桂敬一/メディアウオッチ(9)/ 日米首脳外交60年の変化をみせる二つの写真 06/08/01

 


日米首脳外交60年の変化をみせる二つの写真

           ―小泉首相のプレスリー踊りと昭和天皇のマッカーサー訪問―

                                  桂 敬一

 日米首脳会談で訪米中の小泉首相は6月30日、テネシー州メンフィスの故エルビス・プレスリー旧居、グレイスランドを、ブッシュ大統領夫妻の案内で訪問し、プレスリーの未亡人や娘の歓待を受けた際、エルビス遺品のサングラスを借りてかけ、彼のヒット曲をメドレーで、ジェスチャーもまねながら歌った。その写真が7月1日の新聞各紙夕刊に載ったのをみて、たとえようもない恥ずかしさを感じたのは、私だけではあるまい。

 7月17日の朝日・朝刊には、写真家の藤原新也氏がこの写真に触れて執筆した一文、「エルビスの亡霊」が載った。一読、なるほどと納得させられたが、あの恥ずかしさの由来に関してはもうひとつしっくりこない思いが残り、その後いろいろ考えさせられた。

 

◆アメリカへの憧れが噴出したプレスリーのまね

 昭和19年生まれの藤原氏は、17年生まれの小泉首相とほとんど同じ世代だ。物心付いたときはまだ占領色の濃い時代で、彼らからは米軍のジープやアメ車、アメリカの映画やポップスがなどが実に格好よくみえた。少年のころ脳裏に刻み込まれた首相のそれらへの憧れが、昔好んでまねしたプレスリーの歌とともに、無邪気にほとばしり出たのがあの場面だった―小泉世代にすぐつづく自分にはそれがよくわかる、と藤原氏は述べる。だが、彼もいまや一国の首相だ。

 

「猿まね」する首相を、「ブッシュ夫妻以下世界各国のメディアが一歩引いた眼差しで見守っていた」が、首相は「裸の王様」よろしく、それに気付けない。これほど「怖いものはない」と藤原氏は付言し、それは、世界からの侮蔑に恥じ入るだけではすまされない問題だ、と注意を喚起する。同感だ。だが私としては、そこのところを、さらにもっとこだわる必要があるのではないか、と思う。

 昭和10年生まれの私は、敗戦の1945年は10歳、国民学校の4年生だった。学校の教育内容は、1945年の夏を分岐点とし、教科書も一変、天皇と戦争に忠誠を誓うものから民主主義と平和を賛美するものへと、180度転換した。少年でも新聞はよく読んだ。ラジオはかじりつくようにして聞いた。田舎に進駐してきた占領軍にも初めは、昨日まで「敵」だったという恐怖心や警戒心を、当然抱いた。

 戦災孤児、浮浪児を題材としたラジオドラマで、のちに映画にもなった「鐘の鳴る丘」のなかの子どもたちの遭遇した運命は、他人ごとではなかった。また、職のない戦争未亡人などが街娼に身を落としたり、占領軍兵士目当ての「パンパンガール」になったりする風俗的光景は、大衆小説、映画、歌謡曲のなかに溢れていた。女学校出の自分より10歳前後年上の若い女性が占領軍関係の施設に働きに出、米軍兵士や将官の愛人になるケースも、けっこう身近に存在した。心ない人たちは、彼女らをも「パンパン」と称したり、特定の愛人をもつものを「オンリー」と呼び、侮蔑の眼差しを向けた。しかしその目は、愛人の米兵と一緒に、物資豊富なPX(占領軍兵士・家族専用の物品販売所)に出入りできる彼女たちの特権に対する羨望も、同時に浮かべていた。

 ◆格好悪い正装の天皇に感じた恥ずかしさ

 小泉首相のあの写真をみたとき、首相や藤原氏に僅かだが先行する世代の私の脳裏には、ずっと前にも似たような恥ずかしさを感じた覚えがある、という漠然とした思いが浮かんできた。記憶の輻輳する糸をたぐっていくうちに、これではないかと思い当たる一つの情景がかたちを現した。

 

 

それは、1945年9月29日の各紙朝刊に載った、昭和天皇がアメリカ大使館にマッカーサー元帥を訪問したときのツー・ショットの写真だ。60年前、この写真を目にしたとき、子ども心にも思いがけない恥ずかしさを感じて狼狽したことを、思い出した。その恥ずかしさは、なにやら集団的な感情で、自分もそこから逃れることはできないのだと思わせる力を、伴っていた。

 

少年の私の目に焼き付けられていた天皇のイメージは、大元帥の正式軍装に身を固め、白馬にまたがって大軍の兵士を閲する、報道写真やニュース映画のなかの威厳ある姿だった。その天皇が、だらしない田舎紳士のような服装で、がにまたのように足を開いて、はるかに背の高い凛としたマッカーサー元帥の隣りに、ぼそっと立っている。よくみれば、わが陛下は民間人の最高の礼服、燕尾服に身を包んでいる。ところが、対する占領軍最高司令官は、失礼にも日本国を代表する客人を、シャツ姿で迎えていた。胸の略綬も着けておらず、喉元のボタンは外れているではないか。おまけに両腕は腰の後ろに回したままだ。にもかかわらず悲しいかな、圧倒的に彼のほうが格好いい。

 天皇の訪問は9月27日だった。米占領軍総司令部から提供のあったこの写真を、新聞各紙は28日朝刊に載せようとした。しかし内務省は、不敬罪に当たるとして、この写真を掲載する新聞の発行禁止命令を発した。ところが、総司令部はこの措置を怒り、内務省に発禁処分の撤回を命じた。その結果、写真は1日遅れの新聞に載った。

 このときの恥ずかしさは、敗戦国の国民は屈辱にも耐えなければならないのだとする、屈折した感情に裏打ちされていた。それは、浮浪児やパンパンが町に溢れ、戦災で焼け出された人がまだ大勢、防空壕に住んでいた時代、国には市民に供する食糧もなく、占領軍放出の軍用レーション、精白前の赤ザラ目キューバ糖などが、配給された時代とともにある屈辱だった。天皇もそのような状況のなかで、自分としても耐えねばならない屈辱に、身をさらしていたのではなかったか。

 ◆遠慮なくはしゃいだ首相に感じる恥ずかしさ

 しかし、戦後60年、アメリカの最高権力者、ブッシュ大統領の前でプレスリーのまねに興じた小泉首相は、もうアメリカに対して、いかなる屈辱を感じる必要もなかったはずだ。訪米前に在日米軍再編の日米間合意にケリをつけ、沖縄駐留の米海兵隊グアム移転に要する費用や、2011年に完了を予定する再編全体の費用の日本側負担に関して、米軍の要請をほぼ全面的に受け入れていたこと、アメリカが求めてきたミサイル防衛計画への参加とその配備の早期実施、米国産牛肉の輸入再開などにも合意したことなどを踏まえて考えてみれば、恥じるどころか、日本の首相をアメリカの大統領がかつてない歓待で迎えてくれてもなんの不思議はない状況だった。現に大統領は、メンフィス行きに大統領専用機まで飛ばし、わが宰相をみずからエスコートしてくれたのだ。

 だから小泉首相は遠慮なくはしゃぐことができた。それなのに、首相のその姿に感じなければならなかった私たちの恥ずかしさは、いったいどこからきたのだろうか。

 親や身寄りのない浮浪児がGIにガムやチョコレートをねだり、ときには盗んでそれを売ったりしたこと、身を売ってしか食べていけなくなった女性が米兵相手の「パンパン」になったこと、それらは、その時代の不幸な出来事には違いないが、人間として恥ずべきことでは、けっしてない。そういうことができずに餓死したり、凍死したりした同胞はたくさんいたのだ。食べていくためのカネを手に入れるためには、やむを得ないことだったとしかいいようがない。

 だが、十分なカネを懐にもつようになったものが、それを、困っている人たちには分け与えようとせず、さらなる儲けのためだけに使ったり、自分の地位や利益を保障してくれる力あるものの歓心を買い、その仲間に入れてもらうためには気前よく使ったりすることは、人間として見苦しく、恥ずかしいことでないか。そういえば、飢えた同胞、しかし自分のことを侮蔑の目でみる同じ日本人の視線を背後に感じると、かえってこれみよがしに米兵の腕をしっかり掴み、声高にGIイングリッシュをしゃべり、PXで手に入れた食べ物や酒、タバコ、化粧品をみせびらかす、恥ずかしい「パンパン」も出現するようにはなっていった。しかし当時の日本は、いってみればまだ「パンパン」をしてカネを稼ぎ、食物や着るものもアメリカからもらわねばならない状況を、抜け出せない国だった。ところが、60年経った日本は、いつのまにか相手にカネを払いつづけながら「パンパン」をし、それを恥じるどころか、なにか成功と勘違いするような国になってしまっていたのではないか―小泉首相のプレスリー踊りの写真をみ、あわせて60年前の昭和天皇の写真をみて、思ったことだ。

 ◆メディアは恥ずかしさの深刻な意味を直視せよ

 かつての屈辱と恥は、天皇も国民もいわば共有するところがあった。だが、小泉首相はそのどちらも感じていない。上機嫌なだけだ。だが国民は、そういう首相に恥を感じないわけにはいかないし、彼を通して日本に投げかけられた世界中からの侮蔑の目には、屈辱も感じないではいられない。この点に関しては首相に強い怒りの念を抱かざるをえない。

 あわせて感じるのは、戦後60年、かくも日本は遠いところまできてしまったのか、という思いである。それは、過去を追懐するものではない。むしろ、ここまできてしまったこの先の日本の未来に対する憂い、危惧の思いである。普通、敗戦国は時間とともに自主性、独立性を強め、やがて国の主体性を回復し、これを堅固に確立するはずだ。だが、カネを払いながらの「パンパン」の続行は、従属化の深化以外のなにものでもない。その結果、アメリカの軍事・経済の世界戦略との一体化に身を任すため、改憲を行うとしたら、日本は、戦後60年を経て、敗戦後これほどまでの対米従属はなかったという状態に追い込まれる。ブッシュ大統領の、呆れ顔ながら面白そうに小泉首相のプレスリー踊りを眺める表情には、してやったりとする満足感を噛み殺している風もうかがえる気がしたが、深読みし過ぎだろうか。

 それにしても新聞もテレビも、なぜこの小泉踊りをたっぷりと国民、読者・視聴者にみせなかったのだろうか。

 新聞もテレビも、小泉首相のプレスリー踊りは、横にらみ、皮肉交じりのゴシップ報道程度ですませてしまった。7月1日夕刊の各紙の写真は全部、ブッシュ大統領の右に立ち、口を小さく開け、凍り付いたまま、踊る首相を眺めるローラ夫人の姿は、外したものばかりだった。テレビは、アメリカ・メディアの報道ぶりを紹介するというトピック・ネタ扱いで、それらの映像の断片を伝えただけだった。独立のニュース・アイテムとして取り上げ、動画映像を時間を十分にかけて報じた局はない。ワシントン・ポストは1面トップで伝え、全米ネットのテレビも軒並み、視聴率の高いニュース枠で報じていたのにだ。

 日本のメディアとしては、この首相の姿を真正面から直視し、伝えるのは恥ずかしかったのかも知れない。だが、その恥ずかしさを正確に、また十分に感じ取れるように読者・視聴者に伝えてはじめて、国民に日本の政治の現実をわからせ、やがて袋小路に追い込まれ、世界の孤児ともなりかねない日本を、その危機から救い出すにはどうしたらいいか考えさせるきっかけを、提供することができたのではないか。

(終わり)