桂敬一/元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員/メディアウォッチ(35) 心配が募る北京五輪後の中国・日本・世界―新しい何かを創造する協力のあり方が問われている―08/08/12

 

 

 

心配が募る北京五輪後の中国・日本・世界

―新しい何かを創造する協力のあり方が問われている―

 

 日本ジャーナリスト会議会員  桂  敬 一

 

 8月8日、夜8時55分から北京オリンピックの開会式を、NHKテレビでみた。見終わったのが翌日午前1時過ぎ、4時間の長丁場だ。なかなか入場できない選手も、先に入場してグラウンドで待たされた選手も、くたびれたのではないか、と心配した。テレビでみているだけでもくたびれたというか、いささかうんざりした。確かに、数え切れないほどのたくさんの出演者が、全員一糸乱れずにアトラクションというのか、ページェントというのか、さまざまな催し物、豪華絢爛の一語に尽きる景物を繰り広げ、みせてくれたが、案の定、「後進国」国家がオリンピックを踏み台に、一気に近代化を達成しようとする意気込みばかりが溢れ出ており、息苦しくて参ったというのが、偽らざるところだ。

 

 これは初めての経験ではない。1964年の東京オリンピックでも、88年のソウル・オリンピックでも、感じさせられたものだ。我ら日本も、かつてりっぱに「後進国」だった。いや、36年のベルリン・オリンピックだって、レニ・リーフェンシュタール制作の、あのみごとな記録映画、「オリンピア 第1部・民族の祭典」「同 第2部・美の祭典」から知る限り、ヒトラー政権下のドイツも大いなる「後進国」だったことが、よくわかる。それどころではない。

 

「先進国」アメリカがオリンピックを、セントルイス(1904年)、ロサンゼルス(32年)と、すでに2回も開催しているのに、84年、またロサンゼルスに再招致、露骨なメダル獲得競争に血道を上げ、カール・ルイス、フローレンス・ジョイナーなどの人気選手が優勝するたびに、彼(彼女)らに大きな星条旗をまとわせてグランウドを周回させ、スタンドに星条旗の旗の波を起こさせていたのを思い出す。「先進国」も、オリンピックとなると、「後進国」に転落することを思い知らせてくれたものだ。

 

◆スポーツの感動はいつどんなときにあったか

 

 私は、東京オリンピックも含め、これ以降、テレビでみられるようになったどのオリンピックにも、ほとんど関心がなかった。北京も例外ではない。しかし今回は、開会式だけはみておこうと思った。中国の国のあり方、国民の気分になにか変化の兆候があれば、それが反映されるかもしれない、と考えたのだ。結果的に少なからずがっかりしたのは上記のとおりだが、加えて、中国の人たちの気分の高まりが、このような方向に沿って募っていくばかりだとすると、ちょっと怖いな、とも感じた。

 

 映画の張芸謀(チャン・イーモウ)監督が総指揮だというので、若干期待はしていたのだが、「鳥の巣」の広大な底に、規則正しく配置された無数の光の列が、実は中国古代の打楽器、「缶」を打ち鳴らす人びとの集まりだと知り、また彼らの発する光の点滅と「缶」の音のリズムのみごとな一致が感嘆すべき迫力を生むのを目の当たりにし、ああ、これは北朝鮮と同じだ、と思わざるを得なかった。ハイテク、歴史文物の展示などの点では、北朝鮮を寄せつけはしないが、首領様の誕生日や「アリラン祭典」などのときに演じられる、北朝鮮のみごとなマス・ゲームと同じ種類のパフォーマンスが、そこに認められた。

 

 その後、延々と繰り広げられた、大がかりな歴史絵巻の展開も、同じ趣を感じさせるものだった。このような中国の歴史的な誇りの展開のなかで、なぜスポーツの祭典の意義が強調されなければならないのだろうか。そのことを考えさせられると、なにか白々しい気分になった。敗戦の2年後、ろくに食うものもない1947年の夏、ラジオと新聞が、日本大学の古橋広之進、橋爪四郎という、二人の水泳に強い学生のことを報じた。とくに古橋選手は、世界記録を抜く成績を出していた。二人は翌年から日本選手権で優勝を繰り返し、49年にはアメリカに出かけ、ビフテキをたらふく食っているアメリカのスイーマーたちをものともせず、蹴散らした。

 

 日本人全部が、米はもちろん、芋だってろくに食えない時代だった。そこには、国家の強大さ、威信が、スポーツの勝利とともに称えられるような関係は、なかった。国が戦争に負けても、経済的に弱体でも、そんなことに関係なく、個人の力と技のすばらしさがみるものを魅了し、感動を誘うスポーツの爽やかさがあった。同胞のそうした卓越したスポーツマンとしての振る舞いが、戦争少年の抜け殻だった私たち少年に、どれほど喜びと日本人としての新しい自信を、与えてくれたかしれない。それは、国家のナショナリズムとはまったく無縁のものだった。

 

 しかし、東京オリンピックになると、事情は一変し、メダルの種類と数に一喜一憂し、国民観衆が「頑張れニッポン」と叫ぶ世界が出現した。入場行進の日本選手団が、天皇やIOC会長のいるメーンスタンドの前まできたとき、全員歩調をとり、指先まで伸ばした右手をいっせいにその方向に挙げ、顔もそちらに向け、敬礼したのには驚くのとともに、恥ずかしくなった。それはナチのやり方ではないか。

 

◆ナショナリズム高揚の危険を警戒すべきだ

 

 戦争少年崩れの私は、敗戦後しばらくは、欧米人にはなにか気後れを感じていた。一方、日本が植民地とし、侵略もした中国、台湾、朝鮮、東南アジアの人びとには、後ろめたさと同時に、戦時中からの差別意識がまだぼんやり残っていた。ところが、やがて「東洋の鉄人」といわれるようになった台湾の、十種競技の楊伝広選手の存在を知ると、欧米に対する劣等感やアジアの途上国に対する蔑視は、いわれのないものであり、人はだれでも平等であり、それぞれすばらしい能力をもっているのだ、ということを教えられる思いがした。

 

 これもまた、スポーツとスポーツマンというもののすばらしさを知ることができたお陰だった。楊選手はローマ・オリンピックで銀メダルを獲得、63年には世界記録を達成した。東京オリンピックでは入賞できなかったが、会場では世界中の選手から尊敬を集めており、日本のメディアも彼のことは大きく扱った。71年に台湾が国連代表権を失い、中国が代わってその地位に就く以前、中国はオリンピックにすっきりしたかたちで参加できなかった。

 

 おそらく中国本土の人は、楊選手のことはあまりよく知らないか、知っていても、彼は自分たちを代表する人物ではないという目でみていたのではないか。楊選手は台湾の先住民出身者だという説もある。そうだとすると、いっそう中国人と関係ない存在だ、ということになりそうだが、そうではあるまい。彼も、その祖先も、古くからの中国語・中国文化の地政学的な空間、歴史的時間に属する存在であり、中国は元来、そうした時空間のなかに多数の異なる民族を包摂する「くに」としての特徴を備えているのだ。

 

 それをあえて、たかだか200年前に西欧の列強が完成した「国民国家」、集権的な「主権国家」のモデルに倣って自己を裁断、多民族共生の特徴を削ぎ落とし、集権体制による他民族支配の「国家」に成り変わってしまうのは、あまりにも惜しい。楊選手の存在と活動の意義を、全中国人の誇りとして受け継ぎ、そのような思いとともに、オリンピックを真に国家を超えたスポーツを愛好する世界の人びとの交流の場、平和と友好の機会としていけるならば、これまでのどのオリンピックも果たし得なかったその新しい意味の創造に、貢献できるはずなのだが、と思う。

 

 張監督は、アトラクションの要所要所で、多様な民族衣装を身に付けた、たくさんの子どもたちを起用した。どれも魅惑的なシーンだった。そして、それは必然的に、このオリンピックは本当にこれらの子どもたちのためになるのか、そうではなくて、国家事業に子どもたちは単にかり出されただけなのか、ということを考えさせた。チベットや新疆ウイグルの民族紛争がオリンピックにもたらす危険を考えると、過剰ともいえる警備も、その開催中はやむを得ないだろう。

 

 だが、オリンピックが無事終わったら、中国政府は両自治区の先住民市民と誠実に話し合い、問題解決に努めるべきだ。オリンピックの成功に伴って膨れあがる国民感情や国家の威信、ナショナリズムの高揚に任せて威圧的な態度に出、国家統合一本槍で臨んだら、ろくなことにはならない。少数民族の衣装を着飾ったあどけない顔の子どもたちをみながら、考えさせられた。

 

◆新しい多民族共生の世界を拓く中国に期待する

 

 北京オリンピックの参加国204は、史上最多だ。また、国連加盟国192(2006年現在)を14も上回っており、IOC(国際オリンピック委員会)は、独立主権国に限らず、民族性・地域性など、独自の住民のアイデンティティ、地政学的自立性があれば、いわば「くに」として参加を認める、ある種の先進性を発揮している。現に中国自体も、台湾、香港の独立参加を受け入れていた。

 

 だが、こうした傾向が、国家のこだわりを一気に解消、世界の人びとを国境を越え、どんどん融和させていくかというと、そう簡単にはいかない。かえって民族主義的な運動が活発化すれば、ますます国家との矛盾が深まり、異なった民族間の摩擦も強まる危険があることを、オリンピック開会式の同日発生したグルジア軍とロシア軍の衝突が、はしなくも示した。いや、世界中の目が北京に注がれているのを幸いに、どちらかから攻撃が仕掛けられた疑いさえ残る。

 

 かつて旧ソ連は、オリンピックにおけるメダル争奪戦でアメリカの最大のライバルだった。国家の威信をかけ、連邦加盟国から優秀な選手が集められ、派遣されてきた。だが、ソ連崩壊とともにそれらの国は独立、今やロシアのほか、バルト海沿岸(ラトビア、リトアニア、エストニア)、黒海・カスピ海周辺(モルドバ、ウクライナ、ベラルーシ、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタン)、西・中央アジア(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン)の14の国は、それぞれ別々に北京オリンピックに参加している。

 

 グルジアはソ連の最高権力者だった、スターリンの生まれた国だ。スターリンは独自の民族理論をうち出し、連邦内に民族自決主義を原則とする共和国を多数つくり、連邦に加盟させた。だが、それらには本当の自決も自立もなかった。それが今日の混乱と衝突の遠因ともなっている。今や単独のロシアはメダル競争でアメリカに敵うわけがない。開会式をみて知ったのは、団員が1,000人を超すのはアメリカと中国だけ、中国が少々多いということだった。

 

 今回メダル獲得競争は米中の戦いになることは目にみえている。そして、多分、金メダルの数か、メダルの総数かいずれかで、あるいは両方で、中国がアメリカを打ち破る可能性は大いにある。だが、それで有頂天になるだけだと、やがてソ連の二の舞になるおそれがある、と心配だが、余計なお世話だろうか。世界の大国を自任したがる国は残酷だ。それらは、人権の名において旧ユーゴを解体し、すべてセルビアが悪いと、その責任に帰した。

 

 しかし、セルビアから始まった第1次大戦、ヒトラーのユーゴ侵攻を許した第2次大戦、90年代初めの、ユーゴ解体の発端となったクロアチア・スロベニア独立容認などの経緯をつぶさにみると、バルカン情勢の不安定化を招き、深刻化させた欧米大国の責任を考えないわけにはいかない。彼らは最近、その延長線上でボスニア・ヘルツェゴビナの独立を早々と認めたが、これはかえって世界中の民族紛争をいたずらに刺激する心配さえある。

 

 北京オリンピックには80か国以上の首脳が集まったが、なかには、中国の将来の混乱、弱点をさらけ出す中国の政治・経済状況の到来を、待ち望んでいる国の代表もいるのではないかと邪推したくなる。中国には、彼らの余計な介入の手を阻むためにも、まったく新しい多民族共生の「くに」づくりを成功させてもらいたい。

 

◆日本のメディアは温かい心で率直にものを言え

 

 選手の入場行進が始まったとき、入場の順番が従来からのアルファベット順でなく、漢字による国名表記の最初の文字の画数が増えていく順にする、というアナウンスがあり、意表を衝かれるのと同時に、これは面白いと思った。漢和辞典の牽き方ではないか。それなら、どの国はどんな字になるか、こっちはかなり見当がつく。テレビに見入っている家人が「ドイツがなかなか出てこないけれど・・・」といぶかるのに対して、日本では「独」だが、中国では「徳」だから、まだずっと後だと講釈、ちょっと得意になった。

 

 また、表音的表記と表意的表記での違いもある。「黒山」と出たときは、なるほどこれはモンテネグロだ、と得心した。残念なのは、選手団の前に立って進む中国美人の掲げるプラカードにしか、漢字国名が併記されていなかったことだ。それがかなり崩した草書体風の手書き文字でもあり、美人の持ち方がちょっと斜めになると、ほとんど読めなかった。テレビ画面の左下隅には、国旗と並んで英語による国名が表示されていた。なぜ、その横に漢字表記も並べなかったのか、せっかくいいアイデアなのに惜しい、と思うのと同時に、不思議に思った。

 

 技術的には簡単なはずだ。中国の簡体字だけではわからないとしたら、さらに横に、いわゆる本字(台湾で使っている、略さない漢字)も並置すればいい。両方あれば、日本人や、韓国・朝鮮・ベトナムなどの旧漢字圏の人たち、海外の華人にはだいたいわかる。また、欧米では一般市民のあいだでカンジ、チャイニーズ・キャラクターはかなり人気がある。

 

 世界にはいろいろな言語文化があることを面白く知ってもらう、またとないチャンスだ。そう思えば思うほど、なぜこの方式を徹底し、テレビ放映にも導入しなかったのかと、残念だった。中国の関係者はそこまで思いつかなかったのだろうか。日本のJOC(国内オリンピック委員会)関係者や、報道機関の人たちは、漢字国名画数順での選手団入場という情報を知っていたのではないか。その中国での書き方も知っていたのではないか。そうだとしたら、中国の関係者にテレビへの表示挿入の助言をすることができたのではないか、と思った。

 

 また、そうするゆとりが時間的になかったとしても、最後の手としてNHKは、自力で漢字国名(中国簡体字と日本の表記法の漢字との併記)をスーパーで画面に入れることはできたのではないか。そうすることは、けっして中国におもねるものではなない。自国の言語文化の裾野の広さ、歴史性を視聴者・市民に知ってもらうためだ。それは、視聴者に面白がられ、また、日本のテレビ局がそうした放送をやっていることが中国に知られれば、中国の人びとにも共感と興味を抱かせ、喜ばれるだろう。

 

 だが、北京オリンピックを報ずる日本のメディアの少なからぬ部分が、オリンピックとテロの恐怖というような問題ばかりを、ことさら強調したり、毒ギョーザの原因は中国での農薬混入とする新事態の出現(読売・8月6日朝刊のスクープ)にこだわり、すぐこの問題を解決せよと、性急に中国に迫る様子をみせたりし、オリンピックに大わらわな中国の神経をわざわざ逆なでしているのが、気になる。民族テロの根絶は軍事力・警察力だけでは実現不可能だ。

 

 それらに代わる多民族共生の方策を、日本もともに追求、アイデアを積極的に提言できるようにならねばならない。毒ギョーザ事件は、食糧自給率の低い日本としては、今後も中国に安定した食糧・食品の供給を仰ぐ必要もあり、自国の命運に関わることとして問題の解決を図るべきだ。どちらの場合も、そうした問題の解決が日中双方の利益になり、アジアの安定と発展につながる、とする関係を明らかに示すことが先決だ。それができれば、相手に率直にものをいうことは、いくらでもできる。(終わり)