桂  敬 一/日本ジャーナリス会議会員 /2007年巻頭言/2007年をどのような時代として受けとめるか―マスコミに関わるものが自覚すべき役割と責任― /07/01/01

2007年をどのような時代として受けとめるか

―マスコミに関わるものが自覚すべき役割と責任―

 桂  敬 一

(日本ジャーナリスか会議会員) 

 昨年12月15日、参院で改正教育基本法案と防衛省昇格法案が可決され、私たちは、憲法と並ぶ戦後民主主義の二つの柱のひとつともいうべき、本来の教育基本法を奪われてしまった。また、防衛省昇格に伴う自衛隊法「改正」によって、自衛隊の本来任務にその海外出動が加えられ、平和憲法の中核部分をなす9条2項に、これをいつ破壊することになるとも限らない時限爆弾を仕掛けられてしまった。

 私たちは、自分たちの力不足が改憲派メディアの憲法に対する裏切りを許し、また護憲派メディアの士気阻喪を食い止めきれず、今回の事態を招いてしまったことのしだいを、率直に認めざるを得ない。

 だが、その経緯を透徹した目でよく眺めてみると、政府・与党や財界主流などの改憲勢力は、一気に現行憲法にとどめを刺し、戦争への道を拓きたいと思ったものの、露骨にやれば、国民の痛烈な反撃を食らうためそれもならず、なし崩しに憲法壊しを進めてこざるを得ず、現実のほうを憲法に合わないものにしていくという姑息な作業を繰り返し、今日ここまでの状況にたどり着いたのが実情だということも、はっきりする。

 自分が戦後一貫して育ててきた国民の民主主義の未成熟とメディアの恩知らずのせいで、いまや孤立無援の状態に置かれるまでになってしまったが、それにもかかわらず、日米の軍国主義者、改憲派に対して依然として有効な威圧を加え、その野望の発動を独り許さずにいるというのが、現在の憲法の姿ではないか。私たちは今日もなお、しっかりと憲法に守られているのだ。
 しかし、私たちは憲法のこの孤軍奮闘を、いつまでも当てにすることはできない。憲法の外堀を埋めつづけてきた改憲派は、昨年12月15日の彼らの勝利を踏み台に、国民の油断に乗じて最終的な布石を打とうとしているからだ。新年早々の通常国会にかけられる憲法改正国民投票法案、7月の参院選こそ、彼らが改憲への仕上げの作業と目するものになるはずだ。私たちは、これを迎え撃つたたかいを通じて、今度こそ、憲法に恩返しをしなければならない。私たちはいかにたたかうべきだろうか。

 12月16日、二つの法案の前日の成立を受けた各紙紙面のなかで、毎日新聞が新旧の教育基本法全文を対比して掲出していたのが目に止まった。旧法の簡明な全10条と新法の全18条とを、ほぼ全文が変わった両方の前文ともども、読み比べてみると、旧法がいかに現行憲法の理念に緊密に結びついたものかがよくわかり、深い感動を覚えた。新法の憂慮すべき問題点に気付かされるというより、旧法の抱懐する教育の考え方のすばらしさ、深さがよりいっそう強く理解できるのだ。不思議な感じさえした。そして、このような感動の淵源はまさに憲法にあるということが、実感できた。

 旧法は殺された。しかし、私たちはそれを、死んだ子の齢を数えるように嘆く必要はない。私たちには憲法本体がある。2007年、私たちはあらゆるたたかいの場に、憲法そのものの輝きを、ためらわずに、率直に突き出していけばいい、教育の場に、労働の場に、反戦平和の場に。改憲派が嫌がるものは、憲法そのものの輝きだ。その強さを国民が知り、理解することを、彼らはもっとも恐れている。そしてマスコミに関わるものは、報道表現の場で憲法の輝きのすべてを、臆することなく発していけばいいのだ。
(終わり)