった。

 稲嶺知事は県議会6月定例会でも政府案反対をあらためて表明した。

 今後、建設計画策定のため、政府には県との協議機関設置が義務付けられており、その設置ができるかどうかが次の焦点だ。稲嶺知事は「政府案のみを前提とした協議には応じられない」と述べており、事態はまた振り出しに戻った格好だ。

 ■知事選控え小休止

 ところで、ここへ来て再編をめぐる動きは一服した観がある。稲嶺知事が6月県議会で三選不出馬を表明したからだ。保守・革新のいずれの候補が当選しても新しい知事となる。辞める人が発言しても効力がなくなったのだ。新基地建設という胸突き八丁の局面は新知事誕生後となるため、議論は小康状態となっている。

 ともあれ、11月の県知事選挙で、再編に関する政府や県の対応の是非が最大の争点となるのは間違いない。再編の成否を占うだけに、選挙戦は県内だけでなく政府・中央政界の関心も集めつつある。

(了)