「マスコミ九条の会 公開市民セミナー」

 日本はなぜ「対米従属」を断ち切れないのか

 ―政治・経済・軍事の日米関係の構造を解き明かす―

第1回 講師:金子 勝(慶応大学教授) 2008.05.09

 「今アメリカの変化をどうみるか―歴史的転機の中の政治・経済・軍事」の講演を聞いて― 

    

メディアは今 何を問われているか

桂 敬一・日本ジャーナリスト会議会員

   

 多極化と不安定化の時代 日本はどう生きるべきか

 ―金子教授が語る対米関係再構築の課題と問題点―

 

今日、5月27日の読売・朝刊だけからでも、「ガソリン来月170円台も」(1面。出光興産の卸価格引き上げ予告)、「ミッカン酢18年ぶり値上げ」「ティッシュも来月」(ともに8面。ティッシュは製紙大手3社の6月につぐ再値上げ)と、身近な生活物資の値上げがあわただしく伝わってくる。

 

 すでにパン・めんなどの小麦粉製品、バター・チーズなどの乳製品や、物価の優等生といわれてきた卵など、食料・食品の値上げが相次いで報じられてきた。インフレなのだろうか。いや、敗戦直後の極端な物不足と激しい通貨価値の下落が原因のインフレとは、様子が違う。

 

 また、1960年代の高度経済成長時代における名目賃金の上昇、消費経済の拡大に伴う長期にわたった緩やかなインフレとも違う。70年代初めの第1次石油ショックのときの、急騰したエネルギー・コストを製品価格に転嫁した、不景気の中の高物価=スタグフレーションがやや似ているか。それでもこのときは、価格上昇要因は単純で、よくみえていた。

 しかし今回は、そうわかりやすくない。なんだか知らないが、いろいろなもの全部の値段が、それぞれ異なる原因で、だがいっせいに、競い合って上がりだしている。私たちの窮迫にお構いなしにだ。おまけに、教育、医療、介護、障害者支援、年金などの公的な費用負担や所得税も、増えだしている。その先に消費税の大幅引き上げも策されている。このような国民・生活者に対する実質的な経済的収奪の全体的な強化は、なんで起こってくるのだろうか。

 

 私も所属する「マスコミ九条の会」は、5月初めから7月にかけて、全体として6回の講座(最終回はシンポジウム)から成る。現在順次開催中だが、第1回の講師、金子勝・慶大教授の講義は、強烈だった。上記のような物価高は、国際的な石油高・穀物高に由来するが、それらは、イラク戦争の負の影響、深刻な地球温暖化、世界的な農業と食糧の危機を背景として生じており、かつてのどの物価高の状況とも様相を異にする―これらの背景要因はどれも、アメリカ主導の新自由主義とグローバリズムの破綻の結果として生じており、世界の地政学的環境は、まったく新しい歴史的段階に突入しつつある、と指摘したうえで、その証拠こそ、アメリカのサブプライム・ローン問題と、それが世界経済に及ぼす深刻な影響だと、金子教授は強調したのだ。

 

 我々の市民講座の狙いは、現代日本の「対米従属」の実態と問題点を解明することだが、とにもかくにも、当のアメリカが今、どんな状態にあるのか、それがわからなければ、「従属」の問題点ははっきりさせられない。そこで、シリーズ冒頭の講師を金子教授にお願いした。結果は、目からウロコどころか、頬にピンタを喰らい、瞼をこじ開けられたような、爽快な衝撃を受けることになった。

 

 日本のマスコミではいまだに、アメリカの住宅不良債権問題は、低所得者向け貸し付けのサブプライム・ローンだけが話題になっている。だが、この危機の深刻さは、日本で想像されている以上であり、国際的には、問題はサブプライムだけに止まらず、近い将来、オルトAローン(オルタナティブAローン。条件の不利なサブプライムと最も優遇されているプライムの間に位置する)も巻き込まれるだろう、と観測されている。

 

 危機の拡大は、グローバルな金融デリバティブによって、当初の債権がいろいろな証券に変えられ、さらにそれらがコマーシャル・ペーパー、社債などにも変えられていき、その全部が世界中いたるところで焦げ付きだしているのだから、その危機は最終的にどんなかたちとなり、被害がどのぐらい大きくなるかは、まだだれにも予想がつかない。クルッグマン、スティグリッツなどの経済学者は、第2次大戦後最悪の不況になる、と危惧している。

 

 従来、証券保険は、銀行でなく、モノラインと称される専門の保険会社が行っていたが、不良債権の拡大はモノラインの能力を超えて広がり、金融市場全体が収縮するなりゆきをみせている。従来なら金融市場にはヘッジファンドが活発に介入、売買を繰り返してきたが、不良債権に由来する金融商品が地雷のように埋まっている市場にはヘッジファンドも寄りつかず、彼らは、商品としての実体があり、地球温暖化、農業危機、開発途上国における輸入拡大などから需要が大きくなり、価格値上がりが顕著となっている石油、食糧などの商品先物取引に積極的に手を出すようになっている。

 

 アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)は、銀行・証券会社などの資金繰りを助けるため、低金利政策と通貨の量的緩和を断続的につづけるが、それによって生じる過剰流動性がまた、石油や穀物の投機を煽り、基礎的な生活物資全体の価格を押し上げる圧力となっている。

 

 住宅バブルの崩壊で不景気に突入、しかも物価高に見舞われ、失業、消費減退、企業倒産など、景気悪化がいっそう募るが、これに対して金融政策が有効に作動せず、かえって投機を煽り、金融危機を深刻化させるので、国内では解決のめどが立たない。米政府もFRBも最初は、サブプライムで危機に陥った銀行に対する中東諸国などの政府系ファンド(SWF)の増資に否定的な意向を示していたが、結局、シティ・グループ、メリルリンチ、モルガン・スタンレーなどがアブダビ、シンガポール、中国などのSWFから増資を受けることとなった。石油の値上がりも、アメリカの世界市場支配力で沈静化、安定化することはもうできない。

 

 世界の石油市場は、サウジアラビアのアラムコ、ロシアのガスプロム、中国のCNPC、イランのNIOC、ベネズエラのPDVSA、ブラジルのペトロブラス、マレーシアのペトロナスの7つの国営企業に支配されており、アメリカはこれらと折り合いを付けねばならなくなっている。そのことは、この新しい体制でうまくやれるかどうか、の問題をはるかに超える意味をもつ。

 

 ソ連体制が崩壊、ロシアが資本主義体制をとって経済再建を実現したことや、中国が改革・開放政策に踏み切り、市場経済政策に転換したことは、その政策の成否で意味が計られるだけではすまない問題だ。すなわち、社会主義を国家原理としてきた国が、反対の国家原理に行き着いた、という問題だからだ。今度は、新自由主義とグローバリズムを標榜してきた資本主義のアメリカが、開発独裁や民主制の未成熟を特徴とする国の政府系ファンド、国営エネルギー企業と協調しなければならなくなったのだ。アメリカの国家原理もまた、真反対の原理に行き着くなりゆきをみせている。

 

 ソ連・中国の国家原理の変更は、冷戦時代の終焉という時代の変化を生み出した。ではアメリカの国家原理の転換は、どんな時代の変化を生んだのか、あるいは生み出しつつあるのか。イラク戦争の失敗は、軍事面での一極支配の終焉を招来しつつある。ドルの価値の低落は、ユーロの立場を強め、通貨・金融の面でもアメリカの覇権が失われようとしている。石油供給とその価格の安定化には、他の主要産油国との協調が必至だ。食糧危機の急迫を前にして、地球温暖化対策や、水資源保護、旱魃対策なども、もうさぼるわけにはいかない。開発途上国の怒りを買うからだ。同様に、バイオエタノール生産を優先して食糧生産を犠牲にすることも、許されない。

 

 工業先進国は、製品輸出の収益で、石油も食糧も、まだ有利に輸入ができる。だが、輸出する産品がなく、食糧生産も国内需要すら満たせないアジアやアフリカなどの貧しい国や、とくにそれらの国のなかの貧しい人々は、放置できない悲惨な飢餓に直面するようになっている。膨大な人口を抱えた中国、インドは、人間の食糧としての穀物消費だけでなく、家畜の飼料としての穀物需要も拡大させ、巨大な食糧輸入国に転じつつある。食糧自給率の低い国は、慢性的に食糧不足あるいは輸入価格高騰の危機にさらされつづけ、波乱含みの穀物市場は、国際投機筋のかっこうの標的と化される危険性がある。このような状況のなか、アメリカが新自由主義とグローバリズムの立場から投機筋の暗躍を許すなら、世界中から手酷いしっぺ返しを受けることになるだろう。アメリカはもはや、市場原理主義の国家原理を修正せざるを得ない。

 

 金子教授は、以上のように語ったのち、世界に新しく到来するのは、多極化の時代、長くつづく不安定化の時代だ、と見通す。アメリカの軍事、エネルギー・食糧、通貨・金融全体における一極支配的な覇権構造は崩壊、アメリカはあらゆる面で、EU、ロシア、中国、ブラジルなどと折り合いをつけなければならない事態に直面している。

 

 その結果、市場原理だけに委ねる問題解決に限界があれば、各国・地域が一緒になって協議し、なんらかの非市場的な原理を立て、武力紛争を回避、多くの関係者が我慢できるかたちで、さまざまな問題の解決を図っていかなければならない時代になっていく、というのだ。そして金子教授は、日本が心配なのは、政府も政治家の多くも、アメリカと時代がこのように変わってきているのに、そのことにお構いなしに、従来からのアメリカ一辺倒の癖を抜け出そうとしない点だ、と喝破する。

 

 それどころか、小泉構造改革は、アメリカの破綻しつつあった新自由主義・グローバリズムを信奉、ブッシュ政権に追随してイラク戦争に荷担し、環境問題でも世界から非難を浴び、国内では経済・社会の歪みを拡大してきてしまった―小泉構造改革はあらためて再検討する必要がある、と語る。また、政治がそのような状態にあるときは、ジャーナリズムが厳しい批判を加える必要があるが、この間の日本のジャーナリズムは、小泉構造改革をほとんど批判せずに過ごし、今もまた、アメリカの覇権の崩壊、多極化の時代への転換という現実を、まともに直視しようとしていない―そこに現在のメディアの危機があると、金子教授は指摘した。

 

 強烈な印象を残したのは、「かつてのジャーナリストは、どんな問題をカバーするにしても、たとえば政府予算の費目のすべて、国、外交、地方、農業、福祉、医療などなど、全部に頭を使うのが当たり前だった。教育がちょっと弱かったかな。ところが、今はそういうジャーナリストがいない。フリーにはまだそういうタイプの記者がいるが、フリーには発表の場がなかなか与えられない。ジャーナリストはそうした広い関心のもとで、いろいろな現場で事実をしっかり追ってきた。

 

 むずかしく話すのでなく、わかりやすい事実、基礎的な情報を提供してくれるので、学者・研究者は、そうした情報を信頼してファクトを固め、あと抽象化する仕事、理論的に考える仕事がやれた。今はそういう当てにできるものがないので、私など、財政学が専門だが、最近は自分で問題の現場にいって、事実を直接確かめるようになった」と、金子教授が語ったことだ。

 

 この日、教授の近著『地域切り捨て 生きていけない現実』(岩波書店。高橋正幸氏と共編)が会場に置かれ、講義終了後、販売され、売り切れとなった。実際そこには、編著者みずからが現場に立って目撃したことが、具体的にリポートされていた。救いは、各地の新聞社・放送局で働いている現場の記者が、金子教授の「取材」に協力していたことだった。

 

 公開市民セミナー第1回は、会場に入りきれないほどの熱心な聴衆の参加を得て、盛況のうちに幕を閉じた。以下は宣伝だが、金子教授の全体的な情勢の展望と問題の提起を受け、これからは個別テーマに即した講義がつづく。

 (「マスコミ九条の会」呼びかけ人 桂 敬一 記)