桂敬一/メディアウオッチ(11)/安倍新首相の「美しい国、日本」はどこにいくか /06/10/04

 


 

 

           安倍新首相の「美しい国、日本」はどこにいくか
           ―メディアは修辞だけの政治方針の危険を監視せよ―

                              日本ジャーナリスト会議会員     桂   敬 一

 

 奇妙な修辞とカタカナ外国語が氾濫した所信表明
 

ポスト小泉政権がスタートした。安倍晋三新首相は9月29日、国会で初の所信表明に臨んだが、その演説は奇妙な修辞的言語が溢れ返るものだった。
 その第一の特徴は、「美しい国、日本」をはじめとする、ある種の情緒的にイメージされた国や政治のかたちを示唆する、独特な言い回しの羅列だ。まず「美しい国、日本」。この言葉は、作曲家が全体の主題を、印象を強めるために第一楽章の冒頭に、序奏部分も省略していきなり提示するのと同じようなやり方で、使われている。演説の最初の部分で示された後は、さらに各論部分でも随所で、繰り返し繰り返し再現されていく。
 この主題のあとには、「凛とした国」「美しい国創り内閣」「日本文化産業戦略」「魅力ある地方」「人生二毛作」「筋肉質の政府」「逃げず、逃げ込まず」「教育再生」「主張する外交」「世界とアジアのための日米同盟」など、主題の変奏や、いくつかの副主題とそれらの変奏に当たる表現が、同じような趣向できらびやかに展開される。そこに用いられている修辞に共通するのは、断固たる意志、みごとな姿勢、清らかな心構え、国や伝統への奉仕などを讃える趣が漂っている点で、なにかナルシストの自己陶酔を感じさせる。

 もう一つの特徴が、横文字カタカナ語の氾濫。「オープンな経済社会」「イノベーション25」「アジア・ゲートウェイ構想」「再チャレンジ支援」「人生のリスクに対するセーフティーネット」「新健康フロンティア戦略」「子育てフレンドリーな社会」「ライブ・トーク官邸」「カントリー・アイデンティティー」。いったいこれらの一つ一つはどのような具体的内容をもった政策に対応しているのだろうか。これらの表現が出てくるそれぞれの個所の演説の文章を読むと、確かにそれらしい政策的方針が述べられてはいる。だが、なぜその方針の個条的表現を、正確な理解を促す論理的な日本語でせず、カタカナ英語でムード的に語るのだろうか。その必然性がまったくわからない。
 この安倍首相の好み、あるいは彼の取り巻きたちの趣味は、いったいどういうものなのだろうか。総裁選の主張のなかでも、「ワークライフバランス」「戦後レジームからの脱却」など、カタカナ英語が目についた。もっとも「レジーム」はフランス語だが、そのほうがもっと気が利いているとでも思ったのか。こういう広告コピーのような表現のほうが若い人、女性などに受けるとでも思ったのだとすれば、随分ひとの知性を見下した話だ。そもそもカタカナ外国語の多用は「美しい国、日本」にふさわしくないではないか。あるいは「日米同盟」重視だから英語を重んじて使ったということなのか。

 

無知・未熟な安部首相に安心する旧勢力
 

成熟した民主主義国における政治家の知性は、市民性を備えた有権者に対して、多くの政策的課題を整理して提示、それらを重要度に応じてどのように解決していくか、そのための政策手段や実施計画、到達目標、市民の役割など、具体策を明確に示しつつ、どこまで論理的に説明できるのかによって、判断されるものだろう。
 このような基準から安倍新首相の所信表明演説や、その前、総裁選出馬宣言時の政権公約など、彼の一連の政治的メッセージをみると、いたずらに自分勝手な高揚感を煽り、それが醸し出す雰囲気任せで、人のいい国民をどこかへ連れていこうとしているらしいことはわかるが、これが一国の最高指導者の言葉かと、呆れるばかりのものだ。空のバケツほどよく鳴るというが、本当に騒がしい。

 多くの古狸の政治家たちも、新首相のそうした弱点、未熟さはよく承知しているようだ。しかし、国民的人気は高い。だったら人気のほうを利用させてもらい、一応安倍政権で与党の権力体制は固めるが、あとは彼の未熟さや無知を、また別な意味で利用させてもらい、実権は俺たちが握って彼をうまく使う、とするような空気が伝わってくる。
 メディアもそうだ。事前にあれほど「安倍人気」を高めておきながら、総裁選で思ったほどの圧勝にならなかったことを意外とする感じもない。党人事・組閣人事の矛盾した二面性に対しても、メディアの追及はあまり厳しくない。新首相の政府づくりは、大臣人事における古い派閥均衡型・論功行賞型選任方式の復活と、「官邸中心の政治」の標榜のもとでの、「安倍色」一色に染めた側近人事との、これまた奇妙な混合物だ。そのどっちにも、民主的な行政府のあり方を考えるとき、批判されねばならない問題点がたくさんある。だが、メディアはそういう議論を起こしていない。ゴシップ風にこれらの人事を話題にしているだけだ。メディアもまた古狸の政治家同様、既成勢力に妥協した安倍新首相の未熟な部分をみて、高をくくって彼を眺めているのではないか。

 

自分の危険性を知らないものほど怖いものはない
 

だが、彼はものすごく危険だ。彼は自分が危険な存在だとは気付いていない。だからいっそう危険なのだ。気付いてないのだから、予測できなかった危険にも、無自覚のまま突き進んでいってしまう種類の危険を持ち合わせた人物なのだ。彼を甘くみてはいけない。彼の無知や甘さ、未熟さを軽視してはいけない。それらこそ、恐るべき危険の源泉なのだ。それは、一方的な使命感だけに彩られており、慎重な責任感は伴っていない。
 昨年1月、朝日新聞が、01年に放送されたNHK教育テレビの特集、「女性国際戦犯法廷」を扱った番組は自民党の政治家、中川昭一経済産業相(放送当時は「若手議員の会<日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会>」代表)と安倍晋三幹事長代理(当時は官房副長官で「若手議員の会」元事務局長)の介入によって内容が改変されていた、と報じた。その後、その事実があったことが明らかになったが、中川・安倍両氏はそれを誤報と否定しつづけ、自民党は朝日に対してしばらく取材拒否で報いた。なんとこのコンビが今度、片や首相、もう一方が党三役の一角、政務調査会長となったのだ。

 そして、この安倍政権の頑なさ、あるいは首相の心情、熱狂を共有しようとする「同士」の結集が綿密に計られた。党のほうには目立ったところでは石原慎太郎都知事の息子、石原伸晃議員が幹事長代理に登用されただけだが、「官邸主導の政治」のスローガンのもと、初めて問題別担当の首相補佐官5人が配置された側近体制は、注目に価する。
 小池百合子国家安全保障問題担当は首相がこだわる日本版NSC、ホワイトハウスの国家安全保障会議をまねた機関の創設を目指す。中山恭子拉致問題担当は、小泉内閣で内閣官房参与として拉致被害者・家族支援を担当したが、今度は北朝鮮対策全般について強硬策をもって臨む構えだ。山谷えり子教育再生担当は、ジェンダーフリー教育・自虐史観教育への反対で名を挙げ、今度はその路線を首相肝入りの「教育再生会議」で主導する。世耕弘成広報担当は、小泉内閣に大勝利をもたらした「9・11」総選挙でメディア戦略を統括した功績を買われ、表舞台に出てきた。小泉構造改革との差異化を目指す成長政策立案を任された根本匠経済財政担当は、安倍・石原・塩崎恭久官房長官とほぼ同期の議員として互いに親しく、頭文字を取った「NAISの会」の一員だ。
 閣僚をにらんだ官邸運営の中心は塩崎官房長官。「若手議員の会」「NAISの会」の仲間だ。その両脇には、「若手議員の会」事務局次長だった下村博文官房副長官(衆院)、同会会員の鈴木政二官房副長官(参院)がいる。そして閣内には、安倍総裁候補の事実上の擁立団体となった「再チャレンジ支援議員連盟」幹事長の菅義偉総務相、同連盟のアクチブ分子だった山本有二金融・再チャレンジ担当相が加わっている。

 タカ派・右翼のブレーン陣と勝共連合との親近性
 

安倍首相のブレーン陣にも注目しておく必要がある。小泉内閣が始めたブッシュ大統領のイラク戦争支持政策推進にいまも賛成論をぶつ岡崎久彦元タイ大使、9月に新しい編著書『「日本核武装』の論点』で日本でも自主的な核武装の必要を議論に乗せよと主張している中西輝政京都大学教授、「新しい歴史教科書をつくる会」の会長だった八木秀次高碕経済大学教授。彼は、この会の内紛のあと、「日本教育再生機構」を設立、責任者に納まった。そして伊藤哲夫日本政策研究センター所長もブレーンに加わった気配だ。この研究所は、「戦うシンクタンク」と称している。伊藤所長はもともと、改憲・再軍備推進団体「日本会議」の政策委員だ。伊藤、中西、八木、西岡力の4氏は呼びかけ人となって、安倍自民党総裁候補の総裁選出馬に当たり、「『立ち上がれ! 日本』ネットワーク」をつくり、安倍候補の支援活動を行った。主なスローガンは、反日勢力との対抗、「戦後保守」との訣別、日本の建て直し。西岡氏は東京基督教大学教授で、「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)幹部だ。
 このほか、自民党の「教育基本法改正促進委員会」の役員として中川政調会長、下村官房副長官、山谷首相補佐官のほか、安倍内閣では麻生太郎外相、高市早苗沖縄・北方・イノベーション担当相も加わっている。また、上記のほかにも「若手議員の会」メンバー、「日本会議」の支援を受けている官邸メンバー、閣僚も、安倍政権内に多数いる。

 もう一つ見逃せないのが、原理運動で悪名高い統一協会・勝共連合との親近性だ。6月20日付の朝日などによると、5月に福岡で開かれた統一協会(世界基督教統一神霊協会)の関連団体、「天宙平和連合」主催の合同結婚式と宗教集会「祖国郷土還元日本大会」に、「内閣官房長官・安倍晋三」名で祝電が送られたとの報道があり、安倍事務所にたずねたところ、「私人の立場で地元事務所が送った」事実が確認されたという。
 統一協会系の政治団体として勝共連合(国際勝共連合)があるが、それは60年代、日本統一協会の会長になった久保木修己が創設したものだ。「自主憲法制定」「スパイ防止法制定」を推進してきた運動方針はいまも変わらない。これにさらに「教育基本法改正」「靖国参拝は合憲」などの主張が付け加わっている。「スパイ防止法」はいまや「共謀罪」がそれにかぶさるものとなりつつあり、安倍政権下の自民党の政治方針は、勝共連合と非常に接近したものとなっている。
  興味深いのは、久保木は98年死亡するが、遺稿集が『美しい国 日本の使命』と題され、統一協会・勝共連合の機関紙新聞社、世界日報社から出版されていることだ。総裁選出馬を目前にした安倍官房長官の著書『美しい国へ』(文春新書)や、彼の新首相としての所信表明演説に頻出したライト・モチーフの表現、「美しい国、日本」が、久保木の遺稿集のタイトルと酷似しているのは偶然の一致だろうか。

 

安倍路線に若者が惹かれるとき、日本になにが起こるか
 

安倍総裁候補は、9月11日の日本記者クラブにおける3候補顔見せ討論会で、「私は・・・、日本が独立した後に生まれた世代だ。あの時(占領期)に決まったことは変えない、変えてはいけないという先入観のある時代は終わった。私たち自身の手で21世紀にふさわしい日本の未来の姿、理想を描いていこうではないか」と語り、会場の質問者から、彼の戦後を全否定する大げさな言葉遣いに「アナクロニズム(時代錯誤)」だとする批判が出ると、「そう考えること自体がある種のマインドコントロールで、アナクロニズムだ」と切り返した(9月17日付読売)。格好いい。
 「殺されてもいい。やるんだ」と郵政民営化総選挙に踏み切った小泉前首相は、閉塞感にすくんでいた若者の心を捉え、支持を獲得した。つぎに「古い時代の責任は負わなくていいんだ。これからは自分の思うとおりにやっていい時代だ」と呼びかける安倍新首相を、若者はどう迎えるのだろうか。その言葉は、まだ動けなかった若者を激励し、彼らにとにかくどこかに向かって進んでみよう、という意欲を与えそうだ。だが、彼らが大挙して新宰相を囲む政治的グループと熱狂を共にし、どこかに進んでいくようになるとき、日本はとんでもないところに向かっていくことになりはしないだろうか。メディアは安部政権を甘くみてはいけない。その行方を、しっかり監視しなければならない。
(終わり)