桂敬一/メディア論/ライブドア証取法違反事件の裏に隠れているものはなにか 06/01/31


ライブドア証取法違反事件の裏に隠れているものはなにか

 ライブドア前社長、堀江貴文容疑者逮捕を目指し、奔流のように突き進んだ東京地検特捜部の捜査の動きと、これを刻々と伝えてきたマスメディアの動きとの響き合いには、ただならぬものが感じられる。またそれは、いろいろな疑問を沸き立たせる。いったい、なんでこんなに多くの捜査情報が、つぎつぎに出てくるものかと驚く。

 まず、1月16日午後4時過ぎ、NHKは、東京地検特捜部がライブドア本社の家宅捜査を始める、との予告報道を行った。実際の捜索は午後6時半過ぎの着手だったから、異例の前打ち報道だ。これは単純な「勇み足」だったのか。そうならば捜査当局から捜査に支障が生じると苦情が出たり、司法クラブ加盟の各社からも抜け駆けを責める文句が出るはずだが、それらがあったという話を聞かない。

この前打ちのおかげで、大がかりな取材陣が六本木ヒルズの入口に待ち構えた。カメラの砲列の前を、大人数の捜索者たちが、討ち入りの義士のように、粛々と進んでいった。堀江容疑者は、手入れのことはNHKのこの報道で知ったと、あとで語っている。

これほどの予告報道をNHKはどうしてやることができたのか。さらに18日朝、各紙が強制捜査の余波を伝えるなか、読売は「ライブドア本体も粉飾か2004年9月期決算」とするスクープを、1面トップで報じた。

これで、堀江容疑者や側近役員に対する特捜部による事情聴取近しの雰囲気が、ぐっと強まった。これらのNHK、読売の動きに刺激され、その後、他のメディアも競って地検特捜部の捜査活動を多面的に、大きく報じていく。

だが、一つ不思議なことに、18日午後、沖縄・那覇市内のカプセルホテルで大けが状態で発見され、まもなく死亡した、もとライブドア関連会社の社長で、死亡時はエイチ・エス証券副社長だった野口英昭氏のことに関しては、新聞・テレビがほとんど続報をしていないのだ。

新聞では19日の夕刊が第1報を載せているが、それによれば、地検特捜部は16日、ライブドア本社はじめ関連会社に対して一斉捜索した際、エイチ・エス証券のオフィスにも、副社長の自宅にも、捜索の手を入れているのだ。同証券の子会社がライブドアの投資事業組合運営に関わっていたからだ。副社長は、強制捜査のあと、沖縄にいって「自殺」したことになる。沖縄県警は自殺とみているというのだが、謎の多い不審死であることに変わりはない。週刊誌は「文春」「ポスト」などが、彼の死の裏には暴力団など闇の世界が絡んでいることを示唆しているが、そういう疑惑があるのなら、新聞・テレビこそ、もっと突っ込んだ取材・報道を行うべきではないか。あるいは地検特捜部に遠慮して静かにしていなければならないわけでもあるのだろうか。

いずれにせよ、ただならぬ事件の展開だ。いってみれば。勧善懲悪劇としての「ホリエモン劇場」が出現した趣だ。もちろん、作ならびに演出は東京地検特捜部だ。いや、検察首脳の裁可のもとに作、演出が行われており、特捜部は善玉として出演までしている格好だ。悪役はいうまでもなくホリエモンだ。

この劇場公演は、わかりやすい正義に飛びつくマスコミを味方にし、不心得な政治家たちを慄然たらしめ、閉塞感に鬱々としてきた大方の民衆の喝采を博している。アメリカ追随一辺倒の無軌道な規制緩和で、だれもかれもが欲ボケになり、道徳地に堕ち、カネまみれとなった世の中を改め、人びとを正気の道に引き戻すうえで、大きな役割を果たすのかもしれない。

だが、そう考えるとき、天の邪鬼の私は、なにか不安なものを感ずる。1931年9月、満州事変と並行して、財閥による「ドル買い」事件が起こり、三井財閥は右翼の敵意を買う。翌32年3月、三井合名理事長、団琢磨は血盟団員に射殺される。この年、5・15事件が起こる。33年は、ヒトラー政権樹立、日独の国際連盟脱退など、第2次大戦に向かう国際社会の大きな亀裂が生じる。

34年、検察は、平沼騏一郎などの司法出身政治家の後押しのもと、帝国人絹の株を買い受けた番長会(郷誠之助男爵が主宰する自由主義的な傾向の財界人のサロン)のメンバーやこれと交流のあった政治家・官僚を、不正行為をめぐる偽証や贈収賄の容疑で起訴、これによって斎藤実内閣が総辞職する、いわゆる「帝人事件」が起きる。「時事新報」(武藤山治が事実上の社長)の「番長会を暴く」という記事の告発が発端である。武藤はまもなく暗殺される(帝人事件との関係は不明)。

 37年、長い裁判の結果、判決が出るが、全員無罪で、容疑事実はまったく根拠がないことが明らかとなる。だが、この間、35年には政府が天皇機関説を否定し、国体明徴の声明を二次にわたって発し、36年には2・26事件が、そして37年には廬構橋事件が起き、日本は後戻りできない戦争への道に突入している。

このような状況の推移の背景には、1929年の大恐慌以来、貧富の格差が拡大し、もたざるものはますます困窮の度合いを強め、とくに農村では冷害なども重なって疲弊が深刻化していたという社会情勢がある。一般の人々は、一部の恵まれた階層にあるものたちが、その地位、立場を利用して、自分勝手なカネ儲けに走るのを、強く憎む気持ちを抱くようになっていた。反対に彼らは、潔癖で正義感溢れる検察や、我欲を捨て、身を挺して国家に尽くす軍人に対して、信頼感を深めることにもなっていた。

ホリエモン逮捕の背後に、このような大きな時代の動きが生じていはしないかと、私は不安になる。そのことに無自覚でいると、メディアはそこに呑み込まれるだけでなく、不吉な時代の動きを、みずからつくり出したり、加速するのを手伝ったりすることになるおそれもある。当時、「検察ファッショ」という言葉が生まれていたことを、思い出しておく必要もあるように思う。

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