kyukyuu

桂敬一/メディアウオッチ(16)/安部首相の従軍慰安婦問題発言が招く日本の孤立 ―多数派メディアの奮起でメディアの裏切り抑止を―/ 07/04/04

 

kuruma


 

 

 安部首相の従軍慰安婦問題発言が招く日本の孤立

      ―多数派メディアの奮起でメディアの裏切り抑止を―

 

日本ジャーナリスト会議会員 桂  敬 一

 

 

 自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文科相)が3月1日、従軍慰安婦問題に関する「河野洋平官房長官談話」(93年)の見直しを求める提言案と、この「河野談話」の修正を目的とする新しい「官房長官談話案」を示して検討を行った後、安部晋三首相は同日夕、首相官邸での記者団の質問に応じて「(旧日本軍による)強制性を裏付ける証拠はなかった」とする、かねてからの自分の主張を改めて述べ、「強制性の定義が変わったことを前提に考えなければならない」と回答した。首相のこの発言は、下院で日本の首相に公式謝罪を求める決議案の審議が進んでいるアメリカにおいて大きな反響を呼び、「安部首相、戦時中の日本による性奴隷を証拠なしとして否定」と報じられ、韓国でも不快感と反発を招くことになった。

 

◆世界中から反発買った「強制なかった」の首相発言

 

 これを受け、5日の参院予算委員会で野党が首相を追及することになったが、民主党の小川敏夫議員の質問に対して、安部首相は、「河野談話」は継承すると答えたものの、「広義の強制性はあったと思うが、官憲が家に押し入って連れていくという狭義の強制はなかった」とし、米下院の動きに対しても「決議案には事実誤認がある。決議があったからといって、我々が謝罪するということはない」と答えた。政府はその後、辻元清美衆院議員(社民党)の質問主意書に対する政府答弁を検討、16日に「河野談話と、そのための調査資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定、安部首相の先の国会答弁を確認した。また「政府は河野談話を継承するが、これを閣議決定することはしない」とする態度も明らかにした。

 しかし、このような首相発言、政府答弁が、世界の世論を納得させられるわけがない。むしろ、「強制性」を「広義」と「狭義」に分け、「狭義の強制性」がない限り、責めを負うべき政府の責任は生じない、といわんばかりの勝手な理屈に対しては、日本に対する海外の国々における反発と不信は強まるばかりだ。アメリカのニューヨーク・タイムズ(6・8・17日付)、ボストン・グローブ(8日付)、週刊誌タイム電子版(8日付)、サンフランシスコ・クロニクル(9日付)、ウォールストリート・ジャーナル(13日付)、ロサンゼルス・タイムズ(18日付)のほか、カナダ、フランス(ルモンド、インターナショナル・ヘラルドトリビューンなど)、オランダ、オーストラリアのメディアや、アジアではもちろん韓国、中国、シンガポール、マレーシアなどのメディアも、いっせいに批判的な報道・論評を展開した。そこにはメディアの見解が開陳されているだけでなく、かつて従軍慰安婦として直接の強制を体験させられた当事者のほか、首相・外相などの要職を占める各国の政府代表者・幹部、議会関係者・政治家、学者・研究者、一般市民など、実に多様な人々の声が反映されている。

 

◆拉致問題と従軍慰安婦問題を同じハカリの台に置け

 

 問題は、このような動きに対して日本のメディアは、反応が鈍いというか、核心に触れた議論を進んで行い、日本の政治の歪みを積極的に正そうとする取り組みの姿勢を、なかなかはっきりみせていない、という点である。そればかりか、政府が最近、国内においてもいろいろな問題について、自分にとって不都合なことをごまかし、国民を欺こうとする傾向を強めているのに、メディアがそれらへの対応にも機敏さを欠き、問題を的確に告発、政府を批判して、その欺瞞やごまかしを止めさせる力を十分には発揮することができなくなっているのではないか、と感じさせられることが多くなっている。その点の検証のためにも、もう一度、従軍慰安婦問題に帰ってみる必要がある。

 3月24日朝(現地時間)、アメリカのワシントン・ポスト紙が、「安部晋三のダブル・トーク」と題する社説を掲げた。安部首相は北朝鮮による拉致問題には熱心なのに、自分の国が犯した従軍慰安婦に対する犯罪には目をつぶっているが、それははおかしい、とする内容の社説である。拉致問題を最優先の外交課題と位置付ける日本に対する痛烈な批判だ。ところが、これを真っ先に国内で報じたのは25日付の産経新聞(東京・大阪)としんぶん赤旗だけであり、他の一般紙がこの時点でこのニュースを見送ったのは、いかにも解せない。ワシントン24日付で共同電も時事電も発信されていたのだ。各紙ともこれらをみていないわけがない。

 産経・赤旗とも見出しは「安部首相は二枚舌」としたが、「二枚舌」はやや誤訳に近い。どちらも時事電によったせいだろう。記事の分量は赤旗のほうが断然多く、正確な紹介だ。翌26日、朝日(26日朝刊・2面)が「安部晋三のダブル・トーク(ごまかし)」の訳で報じたが(ワシントン特派員発)、あとの展開を考えると、いかにも遅い。しかも、私の気の付く限り、他紙はこのニュースをこの時点でも載せなかったのだ。

 朝日記事によれば、ワシントン・ポストは、「(拉致問題は)国内で落ち込む支持の回復のため拉致被害者を利用する安部首相によって、高い道義性を持つ問題として描かれている」、しかし、それによって「第2次大戦中に数万人の女性を拉致し、強姦し、性の奴隷としたことへの日本の責任を軽くしようとしているのは、奇妙で不快」と、首相を批判しているという。拉致問題で北朝鮮を憎悪するあまり、その反動で自国の歴史的な戦争責任は忘却してしまいがちな日本人の盲点を、鋭く突く視線が貫かれているというべきではないか。

 

◆拉致は現在進行形の問題で、従軍慰安婦は終わった問題か

 

 問題はさらにつづく。朝日が報じると、安部首相は26日夜、国会内で記者団の質問に答え、ワシントン・ポストの批判に対して「(従軍慰安婦と拉致は)全く別問題だ。拉致問題は現在進行形の問題だ」「いま従軍慰安婦の問題は、続いているわけではない。拉致問題は、まだ日本人が拉致されたままという状態が続いている」と述べ、拉致問題解決に尽力する必要性を強調した(26日付共同通信ニュースによる)。ところが、このニュースも、27日朝刊段階では、朝日、産経(東京)、北海道新聞、NHKが報じただけだったのだ。同じニュースにはもう飽き飽きだということなのか。しかし、従軍慰安婦問題がもう終わったことだとは、どの面下げていえるものだろうか。自分が終わったと思っていても、相手のある問題では、相手が終わっていないと思う限り、終わったということにはならない。それは当たり前のことではないか。金正日が拉致問題はもう終わったことだ―解決済みの問題だといっても、日本としては終わっていないといわなければならないのと同じ関係がそこにはある。それをわきまえない不見識をさらけ出した首相の言動は、新しい、しかも重大なニュースではないか。

 また、下村博文官房副長官が26日、記者会見で、首相のかねてからの主張を側面から補強するともいえるかたちで、「河野談話」に関して「直接的な軍の関与はなかったというふうに認識している」と述べ、強制連行など直接的な軍の関与を否定、さらに会見後にも記者団に、自分の見解・判断は「『公的な資料の中には軍や官憲による組織的な強制連行を直接示すような記述は見いだせなかった』とする97年の政府答弁(当時の平林博内閣外政審議室長の国会答弁)に沿ったものだと強調し、「発見されなかった以上、軍や官憲による強制連行はなかったというのが個人的見解だ」と説明したという(27日付朝日による)。ところが、これも他紙による追及は、鈍い感じだった。

 この下村官房副長官の場合、25日に民放のラジオ日本に出演、「従軍看護婦とか従軍記者とかはいたが、従軍慰安婦はいなかった。ただ慰安婦がいたのは事実だが、親が娘を売ったということはあったと思う。日本軍が関与していたわけではない」などと語っており、それが問題化しかけていたこともあって、上記の発言になったという経緯が存在する。首相が「河野談話」の継承に引き籠って逆風をやり過ごそうとしても、その変わらぬ本音の部分がどんなものであるかは、この下村発言がよく示している。

 

◆注目すべき読売の記事「基礎からわかる『慰安婦問題』」

 

ところが、対応が鈍いだけではなく、この安部首相の本音の部分にもっと正統性を与えなければいけないとするメディアの動きが強まっており、だからこそ、首相の迷妄は覚めず、反対に下村官房副長官のような忠実な側近にあっては、逆風が吹き募れば募るだけ、いっそう頑張る状況が生まれることになる点にも、目を向けておかなければならない。

 前記のワシントン・ポスト社説に対する産経の敏感な対応は、むしろけしからんアメリカの動きを見過ごしにはできない、とする思いからのものであろう。そして、読売新聞である。当初の首相発言をめぐって社説「慰安婦問題 核心そらして議論するな」(7日付)は、「河野談話」見直しは当然だと主張する。また、18日付朝刊のコラム「政(まつりごと)なび 日本は『性奴隷』制の国か」は、奴隷制の国だったアメリカの偽善的な日本批判を皮肉るものだ。そして27日朝刊の大型解説記事「基礎からわかる『慰安婦問題』」は、政治部の記者3名の協力による労作だが、内容的には「公娼制度の戦地版」「強制連行の資料なし」「あいまい表現 河野談話 『強制連行』の誤解広げる」「歴代首相おわびの手紙 基金から償い金も」を柱とする、まさに安部首相の「官憲による『強制連行』否定」を論証しようとするものであり、またその延長線上で、米下院対日決議案の不当性を印象づける工夫を凝らしたものとなっている。

 しかし、不思議な記事である。繰り返し読めば読むほど、全体的には日本政府の歴史的責任が、じわーっと伝わってくるのだ。たしかにディテールにおいて、たとえば工場要員の動員だった「女子挺身隊」を慰安婦と同一視する誤解が韓国側にあったにせよ、「女子挺身隊」を騙って無知な家族から少女をかどわかす業者はいたのだし、だまされていったん日本の軍隊について回る慰安所に閉じ込められたら、もう少女はそこから自分の意志で出ていくことは不可能だった、という事実は、ごくありふれて存在するものだったことが、この記事から生々しく理解できるからだ。どう読んでも、その悲劇の責任は、当の少女やその家族に問うべきものでなく、悪辣な業者を思いどおりに使役できた日本の軍、政府にあるとしか考えられない。

 拉致のケースを考えてみよう。日本海のとある小さな入り江で安らぐ若い男女二人に突然襲い掛かり、袋をかぶせ、小船に押し込んで拉致した行為は、文句なく悪い。北朝鮮当局もそのことは認めざるを得なかった。一方、冷戦時代の東ヨーロッパを旅行中の日本人に工作者が接近、社会主義の北朝鮮に興味を抱かせ、甘言をもって誘い、北朝鮮に連れ込んだ場合は、拉致ではないのだろうか。そんなことはあるまい。自分の意志でいこうと思ったにしても、いった先で二度と帰れない強制力に囚われたものは、拉致の被害者とみなさなければならないだろう。

 国家の責任についての判断、とくに国家がどのように権力を不当に行使し、個人の人権を犯し、その身体への危害、物質的な損害を及ぼすかの判断は、問題全体を生み出す大きな状況を反映した歴史的文脈のなかで行うべきものであって、そうした文脈を欠いた、局部的な場における問題の当事者どちらかの善悪を判断する、というようなやり方で、答えを出すべきものではない。

 国家は逃げる。隠蔽する。しかし、ジャーナリズムはそれを許さない。そう考えるとき、読売のこの記事は、力作であればあるだけ、読んでいて恥ずかしくなるものでもあった。しかし、これを書いている記者も、書かせているものも、どうやら本気らしいのだ。国内のほかのメディアの鈍さをみれば、自分たちがもっと強く押していけば、自分たちの言い分がこの国で一番説得的に通用するようになる、と考えているらしい。しかし、世界でも通用すると、本当に思うのだろうか。

 

◆どこまで国民を欺くのか―政府のウソとメディアの協力

 

 目を従軍慰安婦問題から、ほかの問題に転じてみよう。

 東京地裁は3月27日、西山太吉元毎日新聞記者の「沖縄密約裁判」において、時効とほぼ同じ意味をもつ「除斥期間」を適用、事実上の門前払いで国家賠償請求を棄却する判決を下した。国の「密約」の有無については判断を示さなかった。いまや30年以上もの前の国家のウソは明々白々たるものとなっているのに、この判決のあとにも「密約はない」とうそぶく外務報道官の言い分を、裁判は事実上、支持したのだ。

 28日には、国立国会図書館が、靖国神社のA級戦犯合祀が決まるまでの資料集を公表、その結果、厚生省の主導でことが運ばれた経緯が明らかになった。しかも、そのことのしだいを外部発表はしないということにしたいきさつまで、ばらされたのだ。しかし、政府は依然として「神社側の判断で合祀したことだ」という態度を変えていない。

 政府の教育再生会議は29日、「道徳の時間」を、国語や算数などの通常科目=「教科」に格上げするよう提言する方針を決めた。「教科」となれば、成績表もつけられ、検定教科書を使うことにもなりそうだ。

 文部科学省は30日、06年度の高校教科書検定で、地理歴史・公民のうち日本史では沖縄戦をめぐる記述に多くの変更が加えられ、とくに避難住民の集団自決については、「日本軍に強いられた」とする内容の記述がある7点すべてに修正を求め、各社は「集団自決に追い込まれた」などと書き替えた、と発表した。軍の命令があったとする資料、なかったとする資料の両方があり、一方的に断じられないなどが判断の理由だという。このほか、イラク戦争、首相の靖国参拝をめぐる裁判、南京虐殺、従軍慰安婦問題につても修正方針がいくつか変わったという。

 30日には、自衛隊派兵の根拠法、イラク人道復興支援特別措置法の2年延長が閣議決定されたことも見逃せない。サマーワ撤退のあともイラクに残り、米軍支援の空輸に当たっている航空自衛隊の活動を継続させるためだ。アメリカを含めてどの国も撤退を検討している時期だけに、とくに注目される日本の決定だ。

 混沌とした大きな歴史の流れが日本を押し流していく。そうしたなか31日、朝日は「集団自決 軍は無関係というのか」「イラク特措法 派遣の延長に反対する」の社説を掲げた。毎日の社説は「イラク派遣延長 改めて支援の大義を示せ」「教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな」だった。これに対して読売は「教科書検定 歴史上の論争点は公正に記せ」「空自派遣延長 イラクの混迷を放置できない」が社説だが、前者は新検定方針を概ね妥当とするものであり、後者は、だれが混迷を招いたかには触れないままの議論ですませてしまう体のものなのだ。

 

 相次ぐ国のごまかし、歴史の偽造を、これまで瞥見した程度のメディアの取り組みで、効果的に押し止めることは可能だろうか。ごまかし、歴史の偽造を手伝うメディアの羽振りがよくなるのに伴い、日本を取り巻く混沌の流れは、行く末がますます見通しにくいものとなっていくおそれがある。その跳梁跋扈を許さず、世界の衆人環視のなか、常に日本を正しい針路に明確に位置付けていく役割を果たすために、多くのメディアに大いに奮起してもらいたいと考える。

(終わり)kurumaこのページのあたまにもどる