桂敬一/日本ジャーナリスト会議会員・元東大教授/メディアウォッチ(61) 目くらましに騙されまい―都知事選こそ総選挙勝利のカギ 12/11/18

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メディアウォッチ (61) 2012年11月18日

 

目くらましに騙されまい―都知事選こそ総選挙勝利のカギ

桂 敬一(日本ジャーナリスト会議会員・元東大教授)

◆理解できないマスコミの首相解散決断への評価
  石原暴走老人の都政放り出し、「第三極」形成・国政乗っ取りの策動で、にわかに政局が生臭くなった。民主・野田政権は支持率急減に直面し、安倍・自民党も、支持率では民主党を抜いたものの、過半数制覇の見通しは立たない。両者は、かねて人気の橋下維新の会と暴走老人とが野合、彼らのつくる「第三極」に出し抜かれるのを怖れ、足元を掘り崩されないうちにと、体制立て直しを急ぎ、11月16日衆院解散、12月4日告示・同16日投開票の日程による総選挙で手を打った。これもまたりっぱな野合だ。公明党は選挙後、三つの勢力のどこが勝とうが、みんなドングリの背比べに終わろうが、どちら様とも適当にお付き合いいたします、という風情。まるで寄生虫だ。
  情勢急変に色めき立ち、政局の行方に血眼になるのが新聞・テレビ。11月13日、首相と自民党新総裁の初の本格対決、翌日の党首討論の予定を伝える段階でも、すでに報道は上ずっていた。そして当日14日、討論相手の安倍総裁と見え透いたやり取りをしていた野田首相が突然開き直り、「衆院定員削減の審議は次期国会で行うという方針に同意してくれれば、明後16日の解散を約束する」と発言するや、意表を衝かれた安倍総裁がこれを呑み、解散日が国会質疑のなかで決まるという、異例の事態が出来した。すると、テレビ各局はその日、夕方から深更に及ぶ時間まで、そのシーンを繰り返し放映、翌15日の各紙朝刊は1面トップから社会面まで、解散決定ニュースのほか選挙日程など、いろいろな関係記事を満載、お馴染みの「劇場型報道」で総選挙ムードを煽った。
  社説をみると、朝日「『異常な選挙』の自覚もて」も、「首相の決断はやむを得ない」とするものだし、毎日となると「首相の決断を評価する」と、前向き評価だ。読売は「首相の重い決断を支持する」とさらに前向きなのに加えて、「民自公の信頼が大切だ」と、選挙後の野合続行まで3党に促す始末。日経は「国民に信を問うときが来た」というが、どのような信を問うべきかが、はっきりしない。そこへくると産経「国難打破する新体制を」は、尖閣を中国から守れ、「脱原発」ではこの国が危ない、憲法改正を争点とせよ、3党(民自公)の枠組みは堅持など、いうことがはっきりしている。だが、これでは新旧取り混ぜた「国難」を、もっと多く招くに違いない。東京新聞「違憲状態で総選挙とは」は、首相が自公両党に衆院定数削減の審議方針を呑ませ、その同意と引き換えに16日解散を約束したのは納得できない、と苦言を呈した。定数削減は今度の選挙の重要争点ではない―消費税や原発を問うことこそ争点だ、というわけだ。これは至極もっともな話。

◆総選挙を煽り立てるより、重要争点の明確化を
  東京新聞を除けば、なぜ選挙なのか、選挙でなにをどう変えるべきか、といった視点を明確に示すメディアがほとんどなく、大方は、とにかく選挙だ、だれがだれと手を組むか、どこが勝ちそうか、とにかく大変だ、といった空気を醸し出すだけなのが実情だ。一体これはなんなのだ。一種の集団マインド・コントロールではないか、といいたくなる。これから始まる“総選挙リーグ”にはいろいろなチームが出場し、注目の的の選手もいる。どんな試合やプレーがみられるか目が放せない。とにかく試合が始まったら面白くみせるのでご注目を、といった感じの報道・論評があまりにも多い。そうしたメディア相互の同調的な流れが増幅されていくなかで、差し迫って争点とされるべき問題の在処がぼやけ、その解決を追求する際の緊張感もはぐらかされる。
  振り返ってみれば、原発をどうするのかはすでに猶予ならない問題として立ちはだかっている。米軍の垂直離着陸輸送機・オスプレイの配備強行や米兵犯罪の横行に悩まされる沖縄の人たちは、本土政府の不作為に怒り心頭に発する思いだ。消費税引き上げはさらに次回が予定されているし、最初の増税と一体化して図られるべき社会保障の充実はなされていない。むしろ給付水準切り下げを伴う年金制度の「改正」案、生活保護の抑制など、後退の動きが目立つ。野田首相は突然、TPP(環太平洋経済協力協定)参加が「公約」だといいだしたが、党内の意見統一もできていない。争点とするのなら、それに相応しい手順を踏むべきではないか。教育の混乱も憲法改正をめぐる対立も、放っておけば選挙結果しだい、なりゆき任せということになりかねない。本来なら各党が選挙戦前に明確な方針・所見を明らかにして議論を交わし、国民に信を問うべき問題であろう。
  このような現実の状況を具体的に見直してみると、今回の解散・総選挙が適切な時期に妥当な方法で決められたかといえば、とてもそうはいえない。政府・政治家の自己防衛・保身、混乱に乗じた機会利得漁り、つるむ相手の組み替えなどの動きばかりが目につく。メディアにそれがみえないはずがない。だから不思議だ。なぜそういう状況を事実に即して批判し、とくに前記のような諸課題については、自党の立場も明らかにし、それを公約として国民に示せ、と問い詰めないのだろうか。たしかに多少そういってはいる。しかし、まだまだ手ぬるい。一般的な“あるべき論”、説教レベルだ。わが社はこう考えるとする立場をはっきりさせ、志を同じくする政党・候補には激励や助言を、反対の立場の政党・候補には、自社見解を対置して批判を尽くす、などのところまではやっていない。もうそういう議論を読者・視聴者の目前で行うときがきているのではないか。

◆政治状況の現実を具体的に示す市民たちの迫力
  11月11日(日)、永田町の国会周辺・霞ヶ関の中央省庁前で、反原連(首都圏反原発連合)主催の「反原発百万人大占拠」の行動が展開された。私は午後3時ごろ、地下鉄・国会議事堂前駅から首相官邸前に出た。ここから主会場の国会正門前のほうにいこうとしたのだが、この日の規制が、国会裏を抜ける道路は、一般歩行者の通行を許さなかったので、官邸とは広い道路で隔離された、狭い歩道に押し込められた人たちの脇を抜け、官邸脇の坂を溜池方面に下り、文部科学省の前に出た。教育関係労組・都庁職員労組を中心に、各地各種の市民団体の人たちが1000人近く集まっていた。シュプレヒコールのあと、歌手のTOMOKOさんが、カザフスタンの音楽家が故郷に残る放射能の惨禍を世界に訴えるためにつくった歌、「ザマナイ(ZAMAN-AI=時代)」を、自分の日本語訳で歌った。冷戦時代、ソ連の核実験場にされていたカザフスタンの地に残る放射能は、今も女性や子どもに深刻な被害を及ぼしつづけている。
  文科省には原子力の研究・管理部門があるが、その道路=桜田通りの皇居側方向には、東日本大震災全体の復興費やその使途に関わる財務省がある。さらに国会に向かう議事堂前通りを隔てて外務省も並んでいる。日本政府の原発ゼロに待ったをかけ、沖縄に強引にオスプレイを配備したアメリカに、いいなりの外務省だ。この二つの役所のまえにも「百万人大占拠」の市民が集まり、抗議の気勢をあげていた。そして、桜田通りを隔てて財務省に対面するのが原発行政の総本山、経済産業省。その前には2000人ほどの人が、桜田通りと議事堂前通りが交叉してつくる直角の歩道を占拠し、一番賑やかだった。押し合いへし合いで、車道に溢れ出る人が絶えなかった。雑踏のなかで、福島・浪江町からきた酪農家の男性が、「ふくしま 希望の牧場」と書いた小さな飾り山車を引っ張っていた。その台の上に牛の頭蓋骨が安置してあった。牧場に残すしかなかった、餓死した牛の真っ白に洗われた骨だった。放射線被害対策は厚生労働省の管轄。祝田橋通り、日比谷公園に向かい合う厚労省前にも、医療関係の市民活動家・労組員などが、多数集まっていた。
  日比谷公園を抜けて内幸町の交叉点に出た。議事堂前通りを振り返ると、主会場=国会正門前に向かう、幟旗やプラカードを持った人たちの流れがみえた。行く手の交叉点ごとに人数が増えていく。そのとき、ビルの谷間にこだまする、殷々たるドラムの音が聞こえてきた。近づくに連れて、10人を少し超えるドラム隊の姿が目に入った。激しいリズムを刻むたくさんの小太鼓。それにアクセントをつけるいくつかの胴の短いバスドラム。重低音で大きなリズムを構成する胴長の大太鼓がひとつ。全体の響きに華やかさを加えるシンバル。そして節目の区切りにはトロンボーンが高音で歌う。隊は東京電力本社前の集まりに合流するために、経産省前から移動してきたのだ。私は交叉点で待ちかまえ、そこから後についていった。通行人がみな、驚いて振り返りながら見送った。東電前の合奏は凄かった。集まった数百人の市民の「原発やめろ」の叫びに合わせた大音響の連打は、辺りの空気を圧し、すぐそばの高架線を通過するJR電車の騒音を跳ね返した。その迫力は、ブレヒトの構成劇「第三帝国の恐怖と貧困」におけるシュプレヒコールの役割の重要性を思い出させてくれ、感動的だった。

◆市民運動のなかにいち早くかたちをみせた都知事選
  11月11日に認められたこのような状況こそ、政治の現実そのもののありようと、そこに求められる変革がどのような方向でなされるべきかを、よく示している。一番大事なのは、その変革をだれが求めているかが、はっきりしていたことだ。しかし、その状況を、夜のテレビはほんの少ししか映さず、新聞は、12日朝刊がいかにも間抜けな一斉休刊で、どこもなにも報じなかった。だが、多くの市民たちは、集会に参加できなかったものでも、インターネット・テレビでその模様を克明に知ることができた。アワプラ(OurPlanet-TV。白石草代表)、IWJ(Independent Web Journal。岩上安見代表)、JVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会。山本宗補氏ら3名が共同代表)、DAYS JAPAN(広河隆一代表)が協力体制をとり、地上各所の自主取材のほかに、夕方と夜間にはジャーナリスト、広瀬隆氏肝いりの「正しい報道ヘリの会」(資金は市民カンパ)の空撮を実施、共同取材・共同配信を行った。非営利の市民メディアには録画の無料アクセスも受け付けた。
  重要なのは、都知事選にいち早く候補として名乗りをあげた宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク代表、日本弁護士連合会前会長)がこの日、国会正門前集会に「官邸前見守り弁護団」として参加したほか、スピーチにも立ち「東京から脱原発を進めよう」と訴えたことだ。2日前の9日(金)に宇都宮氏は衆院第一議員会館で記者会見に臨み、都知事選への立候補を表明していた。暴走老人によってメチャメチャにされたまま放り出された都政を心配する有識者40人が、東京を人間らしく生きられる街に戻すため、「当たり前の都政」を行う都知事を生み出そうと呼びかけ、「人にやさしい都政をつくる会」を結成、そのひとりとして宇都宮氏も加わっていたが、その後、会の議論のなかから推され、同氏みずからが出馬を決意するに至ったのだ。40人のなかには雨宮処凛、上原公子、内橋克人、大江健三郎、岡本厚、大江健三郎、鎌田慧、早乙女勝元、佐高信、品川正治、辻井喬、暉峻淑子、山口二郎、渡辺治氏らが含まれる。

◆都知事選のたたかいはおのずから総選挙に通じる
  宇都宮候補の基本政策は、「つくる会」が石原都政の欠陥を克服するために唱えた、4つの要請に答えるものだ。会の要請の順序に応じて記すと以下のとおりだ。
  (1)護憲で平和な近隣外交を推進。沖縄の米軍基地拡大・オスプレイ配備に反対。
  (2)再生可能エネルギーを普及、東京から脱原発を進め、東北の被災地支援に努める。
  (3)「日の丸」「君が代」強制を止め、民主的な教育を子どもたちのために再建する。
  (4)雇用と社会保障に力を入れ、消費税引き上げに反対し、大規模開発を見直す。
記者会見にはたくさんの支援者市民が駆けつけていた。みんなの見守るなか、宇都宮候補は所信表明のあと、新聞・テレビの各社記者からの質問に答えていったが、取材陣のなかにはアワプラ、IWJほか、マスコミ九条の会のインターネット・テレビなど、いくつもの市民メディアも混じっていた。これらメディアは、むしろここを起点とする射程のなかで、11日の国会正門前・霞ヶ関中央官庁周辺、そして14日の国会解散をとらえてきた。
  どうであろうか。宇都宮都知事候補の4つの基本政策はすべて、国政選挙においても重要な争点、基本的な課題を構成するものではないか。17に収まるのか、それよりもっと増えるのか、総選挙出陣の党会派の数は見当もつかない。さらに選挙後に、それらがいくつに再編、収斂するのかもわからない。だが、どこに属そうが、今回総選挙の候補者はすべて、宇都宮都知事候補の示した政策に真摯に向かい合い、賛成するにせよ反対するにせよ、自分の信ずるところを国民の前に開陳、国会議員となるべきものの見識を示すよう求められることになるのだ。私たちは、「劇場型」総選挙の目まぐるしい動きに余計な気を遣う必要はない。宇都宮候補を支持し、その当選、新しい都政の実現を追求する射程のなかで、その道筋に合致する総選挙候補者を選べばいい。メディアの世論調査では、「投票したい党」を党名で答えないと、「支持政党なし」とする。しかし今回は、宇都宮4基本政策に合致する政見の保有候補者なら、所属党は問わず、敢然と国会に送ればいい。
                  ◆              ◆
  暴走老人と橋下維新の会の野合の展開は、噴飯ものだ。石原前都知事が新党名を「太陽の党」としたのには唖然とした。報道によれば、芥川賞受賞作、『太陽の季節』にちなんだという。主人公が自分のセックスで障子を突き破るシーンの描写が評判になった小説だ。新党名を聞いて、「まだ立つのか」「また立つのか」と、面食らった。もちろん後者は総選挙進出のこと。そして、維新の会との合流で新党名が消えたので、「本番前に萎えたか」と、納得がいった。反対に橋下氏はまだまだ強そう。しかし、彼は国政には「立たない」といっており、暴走老人の代わりはすまい。橋下大阪市長はむしろ、千里の大阪万博公園に立つ、岡本太郎作の「太陽の塔」を見習うべきだろう。大阪という都市に新しい現代性を付け加え、いまだにエネルギーを感じさせ、光彩を放っている。
  都知事選では石原前知事が、猪瀬直樹副知事に後事を託した。猪瀬副知事も出馬の意向だが、正式表明をなかなかしない。後出しジャンケン狙いだとマスコミは噂する。猪瀬氏といえば、だいぶ前、テレビでだれかが、彼はファッションではアルマーニが好きで、いつもアルマーニを着ている、といっていたのを思い出した。これに比べると、宇都宮候補のほうはいつも黒い背広の上下で、風采があがらない。けっして高級ブランドではないだろう。だが、彼にはそれが似合っており、人柄の一部になっていて安心する。国政選挙では石原・橋下連合を忌避する自民党が、早々と都知事選での猪瀬候補支持を宣言した。これも野合臭い。これでは気の毒に、アルマーニを着た猪瀬氏がエセ紳士臭くみえてしまう。
                                                 (終わり)