桂敬一/メディア論/  忘失されている楽天・TBS統合提案問題への視点 / 05/12/10


忘失されている楽天・TBS統合提案問題への視点

           桂 敬一

かねて予期はされていたが、10月13日、TBSに対して大株主の地位を築いた楽天・村上ファンドが突如、経営統合を提案、これをむげに拒否できないTBSの苦しい立場が露呈すると、それは、ホリエモン=ライブドア対ニッポン放送・フジテレビの問題のときとは比較にならない大きな衝撃力をもって、通信・放送の融合時代に突入した放送が直面する困難な問題のあり かを、マスコミ界全体に突きつけた。いや、テレビの国民に対する影響力の大きさ、逆にいえば国民のテレビに対する関心の大きさを考えると、この問題は、国民全体にも突きつけられたものだ、といえる。

13日夜から、TBSを除くどのテレビ局も、ニュース、ワイドショーは、この話題でもちきりとなった。14日の各紙朝刊報道でもこの問題が、1面、社会面ともにトップ扱いで、専門家などのコメントもたくさん載った。私のコメントも、朝日の同日朝刊に掲載された。しかし、紙幅からいって、いつもやむを得ないことなのだが、それは意が尽くされたものとはいえない。私が強調したかったのは、放送法を中心に置く視点から、この問題を考えてみる必要がある、ということだった。そして、そういう問題意識からみると、テレビ、新聞どれも、そういう視点を前面に出した報道、論評がおよそないことに気づき、改めて驚かされた。
 放送は、特定の事業者が法制度に基づき、「国民の電波」という公共財の占有・利用を独占することによって成り立つ、文字どおりの制度的産物であって、私人だれもが自由に資本や原材料の調達、市場開拓・販売活動を行うことによって実現できる、家電や即席ラーメンなどの製造・販売、旅行代理などのサービスといった事業とは、その成り立ちがまるで異なる事業だ。そのありようは、電波法・放送法によって規定され、単独あるいは少数のものへの資本の過剰な集中や、巨大な通信・メディア事業者の兼営などを禁ずる仕組みのなかで、国が特定の事業者に免許を与えることになっている。
 

とくに重要なのが放送法だ。これは放送免許を獲得した事業者に、国の介入からも独立し、国民の知る権利に奉仕すべき放送の自由を保障するとともに、公共的な言論報道機関としての適切なありかたを、番組の編集・編成にまで言及しながら、具体的に規律している。NHKも「一般放送事業者」(民間放送事業者のこと)も、「教養・教育・報道・娯楽」を適正なバランスを保って放送全体のうえに実現し、総合放送としての役割を果たすよう、求められている。また、「一般放送事業者」は、番組と広告を視聴者が明確に識別できるようにしっかり区別して放送するよう、義務づけられており、これを受け、民間放送連盟は独自に「放送基準」を作成、そのなかで総放送時間中に許容されるコマーシャルの時間の限度(比率)まで、定めている。

そして、こうした点についてある放送事業者に法への違背、重大な逸脱があって、放送の公共性をないがしろにたと判定しなければならなくなったときは、国はその事業者の放送免許を停止したり、更新を拒否したりする、という制度になっているのだ。
 報道言論界としては、このような公共財を生かすべくつくられた制度的仕組みがいま、不当な勢力によってぐらぐら揺るがされているところに問題がある、という視点にまず立って、報道・論評を行うべきではないのか。また放送事業者は、さらには放送事業に深く関わっている新聞事業者も、デジタル化の進展、そのもとでの通信・放送の融合に伴う新メディア事業の誕生というなりゆきに幻惑され、自分にも新しいビジネス・チャンスはないか、そこでだれと提携するか、しかし、乗っ取られるのはイヤだ、どうしたらいいか、というような助平根性ばかりを募らせており、そうしたスキに、三木谷氏とか村上氏のような新型チンピラにつけ込まれる事態を招いているのが実情ではないのか。だとしたらそこには、視聴者・国民の立場に戻り、本来の制度的産物、国民のための放送のあり方を復権していく方向での反省を本気で行うことも、課題とされるはずだ。
 

敗戦直後、闇商売でうなるほどの現ナマを握ったにわか成金が、土地・工場・不動産・骨董などの資産は抱えているが、その活用も、適正価格での売却もできない没落華族・地主・企業オーナーなどからそれらを簡単に奪い、彼らに代わって経済・政治・社会の支配権を奪っていったのを、思い出す。それから60年、今度は新型成金、外国資本とも結託し、グローバリズムと新自由主義の使徒を気取る輩が、日本国民の営々として築き上げた公共財と公共サービスをハシタガネで横取りし、全部を自分の売り物につくり替えようとしている。こっちのほうがよほど罪深い。
 しかもそれが、小泉政府の「改革」、「官から民」」、「民でできるものは民で」を後ろ盾にしてやられていることにも、注意を向けるべきだ。大方のメディアのつぎの関心は、三木谷氏が「楽天イーグル」と「横浜ベイスターズ」(TBSの支配事業)の二つを、プロ野球協約の禁止規定に反しても、もてるのか、これをナベツネがどう防ぐか、といったような、実に志の低い話題に向かっている。つぎに関心を向けるべきはそんな話ではないはずだ。
 

三木谷氏の後ろにはオリックスの宮内義彦氏、政府内閣府の「規制改革・民間開放推進会議」議長がおり、宮内氏が、同じく政府の「IT戦略本部」(本部長:小泉首相、戦略会議議長は出井ソニー前会長)と歩調を合わせ、私のみるところ、NHKの分割(大部分の「民営化」と別の部分の「国営放送」化)、民間放送全部と通信界の無制限の相互乗り入れ、そこへのITベンチャーの自由参加を目指す方向での旗振り役を、しだいに鮮明にしつつある。
そういうことを問題にすべきではないか。また、TBSの企業価値評価特別委員会が、報道のTBS、ドラマのTBSの主体性を守ってくれるのかどうかも、心許ない。三木谷氏は三井グループとの縁が深いが、特別委員会には西川三井住友銀行頭取が委員として加わっているではないか。三井物産はスカイパーフェクTVにも関係してきたし、新BSの単独での事業についても進出の意向を明らかにしている。国民・市民が納得できる放送の公共性をどう守るのか。制度改正が必要ならば、それはどうなされるべきか。そういうことがメディアのうえで公然と報じられ、論じられることが、求められている事態となっているのではないか。