桂敬一/元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員/メディアウォッチ(33)確信強める護憲派新聞・動揺隠せぬ改憲派新聞―08年・憲法記念日の55新聞社説からみえるもの―08/06/01

 

確信強める護憲派新聞・動揺隠せぬ改憲派新聞

  08年・憲法記念日の55新聞社説からみえるもの―(1)

    桂  敬 一 ( 元東京大学教授・日本ジャーナリスト会議会員)

 

 昨年は、新憲法施行60周年を迎えた憲法記念日だった。また、安倍政権の改憲の動きがあまりに急で、危うさを懸念する世論が高まりつつあり、全国の新聞各紙のこの日の社説・論評は、前年とはかなり異なった様相をみせ、地方紙を中心に、多くの新聞が護憲に踏みとどまる論陣を張った。では、今年はどうだったか。日本新聞協会が収集した、閲覧可能な78社82紙の紙面を調べたところ、社説あるいはこれに類する論評・コラムをもたない27社27紙を除く、51社55紙のうち、「護憲」が33社35紙、「護憲的論憲」が12社13紙、「改憲的論憲」が2社2紙、「改憲」が4社5紙という結果が得られた。前2者を「護憲派新聞」、後2者を「改憲派新聞」と類別すると、対象51社55紙の発行部数合計が約4437万部であるのに対して、「護憲派新聞」約2792万部(62.9%)、「改憲派新聞」約1645万部(37.1%)となり、昨年に引きつづいて護憲論調が多数を占めている状況が明らかになった。ちなみに同様の分類で昨年は、部数的には「護憲派新聞」61.9%、「改憲派新聞」35.2%、「分類不能」2.9%だった(対象紙は45社47紙)。今回調査結果は、別表「資料」のとおりである。また、その内容的な特徴は、以下のように概括することができる。

 

多数の新聞が明確な護憲派に移動 頑固に動かない改憲派新聞

 

 安倍政権自壊の後を受けた福田政権は、小泉・安倍内閣の残した政策の重圧にさらされ、インド洋海自給油再開・ガソリン暫定税率復活・道路特定財源復活などで衆院での再可決強行を繰り返したほか、日銀総裁人事のごたつき、イージス艦漁船衝突事故、在日米兵の少女暴行・タクシー強盗殺人などに見舞われ、さらには宙に浮いた年金、後期高齢者医療制度の発足で国民の猛反発を受け、憲法記念日のころには、毎日の世論調査で支持率18%という、惨憺たる状況に行き着いていた。政府与党の信頼が低落するなか、彼らが標榜する改憲への支持も落ち、4月8日、改憲派新聞のリーダー、読売が発表した世論調査の結果は、15年ぶりに改正「反対」が「賛成」を上回り、読売の一番力を入れてきた9条2項(武力不保持・交戦権不行使)についても改正「反対」が過半数を占め、マスコミ界を驚かせた。こうした世論動向の変化は、どの新聞も敏感に気付いていたようだ。今回の特徴としては、合計部数では「護憲派新聞」(「護憲的論憲」含む)の増加比率が昨年に対して1.0%と、わずかだったものの、昨年「護憲的論憲」であったもの(20社20紙)のうち、14紙が明確な「護憲」に移動、「護憲派新聞」の内実が強化されたことが、まず指摘できる。今回の「護憲的論憲」は、昨年の他の区分からの入れ替わり、新規登場も含めて、12社13紙となった。一方、「改憲派新聞」は、昨年ゼロだった「改憲的論憲」に今回、地方2紙が顔を出し、紙数合計は6社7紙となった。中核的な「改憲」新聞は、読売、日経、産経、北国新聞(金沢)の4紙で、これは変わらない。この4紙合計の部数比は、昨年より0.1%減だから、ほとんど実勢は変わっていない。世論も理屈もない、とにかく改憲だ、というわけだ。昨年は「分類不能」が3社3紙(部数比で全体の2.9%)あったが、今回はこれがゼロ。以上を総合すると、「護憲派新聞」も「改憲派新聞」も、数量的には昨年とほとんど変わらないが、後者が客観情勢が不利になればなるだけ、無理矢理自説に固執するかたちとなっているのに対して、前者はそれをも睨んで、明確な理由・主張に基づいて「護憲」を堅持する姿勢を強めることになった、という構図が浮かび上がる。

 

◆住民・読者に支えられ、自信に満ちた地方紙の護憲論調

 

 さらに「護憲派新聞」の内訳をみていくと、全国紙の毎日がこれまでは「護憲的論憲」に止まっていたのに、今回は明確な護憲論調を掲げることになったのが、注目される。そして、やはり特筆すべきは、13もの地方紙が、旗幟鮮明な「護憲」に歩みを進めたことだ。昨年の「護憲派新聞」の盛り返しも地方紙の力に負うところが大きかったが、その勢いがさらに強まったといえよう。地方紙の部数は小さいので、その総計では大きく比率を上げることができなくても、発言主体としての新聞の数が各地に展開するかたちで増加することの意義は、極めて大きい。また、該当するそれらの社説が、「平和」に加えて、「くらし」「生存権」「「公正な社会」「人権擁護」「非正規社員」「社会権」「国会のありよう」「貧困と格差」「3大原則(国民主権、平和主義、基本的人権)」などのテーマに言及、護憲の範囲が広がり、関心を寄せる問題がそれぞれ具体的に、また個別的に語られるようになっている点も、今回地方紙の社説・論説のなかに認められる大きな特徴だ。そこには、地域社会の抱える問題は何か、それを住民読者がどのような方向で解決を望んでいるかと、注意深く目配りしている視線がある。中央政治の動向ばかりを睨み、建前論ですませるような論じ方に陥っていない。住民読者とのつながりに確信がもてれば、勢い社説のトーンも自信に満ちたものとなる。これは筆者だけの感じ方ではあるまい。北海道新聞(5月19日付)に文芸評論家の斎藤美奈子さんが、共同通信が事務局を務める地方紙52新聞の共同サイト、「47NEWS」で、政府のイラクへの空自派遣を違憲とした名古屋高裁の判決に対する各紙の社説を読み比べた感想を書いていた。東京だけでみていると、マスコミはこの判決の支持・不支持がだいたい半々で、「いつものごとく」だが、一転地方紙に目を向けると、中央紙より熱く論じており、「議論を進めろと書く朝日・毎日よりさらに踏み込んで、空自の撤退をうながす論調も目立つ」「地方と中央のこの温度差!もちろん熱いのは地方紙で、ぬるいのは全国紙である」(「面白い社説の読み比べ 権力への目 鋭い地方紙」)と述べている。それは今回の憲法社説にも通じるところだ。

 

◆憲法を「守る」から、憲法を「生かす」・「活かす」への進化

 

 さらに重要なのは、ある憲法の条項を変えてはいけない、そのまま守るべきだ、とするかたちだけの護憲論に終わるのでなく、たとえば、格差によって社会参加を排除されたもの、最低限の生活さえ奪われるおそれがあるものは、憲法第25条(国民の生存権、国の社会保障的義務)を生かし、政府に対する正当な要求を行うなど、これからは憲法を「活かす」ことが重要だ―ひとりひとりが自分の考え方で憲法をこのように活用していくことが必要になっている、とする論調がとても多くなったのが、とくに目立つ。そのような、いわば「活憲論」を明快に示した朝日の社説は、様変わりしたといえるほど前向きの護憲論であった。毎日、中日(東京・北陸中日)、北海道、西日本のほか、多数の地方紙にも、同じことがいえる。そして、肝心の9条についても、原文の理念次元でその良否を議論するところから一歩踏み出し、名古屋高裁・イラク空自違憲判決を支持、これに基づいて自衛隊の海外活動や米国に対する協力のあり方を根本から見直せとする議論が、とくに地方紙に多かったのが注目に値する。ここでも「活憲論」的前進があったということができよう。これに対して、読売、産経は名古屋高裁判決当時、これを否定する見解を社論として明らかにしていたが、今回の憲法社説ではこの点を再説しなかった。代わって、政治のねじれが国政を停滞させるから、参院改革のために改憲せよ(読売)、二院制を一院制に変えるための改憲を(日経)、日本のタンカーが海賊に襲われても自衛できないのはおかしい―改憲で海賊から自衛できるようにせよ(産経)などの改憲論が出てきたが、なぜこれまでの9条改憲中心の議論が消えたのか、不可解な感じを残した。一院制にしろ、海賊からの日本船の防御にしろ、そんな「活憲論」では、あまりにもお粗末ではないか。

 

◆新傾向―9条・25条・21条の「三位一体型」護憲論の展開

 

 この憲法社説調査は、9条改憲に対する賛否の動きを関心の中心に置きつづけてきたため、今回のように25条マター、生存権護憲・「活憲論」が多いと、これをも9条護憲というのは牽強付会に過ぎるかと、やや気になるところがあった。だが、河北新報の社説が、名古屋高裁・イラク空自判決が「平和的生存権」という権利を、憲法前文にある「平和のうちに生存する権利」から導き出し、「現代において憲法の保障する基本的人権は平和の保障なしには存立し得ない」「平和的生存権はすべての基本的人権の基礎にあって、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまるものではない」とした点を評価、「最低限」の生活も9条による「平和的生存権」のなかでしか守り得ない、とする見解をうち出したのには、刮目させられた。25条は9条と一体化するのだ。実際、ほかの多くの新聞も、同様の文脈のなかで9条と25条を結びつけた「活憲論」を展開していた。また、プリンスホテルの日教組に対する会場貸し出し拒否、映画「靖国」に対する政治家の検閲まがいの介入と上映中止、立川・自衛隊官舎反戦ビラまき事件の最高裁有罪判決などから、憲法第21条(集会・結社・表現の自由、通信の秘密)が歪められることへの危機感を表明した社説も、今回多かった。そして、この点もまた、表現の自由なくしては9条を守れない―9条がなくなり戦争になれば21条も空文と化す、の両面から二つの条項が支え合っていることを、多くの社説が論及していた。信濃毎日の2〜4日・3回にわたった特集社説は、みごとに9条、25条、21条を相互に関連づけて、「活憲論」の盛り上がりが待ち望まれている現在の情勢を、大きく展望してみせた。9条護憲の運動は、それ一つの範囲で終始させるべきでなく、支え合える課題、お互いに守り合えるものを多くつくるほど、有効性が増すことを、教えられた感じだ。

 

◆憲法を「活かす」領域・課題の具体化でさらなる前進に期待

 

 地方紙に対する共同通信の影響の重要性にも注目させられた。一昨年まで、共同が配信する論説資料(会員紙に社説を書く際の参考資料として送られるもの。論説スタッフが弱体のところでは、ほとんどそのまま掲載されることもある)は、たとえばAとBの2パターン(Aを護憲的論憲なら、Bは改憲的論憲とする)を配信する、というような方法をとっていた。だが、昨年からこれを改め、利用者=新聞側しだいで、護憲・改憲、どちらの方で社説を書く場合にも参考となるよう、中立的な論説資料1本を配信することにしたのではないか、と推測される。今回も同様の方式がとられた模様だ。それは、「今こそ冷静な議論を」「冷静に議論すべきとき」などの題名をもった社説から、うかがわれた。どれもが同じような順序の論理展開、語彙表現をみせていたからだ。そして、自ら主体的に考える新聞ほど、この配信資料を独自に読み込み、積極的な護憲論を組み立てるのに役立てている感じがした。共同はこれとは別に、「宙に浮く改憲論議 きょう憲法記念日」というタイトルを付けた解説記事も配信していたようだ。こちらのほうは、憲法記念日に社説がない多くの地方紙にも掲載されていたが、論説資料とは反対に、改憲論議の低調を批判する趣で紙面に取り上げる新聞があったのが、気になった。いずれにせよ、地方紙は、地元の住民読者の声に耳を傾け、あくまでも主体的に考え抜いてこそ、他の追随を許さない独自の見解が示せるはずだ、ということを痛感する。付言すれば、5月4日から3日間、千葉・幕張メッセで開かれた「9条世界会議」への言及(神奈川など)、県内「九条の会」の催しに関する記事掲載(徳島など)、地元「九条の会」代表者のアピール紹介(宮古毎日)、「9条世界会議」記念の地元有志による意見広告掲載(埼玉、福島地元2紙など)ほか、憲法記念日の紙面として、独自にいろいろ工夫を凝らしている地方紙があることにも目を引かれた。このような地域住民の参加する護憲市民運動のニュースを積極的に取り上げていくことも、新聞にとって重要な課題になるのではないか、と考えさせられた。(了)